barbaraunfufu

Burro nombrado, burro presentado.

ヨハネ・パウロ2世とラテンアメリカ

2005-04-03 06:10:07 | Mondo mundo
教皇ヨハネ・パウロ2世はラテンアメリカの発展途上国のために大きなエネルギーを精神的にも肉体的にも捧げた。その晩年には健康の不調にもかかわらず何度も訪問した。

 しかしヨハネ・パウロ2世はラテン・アメリカでは大きなジレンマに陥った。極貧の中で生きる何百万ものカトリック信者をどうすれば救えるのか? 言い換えるなら、バチカンは革命を援助する司祭たちを支持するべきか? 開放の神学とは? それとも保守派を援助すべきか?
 この問題はヨハネ・パウロ2世が80年代前半に中米を訪問した際に起こった。
 ニカラグアのサンディニスタ政権では革命本部に5人の司祭がいたが、ヨハネ・パウロ2世はこれを「逸脱」として非難。
 ブラジルでは福音派がヨハネ・パウロ2世に挑みかかった。ブラジルにはカトリック信者が何万人といたが、現世での繁栄を説く福音派に取り込まれようとしていた。
 多くの信者がありながら無神論主義の体制をとるキューバもヨハネ・パウロ2世を悩ませた。1998年、フィデル・カストロの招待に応じてヨハネ・パウロ2世ははじめてその地に足を踏み入れた。マルクス主義には不満の意を示していたが。カストロは教会には批判的であったが教皇のミサに出席。教皇がアメリカの対キューバ経済制裁を非難するのを喜んで聞いた。サンチャゴ・デ・クーバでは、感動的な教皇のミサのためにキューバ人が愛する「ヴィルヘン・デ・ラ・カリダー」の像が行列に運び込まれた。
 ヨハネ・パウロ2世最後の「希望の大陸」への旅は2002年のメキシコ、グアテマラ旅行であった。ラテン・アメリカにおいてヨハネ・パウロ2世は、その地との強いきずなを示し、貧しきものたちを救う道を求めて至力を尽くした。同時にカトリック教会にこれらの問題の根本的な政治的解決を提案したのでもあった。

* BBC MUNDO.COM 2005/04/02
http://news.bbc.co.uk/hi/spanish/international/newsid_3811000/3811715.stm

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