大谷石地下採掘場跡。

2018-06-24 | 栃木・群馬
3月4日 ドライブに行ってきました。







宇都宮で人気の健太餃子。













石の里・大谷。  

大谷石の採掘場跡です。





大谷石の岩壁に掘られた

高さ27mの平和観音です。





横の階段を





展望台まで登ると





観音さまの真横に。

戦没者の慰霊と世界平和を

祈念するために彫られ、

すべて手彫りだそうです。



大谷平和観音のすぐそば、




大谷寺・大谷観音。





大谷石岸壁の洞穴内に

建物が入り組む洞窟寺院です。


丁寧な解説をしていただいた後、

ご本尊の千手観音、

釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の

石仏群を参拝しました。


観音堂内にある岩肌に

彫られた千手観音像は

弘法大師の作といわれています。

残念ながら撮影禁止です。





境内には庭園もあり、





池の中の弁天堂や





白蛇を見ることができます。

触ると御利益があるそうです。





大谷石の地下採掘場跡。





大谷資料館。





地下採掘場跡の入口。









地下30mまで降りて行きます。









地下の巨大建造物を思わせる景観は、圧巻です!


地下採掘場跡は、

大正8年から約70年をかけて、

大谷石を掘り出して出来た

巨大な地下空間です。

その広さは、野球場が

一つ入ってしまう大きさだそうです。






館内気温 は10°C

ダウンコートを着ました。





オブジェが展示されています。









ライトアップにより

一層幻想的な空間になっています。





まるでピラミッドの内部のような

広い地下空間では

コンサートや

美術展などが開かれたり、

映画やドラマなどの

撮影が行われた事でも有名です。


古くはセーラー服と機関銃、 

最近では、るろうに剣心京都大火編、暗殺教室。 

東方神起の映像撮影 etc。 





 



映像が大谷石の壁に

映し出されています。





現在では、大谷石の採掘は

手堀りから機械堀りへとなり、

昔と大きく変わってきています。





手堀り時代の掘り跡と

機械化された掘り跡の違いを

見ることができます。





手堀り時代の採掘の様子。

採掘が本格的に始められた江戸時代の中頃から、

機械化になる昭和35年頃までは

ツルハシと、石を運ぶときに使われた

背負子ぐらいしか無かったそうです。

















採掘の道具と切り出した大谷石。
 




手堀り時代には

150Kgもある石を

1本1本背負って、

採掘場から運び出していたそうです。

当時の苦労の様子がしのばれます。














大谷ミュージアム。

OYA MUSEUM ROCKSIDE MARKET





岩肌をゆったりと眺めながら





ジェラード。





高速に乗るまでの道すがら

大谷町のほとんどの家が

大谷石の塀でした。




ソウル旅行・ホテルのクチコミ

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富岡製糸場

2015-07-19 | 栃木・群馬
7月12日(日) バス旅行で世界遺産 富岡製糸場に行って来ました。


最初に、群馬県高崎市で二百年ほど前から伝えられている高崎だるま 

だるまのふるさと 大門屋に行きました。













店舗には、たくさんの福だるまが並んでいます 。





だるまは大きさも色も様々で、

どれも、それぞれ個性があって可愛いです。

「福だるま」の他に、

選挙に欠かせない「必勝だるま」、受験の「合格だるま」、

「安産だるま」などがありました。





店先では、色塗りしただるまが天日乾燥されていました。


工房では伝統工芸師が

願い事が必ず叶うように

一つ一つ心を込めて創っているそうです。




次はこんにゃくパークで昼食です。




広いパーク内には、こんにゃくを使った、

ありとあらゆる商品が売られていました。





用意されたお弁当の他に





無料のこんにゃくバイキングが食べられます。

すごい人気で、バスツアー以外の一般客は

長蛇の列に並んでいました。





一度、凍らして唐揚げにした、こんにゃくが美味しかったです。

こんにゃくソーメンや、こんにゃく焼きそば





こんにゃくラーメンなどの麺類が

普通に美味しかったです。





食事の後は、工場見学をしました。









こんにゃく芋は黒い皮ごと使うそうです。





こんにゃくラーメンの製造ラインです。




最後に、いよいよメインの富岡製糸場です。




富岡製糸場は明治5年

明治政府が日本の近代化のために、最初に設置した器械製糸場で

後に続く日本各地の「民営」の製糸工場のモデルケースとなった工場です。





繭倉庫。

建設当時は年に一度しか繭が収穫できなかったため、

100m を超える大型の繭倉庫が2棟あります。


官営期に建てられた主な建物は、

煉瓦という西洋の材料を取り入れながら、

屋根は伝統的な日本瓦で

日本と西洋の建築技術を融合して建てられました。





観音開きのドアの蝶番ちょうつがいなどは

フランスから運び込まれたものだそうです。





フランス積みと呼ばれる工法で積まれた煉瓦です。

目地には、セメントの代わりに 漆喰を使ったそうです。





操糸場。 繭から生糸をつくる 工場です。

長さ約140.4メートル、

幅12.3メートル、高さ12.1メートルあり

当時、世界でも最大規模だったそうです。


創業時の日本には、まだ電灯がなかったため

窓を多くして、自然光を取り入れたので

場内は、とても明るく 綺麗です。





屋根の上には、繰糸場内の

蒸気を逃がすための換気口があります。





ニッサンHR型自動操糸機。

現在、残っている自動繰糸機は、昭和40年代に開発されたもので、

現在も同型式機械が使われているそうです。


建物や繰糸機は、想像していたよりも綺麗に保存されていて

操糸機は、今すぐにでも動かせるのではないかと思えるくらいです。








明治政府がつくった官営工場の中で、

ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけだそうです。





外国人医師が常駐していた診療所。





ブリュナ館は指導者として雇われたフランス人のポール・ブリュナが

家族と一緒に暮らしていた 320坪もある住宅です。



『ああ野麦峠』、『女工哀史』に代表されるように、

明治から大正にかけての民間製糸工場では

非人間的で、過酷な労働環境があったと言われていますが

富岡製糸場は、当時としては

最先端の設備と労働環境を誇っていたそうです。


この日の気温は36度ぐらい…。

駐車場から5分程の道のりが とても長く感じられました。

日傘と、扇子、凍らしたペットボトルを身体に当てながら、

なんとかしのぎました。


帰り道の商店街で かき氷を売るお店があったのですが

時間に余裕がなく泣く泣く諦めました…。




ソウル旅行・ホテルのクチコミ

 


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紅葉の谷川岳

2009-10-23 | 栃木・群馬


2009.10.22~23  

上越新幹線で上毛高原駅下車。

さらに車で30分 群馬県 谷川温泉へ。





庭園から谷川岳

好天に恵まれ、

宿泊した別邸 仙寿庵からは谷川岳がくっきり。







客室から

客室からの眺望。






足湯

足湯。







お食事処入口


お食事処入口の組子障子。







お食事処

お食事処。まずはシャンパンで。






夕食





夕食





夕食





デザート


上等な器で頂く美味しい会席料理。








吟醸酒


夜食は吟醸酒と。







朝食


この器で朝食。









天神平ロープウェイ


天神平までのロープウェイからの眺めは絶景!

大満足の旅でした!

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