お時間のある方はこちらを是非。
http://www.ustream.tv/recorded/6835206
(山田さん)
どうも「エコやってる人って金に余裕がある人なんじゃないの?」というような空気を感じる。
そこは分離するような話じゃない気がする。
金がなくても幸せだ、ってのがなくなってる。
人間はお金がなくても幸せになれるのか?
(優さん)
東京の外れに育ったので、小さい頃は自然がいっぱい残っていた。
秋になると栗を取りに行ったり、魚を捕まえたり、シジミ採ってみそ汁にしてもらったり(優さん家の食事の6分の1くらいは稼いだんじゃないか?笑)。
そう考えると、世間で言われている「ベーシックインカム(生活の部分についてはみんなにお金を渡そう、という考え)」じゃなくて、「自然が残ってること」こそがベーシックインカムだと思う。
その後、(優さんが育ったところは)自然が全部壊されて、川は全部3面ばりのコンクリートになり、森は全部潰された。そうなるから「カネ」無しには生きていけなくなった。
パプアニューギニアから友人が来て公園を回った時、「なんで果樹を植えないんだ!果物を植えればそれで食えるじゃないか」と怒った。確かにそうだな、と思う。みんな、自然があることで「万が一の時はこれを食べればいい」という余裕ができればもう少しマシになれると思う。
(エダヒロさん)
貨幣経済がない頃は(もちろんお金ではなく)「自然」「人とのつながり」で幸せを得ていた。
貨幣経済が入ってお金でいろいろなモノが買えるようになった時に「お金で幸せを買う」ようになった。人によっては100%近くが「お金によって幸せを買う」と感じているし、そういう人が増えている。
それをゼロにする必要はないけれど、経済学者の三田先生は「40%くらいには下げられるんじゃないか」と言っている。
「お金経由で得られる幸せもあるけれど、それだけじゃない」
「福井県の中で採れたもので県民がどれだけ食べているか」と、県産自給率を計ったら、統計では6割くらいだった。
自分の畑で採れる(自給)人も多いが、畑を持ってない人も自給率が高いのは「お裾分け」があるから。
そうなった時、「カネがなかったら生きていけない」じゃなくて、自然や人との繋がりで生きていけるといい。
今は「自己責任論」で「貧しいのはお前が悪いんだ」のようになってしまっている。
(江守さん)
ギャンブル資本主義(マネーゲーム)は何とかコントロールしなくちゃいけないと思っている。
(優さん)
イデオロギー的じゃなくて、子どもの頃から虫取りが得意(「虫使い」と言われていた)だった。
うなぎは強いから、ダムができても這ってでもダムを登っていく。しかし、グアムまで下って行って卵を産まなくちゃいけない。その「下っていく」時に発電所に飲まれると、3分割されて出て来る。だから絶滅寸前(ヨーロッパではもうすぐ「絶滅危惧種」に載ることになっている)なんだ。こんなしくみを作ってしまったらうなぎがあまりにも可哀想。
ほ乳類が今までの間に3割滅びた。そのほ乳類のことを考えると「人間も滅びてしまっても仕方ないかな」と思ってしまう。
(江守さん)
人類はいつか終わりが来るんだろうな~と想像する。
科学哲学の村上陽一郎さん曰く「文明は必ずいつか終わる。これを証明しろと言ったら証明できる」
今、生きている世代の人たちが、資源も使い尽くして環境も汚し尽くして地球がどうなってもいいから、自分たちの世代を楽しく謳歌して子孫を作らないで滅びよう!という合意が仮に取れたら人類は楽しく終われるんじゃないか、と思う。これを(江守さんは)「人類のターミナルケア」と呼んでいる(おとぎ話として言っている)。
ただ、多くの人はそう思っていないし、今を悔いているのではないか。
「人類のターミナルケア」の話は、一方の極端な例として挙げていて、これを元に「人類はどこまで生きようとしていくのか」という議論をすることが大事。
(優さん)
僕は、それ自体を善悪の基準にしている。
絶対に滅びるのは(死んでいくのと同じで)明らか。
だからといって、今すぐ死ぬわけじゃないのと一緒で、「今すぐ死ぬ=悪」「なるべく先に伸ばす=善」と思っている。(優さんは)手前側に持って来る行為は全て「悪」だと思っている。
(山田さん)
「個人の幸せの追求することって、公の不幸を招いている気がする(なぜなら何をやってもCO2を出すから)」
こういう感覚があって生きていくのは結構辛い。
(エダヒロさん)
温暖化も生物多様性の問題が起きているのは、人類のための進化のためのきっかけだと思っている。
たとえば環境問題にしても、煙突の煙、あそこの排水など目に見えるものが環境問題だった。
「温暖化問題」になって難易度が上がった。二酸化炭素は目に見えない。よく分からない。だけど二酸化炭素が原因だということは分かってるし計ることはできる。目に見えないけれど計ることができることに対してどう対応していこうかということで市場原理を使うとか、いろんなことをやっている。
「生物多様性」はもう一つ難易度が高い。目に見えない、いろんな生き物がつながってバランスを取って生きていて(つながりとバランスは一つでは表せない)何をやったらいいのかがハッキリ分からない。
環境問題は、どんどん難易度が上がっているが、それに対して何とかしようという動きにはなっている。
そういう意味で言うと「進化する前の人類」と「進化した後の人類」と考える。
ほとんどの人は「半径50cm以内」「せいぜい今から5分」「せいぜい明日のプレゼンまで」という狭い軸の中で生きている。
進化した後の人間は、今ここで考えたり決めたりする時に、ごく自然に地球の裏側のことを考えたり7世代後のことが判断に入って来る…そういう意味でいうと軸が広がった人類に、進化している最中じゃないか(日本でも世界でも、そういう兆しをあちこちで見ることがある)。
確かに状況的には悪化しているが、いいところを見ているからか希望があるし、楽観的でいられる
1部終了(ぜーぜー)。
http://www.ustream.tv/recorded/6835206
(山田さん)
どうも「エコやってる人って金に余裕がある人なんじゃないの?」というような空気を感じる。
そこは分離するような話じゃない気がする。
金がなくても幸せだ、ってのがなくなってる。
人間はお金がなくても幸せになれるのか?
(優さん)
東京の外れに育ったので、小さい頃は自然がいっぱい残っていた。
秋になると栗を取りに行ったり、魚を捕まえたり、シジミ採ってみそ汁にしてもらったり(優さん家の食事の6分の1くらいは稼いだんじゃないか?笑)。
そう考えると、世間で言われている「ベーシックインカム(生活の部分についてはみんなにお金を渡そう、という考え)」じゃなくて、「自然が残ってること」こそがベーシックインカムだと思う。
その後、(優さんが育ったところは)自然が全部壊されて、川は全部3面ばりのコンクリートになり、森は全部潰された。そうなるから「カネ」無しには生きていけなくなった。
パプアニューギニアから友人が来て公園を回った時、「なんで果樹を植えないんだ!果物を植えればそれで食えるじゃないか」と怒った。確かにそうだな、と思う。みんな、自然があることで「万が一の時はこれを食べればいい」という余裕ができればもう少しマシになれると思う。
(エダヒロさん)
貨幣経済がない頃は(もちろんお金ではなく)「自然」「人とのつながり」で幸せを得ていた。
貨幣経済が入ってお金でいろいろなモノが買えるようになった時に「お金で幸せを買う」ようになった。人によっては100%近くが「お金によって幸せを買う」と感じているし、そういう人が増えている。
それをゼロにする必要はないけれど、経済学者の三田先生は「40%くらいには下げられるんじゃないか」と言っている。
「お金経由で得られる幸せもあるけれど、それだけじゃない」
「福井県の中で採れたもので県民がどれだけ食べているか」と、県産自給率を計ったら、統計では6割くらいだった。
自分の畑で採れる(自給)人も多いが、畑を持ってない人も自給率が高いのは「お裾分け」があるから。
そうなった時、「カネがなかったら生きていけない」じゃなくて、自然や人との繋がりで生きていけるといい。
今は「自己責任論」で「貧しいのはお前が悪いんだ」のようになってしまっている。
(江守さん)
ギャンブル資本主義(マネーゲーム)は何とかコントロールしなくちゃいけないと思っている。
(優さん)
イデオロギー的じゃなくて、子どもの頃から虫取りが得意(「虫使い」と言われていた)だった。
うなぎは強いから、ダムができても這ってでもダムを登っていく。しかし、グアムまで下って行って卵を産まなくちゃいけない。その「下っていく」時に発電所に飲まれると、3分割されて出て来る。だから絶滅寸前(ヨーロッパではもうすぐ「絶滅危惧種」に載ることになっている)なんだ。こんなしくみを作ってしまったらうなぎがあまりにも可哀想。
ほ乳類が今までの間に3割滅びた。そのほ乳類のことを考えると「人間も滅びてしまっても仕方ないかな」と思ってしまう。
(江守さん)
人類はいつか終わりが来るんだろうな~と想像する。
科学哲学の村上陽一郎さん曰く「文明は必ずいつか終わる。これを証明しろと言ったら証明できる」
今、生きている世代の人たちが、資源も使い尽くして環境も汚し尽くして地球がどうなってもいいから、自分たちの世代を楽しく謳歌して子孫を作らないで滅びよう!という合意が仮に取れたら人類は楽しく終われるんじゃないか、と思う。これを(江守さんは)「人類のターミナルケア」と呼んでいる(おとぎ話として言っている)。
ただ、多くの人はそう思っていないし、今を悔いているのではないか。
「人類のターミナルケア」の話は、一方の極端な例として挙げていて、これを元に「人類はどこまで生きようとしていくのか」という議論をすることが大事。
(優さん)
僕は、それ自体を善悪の基準にしている。
絶対に滅びるのは(死んでいくのと同じで)明らか。
だからといって、今すぐ死ぬわけじゃないのと一緒で、「今すぐ死ぬ=悪」「なるべく先に伸ばす=善」と思っている。(優さんは)手前側に持って来る行為は全て「悪」だと思っている。
(山田さん)
「個人の幸せの追求することって、公の不幸を招いている気がする(なぜなら何をやってもCO2を出すから)」
こういう感覚があって生きていくのは結構辛い。
(エダヒロさん)
温暖化も生物多様性の問題が起きているのは、人類のための進化のためのきっかけだと思っている。
たとえば環境問題にしても、煙突の煙、あそこの排水など目に見えるものが環境問題だった。
「温暖化問題」になって難易度が上がった。二酸化炭素は目に見えない。よく分からない。だけど二酸化炭素が原因だということは分かってるし計ることはできる。目に見えないけれど計ることができることに対してどう対応していこうかということで市場原理を使うとか、いろんなことをやっている。
「生物多様性」はもう一つ難易度が高い。目に見えない、いろんな生き物がつながってバランスを取って生きていて(つながりとバランスは一つでは表せない)何をやったらいいのかがハッキリ分からない。
環境問題は、どんどん難易度が上がっているが、それに対して何とかしようという動きにはなっている。
そういう意味で言うと「進化する前の人類」と「進化した後の人類」と考える。
ほとんどの人は「半径50cm以内」「せいぜい今から5分」「せいぜい明日のプレゼンまで」という狭い軸の中で生きている。
進化した後の人間は、今ここで考えたり決めたりする時に、ごく自然に地球の裏側のことを考えたり7世代後のことが判断に入って来る…そういう意味でいうと軸が広がった人類に、進化している最中じゃないか(日本でも世界でも、そういう兆しをあちこちで見ることがある)。
確かに状況的には悪化しているが、いいところを見ているからか希望があるし、楽観的でいられる
1部終了(ぜーぜー)。