優さんメルマガより抜粋します。
「おカネもエネルギーも食べものも地域でまわす」
(「ライブアースまつやま」の)初回から参加して、今年で7回目になる。
最初の年までぼくは勤め人をしていた。
そこから自立し自分の稼ぎで暮らすようになった。
数年前、電気を自給する暮らしは可能になると話していた。
去年、ついに自宅の電気を自給した。
太陽光発電とバッテリーを組み合わせて、自宅で発電した電気で暮らしている。
晴れている日には電気はふんだんにある代わり、雨が続くとバッテリーの残量を見守りながら節電して暮らす。
晴れた日に余る電気で井戸を復活させた。
水道は止めてしまった。
家の暖房装置はペレットストーブなので灯油は使わない。
地域の木材から作った木質ペレットを燃料にし、遠くの中東からの石油におカネを払うことはなくなった。
生まれてからずっと住んできた東京を離れ、今は岡山の過疎地に暮らしている。
趣味は薪割りだ。
こうして暮らすことで、少しずつ安心感が増している。
近くの人たちが作ってくれた無農薬の野菜をいただき、少しずつだけど自分でできることを増やしてきた。
おカネに頼らなくても暮らせる部分が増えたからだ。
そして稼いだおカネは地域に払う。
遠いアラブではなく地域に払う。おかげでなにかあってもビクともしない暮らしだ。
でも努力忍耐はしていない。
努力忍耐したら、特殊な人にしかできない暮らしになってしまうから。
誰でもできる、難しくない暮らしを実現した方がいい。
社会を変えたいと思っても、他の人たちと一緒にできなければ実現しないのだから。
次はなんとか電気自動車を手に入れ、自宅の電気だけで出かけられるするようになりたい。
地方のほうが東京よりずっと暮らしやすいと人々が気付けば、人々は地域に分散して暮らすようになって都会は解体されていくだろう。
地方に住むのが羨ましくて仕方ない状態にできれば、それはきっと可能になる。
不自然なものはなくなるのがいい。
たかが電気を生むために命がけの原発を動かすのは自然じゃない。
都会で暮らすためにブラック企業に勤めて、わずかな給料で奴隷のように働かされるのは人間に適さない。
自然から与えられる太陽や木のような減らない資源を利用して、森が回復する年数以上に使うなら、私たちの暮らしは「持続可能」なものになる。
自然の摂理とうまくつながれば、虫もつかない栄養豊かな作物を作り出せるしそれを食べることで元気になれる。
もっと自然に寄り添えば、ぼくらはきっと豊かになれる。
それをあきらめてしまうのも自分だ。
実現したい未来をイメージして、そこに一歩ずつ進めていく。
それには強いイマジネーションが必要だ。