バンビの独り言

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環境はエンタメだ!「権威が嫌いな自分が好き」田中優

2011-10-29 16:05:05 | 田中優&鎌仲ひとみ
今までも、環境はエンタメだ!の優さんの文章をずっと紹介してきました~。

第二十二回「日本人=ダチョウ起源説」
http://rooftop.cc/column/tanakayu/003625.php
第二十一回「生きるに値する社会を」
http://rooftop.cc/column/tanakayu/003561.php

今回も優さん節は痛快で面白いです!ぜひ♡






第二十三回「権威が嫌いな自分が好き」(2011.10.28)
権威なんて邪魔なヤツは蹴飛ばしてやりたい

正しいことなんて誰にもわからない時代に生きていると、どうしても何か権威にすがりたがる。
それは学問の世界だけにとどまらない。アートだって同じだ。
関係者には申し訳ないが、由緒正しい芸術をありがたがる気持ちがわからない。
ミイラに思えるからだ。
だってアートって、たいがいその時代には物笑いの種だった。
「あんなくだらないもの」と虐げられてきたものが、時間が経ってミイラになるとありがたがられる。
もう毒がなくなって、体制批判もなければ風刺も利いてないのに。

アートのメディア性を無視したくない。
たとえばフィリピンでの運動は音楽と共に始まり、マレーシアでは劇から始まったりする。
ぼくはこの意味で日本で最もメディア性を持っているのは「マンガ」ではないかと思う。
人の心の琴線に触れながら、ぎりぎりの抽象化を行うことで普遍性を持とうとする。
そう考えたときに、アートの分野は無限の広がりがあっていいはずだ。
「絵画、音楽、映画、小説…」ジャンルに分かれていること自体が奇妙に思える。
もっともっと表現の仕方は自由でいいのに、ジャンルにとらわれること自体が権威主義ではないか。

よく人が「私は〇〇になりたい」という。
それは職業だったり分野の名前だったりする。
これも奇妙ではないか。
職業になりたいなんて、自分で閉じ込めている檻のようだ。
「机になりたい」「椅子になりたい」というのと同じくらい奇妙に聞こえる。
ぼくは長年の間、自分になりたいものがなかった。
なんでぼくにはなりたいものがないのか不思議だった。
というよりコンプレックスだったかもしれない。
だけど気づいたんだ。
「ぼくは机になりたい」と言うほうが奇妙だったんだ。
ぼくがなりたかったのは、ぼくの考える最高の自分だったんだ。
机や椅子じゃなくて。
それじゃなんで、そう考える人が少ないんだろうか。
自分が希望する自分自身になることが、一番の理想であるはずなのに。
きっと「権威」が邪魔してるんじゃないかな。
権威なんて邪魔なヤツは蹴飛ばしてやりたい。
ぼくはぼくになりたいんだ。

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