今年の1月14日に、鈴木家のばーちゃんが亡くなった。
私がけーすけと結婚した頃には認知症が進行していたので、いつ会っても「よぅ来てくれたね。ご飯食べてって」と声をかけてくれた。
(けーすけが「ばぁちゃん!けーちんは俺の嫁さんだよ」と話すと「ほっかん(三河弁で「そうなの」って意味)」と毎回言ってた。笑)
一度も嫁として認識してもらったことはないけれど、毎回「ご飯食べてって」と言ってくれる。
他人にもどんな人にもひっくるめてあったかい人なんだよね。
けーすけの両親は公務員で共働きだったので、けーすけきょうだいは、主に、大きいおばあちゃんと小さいおばあちゃんの「2人のおばあちゃん」に育てもらった。
厳しかった大きいばーちゃん(父性性)と、とにかく優しかった小さいばーちゃん(母性性)にバランス良く育てられた鈴木家の3人きょうだいはみんな誰に対しても優しく器がでっかくて、裏表なくて、気持ち良い人たちばかり(だからかそれぞれのパートナーも気持ち良い人ばかり♡)。
小さいばーちゃんに一度も叱られた覚えがないと、叔母(娘)も、けーすけ(孫)も言う。
けーすけが聞き分けが良かったから怒る必要がなかったわけではなく、小さかった頃は超やんちゃでいたずら坊主で大変だったみたいだから、ばーちゃんがおっきな愛で受け止めてくれたってことだと思う。
優しさの塊である義父ちゃんも、優しさの塊であるけーすけも、小さいばーちゃんの「優しさだらけ」を受け継いでるんだと思うと、小さいばーちゃんには感謝の気持ちしかない。
足の強いばーちゃんは認知症になってから徘徊するようになり、どんどん遠くまで歩いて行っちゃうので、介護に限界を感じてグループホームに入ることになった。
入所して2年近く経過した昨年末、「食が細くなってきた」とホームから連絡が入った。
昨年末にみんなが交代で会いに行った時にはまだ歩けたし、話もできた。
1月14日、亡くなる直前には、口をつぐんで水分さえ取りたがらなくなった。
「看取りの現場」に携わっている訪問看護士さんのお話を聴くことが度々あり「人が水分を欲しなくなった時、逝く準備をしているということ。自然に任せておけばそこから数日で亡くなる。身体が水分を欲しなくなったのに点滴で無理矢理水分を与えてしまうと苦しくなってしまう」と聴いていたので、ばーちゃんは最期が近いんだなと思った。
義父ちゃんとけーすけがグループホームのばーちゃんに会いに行き、手を握って話しかけると「(わしはもう)寝る」と言って目を閉じたそう。
その夜、ばーちゃんはスタッフさんが見守る中で、大きく呼吸したあと息を引き取ったそうだ。
全く苦しむことなく、死の恐怖もなく。
幸い、ばーちゃんには点滴の管は通っていなかった。
翌日、訪問看護をしてくれていた医者に死亡診断書をもらいに行くと、そこには「老衰」「治療なし」と書かれていた。
こんな幸せな最期を迎えられる人はどれだけいるだろう。
「水分を欲しなくなったら逝く準備。点滴しない方が楽に逝ける」ってことが常識になるといいな。
ばーちゃんが霊柩車で家に連れ帰ってもらってから葬儀が終わるまで、こんなに寒い地域(標高480m)の一番寒い季節なのに、毎日気温は10度近くあった。
しかも、義父ちゃんもわたしたちも、これといった仕事のないタイミング。
ばーちゃんは最後の最後まで家族にも、葬儀の参列者にも優しい人だった。
私はじーちゃんばーちゃんと同居したことがないから、故人と家で過ごすことも、家から出棺することも、収骨したことも初めて。
四十九日や、お坊さんが家に来ることや、檀家の存在もなにも知らない。
でも、(順番なら)今度は私たちが義父母を送る順番。
「なにも知らない」では済まされない。
「いなかの長男坊の嫁」としての覚悟ができた気がした。
鈴木家に嫁いで3年とちょっと。
昨年は(けーすけの)祖父が亡くなり、今年は鈴木家ばーちゃんが亡くなり、鈴木家の一員として葬儀に参加した。
長女は仕事を休んで、お通夜にも告別式にも参加しくれた。
誰かが亡くなることは寂しいことだけど、家族みんなが協力して一緒に過ごすことで絆が深まる。
そうでもなければ話すこともなかった親戚の方とも親しくなれたし、一つ一つが全て学びだった。
鈴木家にはイライラしたり、理不尽に怒ったりするような人は誰もいなくて、みんな穏やか、みんな優しい。
連れ子だった私の娘たちのことも、実家のじーばーのことも、みんな本当に優しく大事にしてくれる。
鈴木家の仲間入りさせてもらったことが、私の人生最大の贅沢だと思うのです。
そして、日に日に、家族みんなのことが愛おしく、大好きで大切な存在になってる!
美登枝ばーちゃん、ありがとう。
けーすけを通して「人は優しいばっかりでもいいんだ」ってことを教えてもらったよ。