そうだ!昨日の朝の風景。
四万十塾、塾長のとーるさんをいじって遊ぶムスメたち。
たっくん、靴の中敷をとーるさんの耳に見立てて 「うさぎ~」 って。
子ども達、どんどん悪ノリしてって、草やら何やらをとーるさんの髪に乗せていく。
「とーるさんがいじられてるよー」とスタッフ大ウケ。
うちの子たち、日頃からプレーリーダーにむちゃくちゃやって遊んでるから、大人はこういうもんだと思ってるかも(笑)。
容赦しねぇゼ。
(板取ツアーでも、優さんの体で遊んでたし。リュージにはめちゃめちゃやってたし。笑)
とーるさんに「大変なことになってますよ」と言うと
「親の顔が見てみたい!!!」
って。
…つ、つい、客観的に楽しむクセが(汗)。
カヌー終わってから「地域ケイザイ哲学ダンギ」を受講。
まずは、名古屋大学準教授の高野先生。
「会場はどこ?」って聞いたら「草むらだよ」って。
いたいた。
歩いていく道で、こんなもの発見。
ヘビの皮だぁ~。
財布に入れといたらお金持ちになれるという、ソレね。
右側が高野先生。
左の方は名古屋からの参加だそーです。
(長野在住の方もいました♪)
「みんなが幸せになる◯◯とは」について、ディスカッション。
高野先生の講義は、みんなが意見を出し合って、その中で気づきを得るというもの。
環境活動は「楽しい」「お洒落」「ラク」でなくてはならない。
それも分かるけど、「石油の枯渇」「原発で事故が起きたら、今までみたいな暮らしはできない」ってことを忘れてはいけないという意見。
何かが起こった時、自分の範囲内で修復可能な暮らしができるといい。
石油に頼った暮らしをしていると、修復するのに、莫大な時間、予算、エネルギーが必要になる。
今は、自分の分からないところで世の中が動いている。
去年の新型インフルエンザ騒動でのパニック。
自分たちだけが安全でいたいとマスクを買い占めた人。
今回のことはそう大したことじゃなかったけれど、もしこれが食料危機だったら、もし水の問題だったら…?
自分だけが(自分の家族だけが)幸せでいようとする人たちが、情報コントロールされたら「分かち合う」ではなく「独り占め」する事態が起こってしまうだろう。
地域、価値観の合う友達、一緒に活動している仲間など、多様な共同体の中で暮らしていくことが幸せ、という意見も。
私ね、貯金もたくさんないし、経済的に裕福ではないから、そういう意味での「安心」はないけれど、私には家族のように大切な人がたくさんいて、我がことのように親身になって助けてくれる仲間がたくさんいるの。
それが私にとったらイチバンの「安心」であり「幸せ」だよなぁ、って話しててしみじみ思った。
高野先生の「千年ゼミ」は未来に希望が持てる、幸せで嬉しい時間♪
そして、お次の講座までしばし休憩。
「NPO法人 森の蘇りhttp://mori-no-yomigaeri.org/」のフラードームで、ムスメたち、遊んでました。
(解体すんの、もったいないぜー)
7Gwalkのけいほくん、まっぽんたち、ギター弾きながらゆるい時間。
少しココに混じってました。
15:00~は、東京と群馬の二重生活をしている、哲学者「内山節さん」の講座「
共同体の経済哲学」。
内山節さん(http://www.uthp.net/)
参加者、続々と増えて来ました。
内山さんのお話をおおざっぱにまとめます。
(詳しくは、内山さんの書籍を読んでね。http://www.uthp.net/tyosyopage.html)
昔も物々交換というものはあまりやってなかった。
なぜならば交換の基準がないから。
米1キロと、大根3本?
価値をどう決めればいいのか分からない。
だから「交換」じゃなくて「あげよう!」(お礼、という形式)。
そうすると、「気持ち」が大事だから、価値が同じでなくていい。
そうすると強欲な人が出て来て、社会が混乱してしまう。
では「交換」にルールを決めようと、共同体で内部のルールを作り始めた。
例えば、「お香典」と「香典返し」。
これも地域によってルールが違う。
例えば、内山さんが二重生活している群馬県のあるところでは
(以前)香典返しは金額に関係なく「米5キロ」と決まっていた。
お米が収穫できない地域だったので「お米」が貴重だった。
そこで、人々は「米5キロ」の香典返しで損させない額を持っていく。
最近、「離婚式」というのも流行り出している。
えぇ?ありえな~い!と思う人もいるだろうが、人間が「それでいい」と納得できるルールができるのであればそれで良い。
群馬の田舎、コンビニまで片道1時間以上かかってしまうので、それぞれの家庭が「コンビニ」のように食料などを常備している。
だから、足りないものがあれば、お隣さんに「貸して」もらい(返さなくていいよ、あげるよ、って場合も)後でお礼をする。
労働してもらった時も、「ありがとう」だけで済む時と、労働に見合ったお金を渡す時もある。
村にはそれぞれルールがある。
かつての地域社会には
◯文化的交換
◯儀礼的交換
◯慣習的交換
があった。
地域社会の中では伝統に従った交換をするが、共同体の外の人とは「商取引」になる。
今、田舎が、観光地化、テーマパーク化してしまっている。
周りの自然を除外して、建物だけを保全してもダメ。
生業しながら、きれいな建物だけが並んでいるなんておかしい。
古いもの、お墓、地蔵、石仏などが点在しているのが本来の農村の姿。
群馬では、何を保存するか、なぜそれが必要なのかを寄り合いで決める。
多数決でなく、満場一致になるまで議論を重ねる。
(だから結果が出るまでに時間がかかる。今の時代に合ってない。笑)
………………ここで、私、目が開けてらんなくなり(ここんとこ、睡眠時間4時間)途中、ゲルの外で1時間、マジ寝………………
復活してゲルに入ると、な、なんと森林の話だったぁあああああ!!
グローバルな中で木材の価格が決まっていく。
丸太にするまでの市場を考えていかないといけない。
(?????ここんとこもっと聴きたかった~~~)
今年、米の価格が下がっている。
まず、買い払い金で、60キロ9,000円で農家に支払っておき、差額を後で払うシステムになっているが、差額はせいぜい2,000円くらいになりそう。
しかし、米作りには、60キロあたり1万円くらいの経費がかかっている。
(経費をかけずに米は作れない)
どうやって価格が決まるか?
スーパーがいくらで売るのか決めてから、逆算する。
合理的メカニズムで決めていくわけではない。
例えば、ブランドバッグ50万円だとして…
原価は5万円かもしれないが、50万というプライスが決まって、それでも欲しいという人が買う。
米の価格の決め方も農家の事情が全く反映されていない。
今は、市場経済のしくみが、非人間的、非自然的にできあがっている。
そうすると貨幣自体が暴走してしまう。
(きちんと正当に反映されていたら暴走することはない)
貨幣経済が暴走すると、「お金儲けするためには、お金を転がすのが一番いい」ということになってしまう。
私たちの周りはそういう貨幣経済になっている。
一方で、そういうことに振り回されたくないとも思っている。
ではなぜ実行できないのか?
生命世界が見えなくなっているから。
もし人々が、自分の財産の20%を「みんなから預かっているお金。みんなに返していくお金」と考えることができたら、気持ちが大らかになる。お金に縛られなくなる。
「良いアイデアがあれば使おう」
「みんなのためになることがあれば使おう」
と。
(NPOバンクと似た考えだなぁ~と思った)
内山さんたちは、そういう仲間と共に、日比谷にレストランをはじめた。
愛媛銀行、日本政策投資銀行も出資してくれ、公益的に人間が繋がれるように、実験的にやっている。
(「地域通貨」ではなく「ネットワーク通貨」も、実験中)
…………
Q.なぜ農村は衰退したか?
A.明治以降、中央国家を作るために、国に政策的につぶされた。
田舎は、人間同士が分かり合っているから好き勝手できない。
しかし、自然と共に生きる自由、作物を穫って食べる自由、魚を捕って食べる自由がある。
都会は、マンションに引きこもり、他者と関わらない自由がある。
田舎の自由を「自由の概念」から外し、田舎暮らしは自由がなくて不便だ、ということをクローズアップして、人為的方法でつぶしてしまった。
民主的、共産的といった考えも、日本とヨーロッパでは違う。
ヨーロッパは「生きている人間の社会」。
日本は、ご先祖様や自然も含めて「どう生きるか」といった社会。
日本には祭りや行事がたくさんある。
神様や死者を呼び込むことを大事にされ、お祭りは自治にとって必要。
お祭りを通して町を作っている。
そのために、満場一致になるまで話し合いをする。
これこそが、民主的だけど、ある意味、共産主義とも思える。
…………ここで終了(気づいたらpm5:30だった)…………
続きは、ステージで。
ライブ会場もできて、いろんな人が集まって来てて、な、な、なんと
「13人のグランマザー」のクララさん もいらしてて
4日間のアースキャンプの集大成とも言える時間だったけど、4日間、家のことほっぽり出して遊んでたから…。
(子どもたちも「もう帰りたい」って言ってたし。明日から学校だしな)
泣く泣く、泣く泣く、帰路につきました。
あぁ~ん、家から5分のところで、こんな素敵なことが起こってるのに!!!
素敵な人たちがわっさわっさいるのに。
でも、この4日間、いろんな人と出会ったり繋がったり話したりして、本当に楽しかった。
(全然喋り足りなーーーーーーーーい)
ムスメたちに「学校行かなくていいからさぁ、7Gwalkと一緒に歩かない?」「学校休んで、四万十にカヌー乗りに行かない?」と誘うと
「私はママと違って、きちんと学校行きたいタイプだから」
と長女に言われました(汗)。
はい、間違ってません(笑)。
7Gwalkで高尾山から参加してたチホちゃん(子どもたちと7Gwalkに参加してる)に「羨ましいなぁ」って話したら
「バンビちゃんの子どもたちまでそんな子だったら、特殊な人って見られて、きっとみんなにメッセージ伝わらないよ。子どもたちがフツーだから説得力あるんだと思う。バンビちゃん家はそれでいいんだよ」
って言ってくれました。
長女、今はそういうことより、嵐が出てるテレビ観たり、アイドル雑誌見ながら友達とキャーキャー言ってる方が楽しいようだけど、日々、(私の自慢すべき)素敵な大人たちに囲まれて大きくなってんだもん、きっとその時期が来たら自分で歩き出すよね。
うん、そんな未来が想像できる。
なんか、怖いほど恵まれすぎてた4日間でした。
関わってくれた全ての人に感謝感謝です。
さーて、4日間、遊びまくったからな。
今日から仕事頑張るぞー。
じゃないと、我が家の経済が破綻するっ!
四万十塾、塾長のとーるさんをいじって遊ぶムスメたち。
たっくん、靴の中敷をとーるさんの耳に見立てて 「うさぎ~」 って。
子ども達、どんどん悪ノリしてって、草やら何やらをとーるさんの髪に乗せていく。
「とーるさんがいじられてるよー」とスタッフ大ウケ。
うちの子たち、日頃からプレーリーダーにむちゃくちゃやって遊んでるから、大人はこういうもんだと思ってるかも(笑)。
容赦しねぇゼ。
(板取ツアーでも、優さんの体で遊んでたし。リュージにはめちゃめちゃやってたし。笑)
とーるさんに「大変なことになってますよ」と言うと
「親の顔が見てみたい!!!」
って。
…つ、つい、客観的に楽しむクセが(汗)。
カヌー終わってから「地域ケイザイ哲学ダンギ」を受講。
まずは、名古屋大学準教授の高野先生。
「会場はどこ?」って聞いたら「草むらだよ」って。
いたいた。
歩いていく道で、こんなもの発見。
ヘビの皮だぁ~。
財布に入れといたらお金持ちになれるという、ソレね。
右側が高野先生。
左の方は名古屋からの参加だそーです。
(長野在住の方もいました♪)
「みんなが幸せになる◯◯とは」について、ディスカッション。
高野先生の講義は、みんなが意見を出し合って、その中で気づきを得るというもの。
環境活動は「楽しい」「お洒落」「ラク」でなくてはならない。
それも分かるけど、「石油の枯渇」「原発で事故が起きたら、今までみたいな暮らしはできない」ってことを忘れてはいけないという意見。
何かが起こった時、自分の範囲内で修復可能な暮らしができるといい。
石油に頼った暮らしをしていると、修復するのに、莫大な時間、予算、エネルギーが必要になる。
今は、自分の分からないところで世の中が動いている。
去年の新型インフルエンザ騒動でのパニック。
自分たちだけが安全でいたいとマスクを買い占めた人。
今回のことはそう大したことじゃなかったけれど、もしこれが食料危機だったら、もし水の問題だったら…?
自分だけが(自分の家族だけが)幸せでいようとする人たちが、情報コントロールされたら「分かち合う」ではなく「独り占め」する事態が起こってしまうだろう。
地域、価値観の合う友達、一緒に活動している仲間など、多様な共同体の中で暮らしていくことが幸せ、という意見も。
私ね、貯金もたくさんないし、経済的に裕福ではないから、そういう意味での「安心」はないけれど、私には家族のように大切な人がたくさんいて、我がことのように親身になって助けてくれる仲間がたくさんいるの。
それが私にとったらイチバンの「安心」であり「幸せ」だよなぁ、って話しててしみじみ思った。
高野先生の「千年ゼミ」は未来に希望が持てる、幸せで嬉しい時間♪
そして、お次の講座までしばし休憩。
「NPO法人 森の蘇りhttp://mori-no-yomigaeri.org/」のフラードームで、ムスメたち、遊んでました。
(解体すんの、もったいないぜー)
7Gwalkのけいほくん、まっぽんたち、ギター弾きながらゆるい時間。
少しココに混じってました。
15:00~は、東京と群馬の二重生活をしている、哲学者「内山節さん」の講座「
共同体の経済哲学」。
内山節さん(http://www.uthp.net/)
参加者、続々と増えて来ました。
内山さんのお話をおおざっぱにまとめます。
(詳しくは、内山さんの書籍を読んでね。http://www.uthp.net/tyosyopage.html)
昔も物々交換というものはあまりやってなかった。
なぜならば交換の基準がないから。
米1キロと、大根3本?
価値をどう決めればいいのか分からない。
だから「交換」じゃなくて「あげよう!」(お礼、という形式)。
そうすると、「気持ち」が大事だから、価値が同じでなくていい。
そうすると強欲な人が出て来て、社会が混乱してしまう。
では「交換」にルールを決めようと、共同体で内部のルールを作り始めた。
例えば、「お香典」と「香典返し」。
これも地域によってルールが違う。
例えば、内山さんが二重生活している群馬県のあるところでは
(以前)香典返しは金額に関係なく「米5キロ」と決まっていた。
お米が収穫できない地域だったので「お米」が貴重だった。
そこで、人々は「米5キロ」の香典返しで損させない額を持っていく。
最近、「離婚式」というのも流行り出している。
えぇ?ありえな~い!と思う人もいるだろうが、人間が「それでいい」と納得できるルールができるのであればそれで良い。
群馬の田舎、コンビニまで片道1時間以上かかってしまうので、それぞれの家庭が「コンビニ」のように食料などを常備している。
だから、足りないものがあれば、お隣さんに「貸して」もらい(返さなくていいよ、あげるよ、って場合も)後でお礼をする。
労働してもらった時も、「ありがとう」だけで済む時と、労働に見合ったお金を渡す時もある。
村にはそれぞれルールがある。
かつての地域社会には
◯文化的交換
◯儀礼的交換
◯慣習的交換
があった。
地域社会の中では伝統に従った交換をするが、共同体の外の人とは「商取引」になる。
今、田舎が、観光地化、テーマパーク化してしまっている。
周りの自然を除外して、建物だけを保全してもダメ。
生業しながら、きれいな建物だけが並んでいるなんておかしい。
古いもの、お墓、地蔵、石仏などが点在しているのが本来の農村の姿。
群馬では、何を保存するか、なぜそれが必要なのかを寄り合いで決める。
多数決でなく、満場一致になるまで議論を重ねる。
(だから結果が出るまでに時間がかかる。今の時代に合ってない。笑)
………………ここで、私、目が開けてらんなくなり(ここんとこ、睡眠時間4時間)途中、ゲルの外で1時間、マジ寝………………
復活してゲルに入ると、な、なんと森林の話だったぁあああああ!!
グローバルな中で木材の価格が決まっていく。
丸太にするまでの市場を考えていかないといけない。
(?????ここんとこもっと聴きたかった~~~)
今年、米の価格が下がっている。
まず、買い払い金で、60キロ9,000円で農家に支払っておき、差額を後で払うシステムになっているが、差額はせいぜい2,000円くらいになりそう。
しかし、米作りには、60キロあたり1万円くらいの経費がかかっている。
(経費をかけずに米は作れない)
どうやって価格が決まるか?
スーパーがいくらで売るのか決めてから、逆算する。
合理的メカニズムで決めていくわけではない。
例えば、ブランドバッグ50万円だとして…
原価は5万円かもしれないが、50万というプライスが決まって、それでも欲しいという人が買う。
米の価格の決め方も農家の事情が全く反映されていない。
今は、市場経済のしくみが、非人間的、非自然的にできあがっている。
そうすると貨幣自体が暴走してしまう。
(きちんと正当に反映されていたら暴走することはない)
貨幣経済が暴走すると、「お金儲けするためには、お金を転がすのが一番いい」ということになってしまう。
私たちの周りはそういう貨幣経済になっている。
一方で、そういうことに振り回されたくないとも思っている。
ではなぜ実行できないのか?
生命世界が見えなくなっているから。
もし人々が、自分の財産の20%を「みんなから預かっているお金。みんなに返していくお金」と考えることができたら、気持ちが大らかになる。お金に縛られなくなる。
「良いアイデアがあれば使おう」
「みんなのためになることがあれば使おう」
と。
(NPOバンクと似た考えだなぁ~と思った)
内山さんたちは、そういう仲間と共に、日比谷にレストランをはじめた。
愛媛銀行、日本政策投資銀行も出資してくれ、公益的に人間が繋がれるように、実験的にやっている。
(「地域通貨」ではなく「ネットワーク通貨」も、実験中)
…………
Q.なぜ農村は衰退したか?
A.明治以降、中央国家を作るために、国に政策的につぶされた。
田舎は、人間同士が分かり合っているから好き勝手できない。
しかし、自然と共に生きる自由、作物を穫って食べる自由、魚を捕って食べる自由がある。
都会は、マンションに引きこもり、他者と関わらない自由がある。
田舎の自由を「自由の概念」から外し、田舎暮らしは自由がなくて不便だ、ということをクローズアップして、人為的方法でつぶしてしまった。
民主的、共産的といった考えも、日本とヨーロッパでは違う。
ヨーロッパは「生きている人間の社会」。
日本は、ご先祖様や自然も含めて「どう生きるか」といった社会。
日本には祭りや行事がたくさんある。
神様や死者を呼び込むことを大事にされ、お祭りは自治にとって必要。
お祭りを通して町を作っている。
そのために、満場一致になるまで話し合いをする。
これこそが、民主的だけど、ある意味、共産主義とも思える。
…………ここで終了(気づいたらpm5:30だった)…………
続きは、ステージで。
ライブ会場もできて、いろんな人が集まって来てて、な、な、なんと
「13人のグランマザー」のクララさん もいらしてて
4日間のアースキャンプの集大成とも言える時間だったけど、4日間、家のことほっぽり出して遊んでたから…。
(子どもたちも「もう帰りたい」って言ってたし。明日から学校だしな)
泣く泣く、泣く泣く、帰路につきました。
あぁ~ん、家から5分のところで、こんな素敵なことが起こってるのに!!!
素敵な人たちがわっさわっさいるのに。
でも、この4日間、いろんな人と出会ったり繋がったり話したりして、本当に楽しかった。
(全然喋り足りなーーーーーーーーい)
ムスメたちに「学校行かなくていいからさぁ、7Gwalkと一緒に歩かない?」「学校休んで、四万十にカヌー乗りに行かない?」と誘うと
「私はママと違って、きちんと学校行きたいタイプだから」
と長女に言われました(汗)。
はい、間違ってません(笑)。
7Gwalkで高尾山から参加してたチホちゃん(子どもたちと7Gwalkに参加してる)に「羨ましいなぁ」って話したら
「バンビちゃんの子どもたちまでそんな子だったら、特殊な人って見られて、きっとみんなにメッセージ伝わらないよ。子どもたちがフツーだから説得力あるんだと思う。バンビちゃん家はそれでいいんだよ」
って言ってくれました。
長女、今はそういうことより、嵐が出てるテレビ観たり、アイドル雑誌見ながら友達とキャーキャー言ってる方が楽しいようだけど、日々、(私の自慢すべき)素敵な大人たちに囲まれて大きくなってんだもん、きっとその時期が来たら自分で歩き出すよね。
うん、そんな未来が想像できる。
なんか、怖いほど恵まれすぎてた4日間でした。
関わってくれた全ての人に感謝感謝です。
さーて、4日間、遊びまくったからな。
今日から仕事頑張るぞー。
じゃないと、我が家の経済が破綻するっ!