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「2013.2.2 『まのび放送局』小出裕章さん独占インタビュー★『核融合』部分について書き出しました。
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/bfc7c0ba4094234bd9ea3a84c5881048
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核融合科学研究所というのが岐阜県の土岐市にあるんですが、この研究所は名前の通り、「核融合」というものの研究をする施設です。
核融合というのはなんなのか?
「原子力発電所」というのはウランが「核分裂」するという物理現象を使っています。
それはどういうものかというとようするに「原爆」です。
ウランが核分裂してエネルギーを放出する。
核分裂という現象は「原爆」と「原子力発電」。
人類は「原爆」と言う爆弾を作ったあとで、今度は「水爆」という爆弾を作った。
「原爆」の100倍1000倍というほどのさらに猛烈な爆弾を人間が作りました。
水爆はどういう原理に基づいているかというと、「核融合」という物理現象を使った。
核融合のエネルギーは現実には太陽で起きている。
太陽があれだけ明るく輝いて地球にもちゃんとエネルギーを送ってくれるというそれを支えているのが核融合のエネルギー。
それを地上で使ったというのが「水爆」。
猛烈な爆弾でした。
爆弾のためのエネルギーを兵器ではなくて「人類のために使えないか」、これが「核融合」という研究に現在なっているのです。
つまり、核分裂現象を原子力発電でエネルギーに使ったように、核融合反応をエネルギー源として使えないかということで「核融合研究所」がある。
ずっと長い間その研究を人類は続けてきています。
ただし、私はこの研究は成功しないと思ってる。
大変難しいことで、「地上に太陽をつくりだす」ということであって、猛烈に乗り越えることが難しい壁がいくつもあって、今日まですぐにでもできると学者たちが言ってきたけれどその壁の厚さゆえに、計画がどんどんどんどん先送りになって今世紀の終わりまで、まだ100年くらいあるわけですけど、その間にできると信じてる核融合研究者は1人もいない。
それほど難しいことです。
できないと言う以上に「やるべきでない」と思っています。
なぜか?
核融合というものをやろうとすると「トリチウム」という物質を燃料を使う。
トリチウムは「水素」です。
水素というのは天然に広くあるわけだし水というのは水素と酸素でできている。
私の身体はほとんど水だらけですから水素は山ほどあるけど、天然にある水素は放射能を持ってない水素です。
ただしトリチウムというのは放射能を持った水素。
それを燃料に使うのが「核融合」。
水素というのは閉じ込めることが大変難しい元素で、水素は金属のボンベに入れても、金属のボンベを突き抜けてしまうほどに金属でも何でも突き抜けて出てしまうという、大変閉じ込めることが難しい。
そして環境に出てきてしまえば水になってしまう。
水は人間にとって必須のものですから水素があれば必ず身体に閉じ込んでしまう。
これまでは放射能がない水素だけしか周辺になかったものですから、こうやって人間は生きて来られた。
放射能を持った水素を環境にまき散らすことになれば人間が耐えられるかどうかは大変な問題になるだろうと思う。
核融合をやろうとするなら完ぺきにトリチウムを閉じ込めなければいけないと思うのですが、技術といいうものに完ぺきはない。
100あるものを100閉じ込めることはできない。
95捕まえることはできるかもしれない。
99捕まえることはできるかもしれない。
もっと頑張って99.9捕まえることができるかもしれない。
そういうものが技術なんであって、必ず外に出さなければならないものがでてくる。
今は核融合施設の方は「95%は捕まえることができる」と、それをアイソトープ協会というゴミの専用業者に引き渡すと、質問の方がおっしゃって下さったわけですけど、逆に言うなら「5%は捕まえられません」ということを言っているわけだし、私がもし核融合研究所の研究者だったとすれば、95%といわず、99%にしたい、あるいは99%捕まえたいと思うかもしれないけど、その私にしても完ぺきに捕まえるということはできない。
必ずなにがしか放射能を外に出すことになる。
核融合研究所なんていうのは私から言えば申し訳ないけど要するにちゃちな研究所で、ほんの少ししか使えません、トリチウムにしても。
それが漏れたところでまぁ大したことにはなるとは実は思わないんですけど、でもそういう研究を続けていって、核融合なんてものをほんとにエネルギー源として使うようになったら、それこそ人類破滅になると私は思います。
核融合なんて研究はやるべきでないと思ってます。
核融合研究所の「汚染は少ししか出さないから我慢しろ」と言う主張かもしれないけれど、私は少しの汚染も我慢できない。
研究自身をやめるべきだというのが私の立場です。