私、昔から気になってたこと。
「親に反抗するな」
「年上には敬意を示せ」
って言葉。
小学生の頃からその辺に違和感を感じていたから、嫌な大人にそう言われる度に「私はこんなバカみたいな大人にはならない」と心の中で反発してきた。
(「反面教師」が今の自分を作ってると思ってる)
私の中学の頃って先輩後輩が激しい時代で、1つ上の先輩に挨拶をしなければ目を付けられる。
でも「たかだか1年先に産まれたくらいで、何を偉そうな」って思ってたから、先輩ヅラひっさげて威張ってる人には挨拶しなかった。
なんかさ、そういうのバカバカしい。
生命が誕生してからの長い長い年月の中で、たった数年の違いなんてホコリ以下だよね。
だから私は年下の子に先輩ヅラすんのも嫌だし、いつの時代も後輩と仲良しです。
でね、私が子育てサークルに講師で行って「早期教育は必要ありません」と話す度に必ず出る質問がこれ。
「ばーばが『小さい頃から英語を習わせないと』『絶対音感をつけるためにピアノをやらせなさい』とうるさい。どうしたらいいですか?」
と。
うちのお店に孫のおもちゃを買いに来てくださる方にも
「子どもが賢くなるおもちゃはどれですか?」
とおっしゃる方も少なくない。
私たちは高度経済成長の最中に産まれ育って、競争社会、偏差値教育の中にどっぷり浸かって来た。
「その結果が幸せだったのか?」といえばそうは思わなくて、自殺者の数は交通事故死より多く、鬱、ひきこもり、DV、虐待などなどたくさんの問題を抱えている。
全てが当時の子育ての原因ではないかもしれないけれど、私はかなり影響してると思っているので「子育てを見直す時期に来てる」が持論。
だから私は話します。
私たちが育って来た時代は、良い大学に入って良い就職に就くことこそが幸せだと思われて来た時代でした。
親はそれが子どもにとっての「一番の幸せなんだ」と信じて疑わなかったのです。
だから当時の親を責めることできません。
でも、その時代に「心」が失われ、大量生産、消費社会の中で「自分で生産する」ことをしなくなり、先人の知恵や文化が分断されてしまった。
だからこそ、私たちは、自分の代で見直していかないといけないのです。
昔は「おじいちゃん、おばあちゃんの知恵」は素晴らしいものだったし、祖父母の役割は「子どもをただただ慈しむこと」だった。
でも今の若い祖父母は、自分がしてきた子育てを孫にも繰り返そうとしている。
私たち親は、まわりに流されず、企業戦略に乗らないように、正しい情報をキャッチするアンテナを持つことが大事。
愛する我が子を守れるのは、あなたたちです。
誰かの評価や、強い力に支配されないで欲しい。
強いおばあちゃんには「心配してくれるのは嬉しいけれど、母親である私が正しいと思う育児をします」と話してね。
と。
うちのお店に来る「孫を賢くしたいおばあちゃん」には
「結果的に知能が発達することはあっても、それを目的で作られているものは置いていません」
と答えてます。
私、20歳の頃から「吉村医院」で自然分娩したいと思ってきたのに、(だんな以外の)家族の反対で断念し、医療介入体勢が万全な産科で産んだのよ。
自分の意志ならともかく、周りの反対で涙を飲んだ経緯があるから、今でも悔しい気持ちが癒されていない。
自分で決めて、自分で納得して行動したことじゃないと、後を引くんだよね。
(だから吉村医院が舞台の映画を見ると、感動半分、悔しさ半分、なのです。)
今の子って、私らの時代には考えられないほど学校の先生にも親にもとても反抗的。
3年生ですら、先生の言うことに「うるせー。黙れ」と返す。
ま、これが良い状態だとは思っていないけれど、今ってテレビをつければ政治家が汚職や何やらでモメてるし、相変わらず大人たちは自分が儲けることばかり考えてるし、今の子たちは負の遺産を押し付けられてるしで、子どもたちはそんな大人に対して敬意を持てないんじゃないかね?
尊敬できないのに「尊敬しろ」って言ったって無理な話。
気持ちは内面から湧き出てくるものだから。
恋愛感情だって、人がどうこう操作できることじゃない。
どんだけお金を積まれても、金品を目の前にぶら下げられても、好きでもない相手を心から愛することなんてできない。
私は、子どもに「校長先生って一番偉い人?」って聞かれても「校長先生は学校の代表ではあるけど、偉いかどうかは人がどう思うかだよ」って言ってます。
大人より娘の方が、ずっと正しいこと言ってる場合も多いです。
「愛国心を持とう」ってのもおかしい話で、そうさせたいなら国民総生産(GNP)より国民総幸福(GNH)に重きを置く社会にすればいいのにね。
「親に反抗するな」
「年上には敬意を示せ」
って言葉。
小学生の頃からその辺に違和感を感じていたから、嫌な大人にそう言われる度に「私はこんなバカみたいな大人にはならない」と心の中で反発してきた。
(「反面教師」が今の自分を作ってると思ってる)
私の中学の頃って先輩後輩が激しい時代で、1つ上の先輩に挨拶をしなければ目を付けられる。
でも「たかだか1年先に産まれたくらいで、何を偉そうな」って思ってたから、先輩ヅラひっさげて威張ってる人には挨拶しなかった。
なんかさ、そういうのバカバカしい。
生命が誕生してからの長い長い年月の中で、たった数年の違いなんてホコリ以下だよね。
だから私は年下の子に先輩ヅラすんのも嫌だし、いつの時代も後輩と仲良しです。
でね、私が子育てサークルに講師で行って「早期教育は必要ありません」と話す度に必ず出る質問がこれ。
「ばーばが『小さい頃から英語を習わせないと』『絶対音感をつけるためにピアノをやらせなさい』とうるさい。どうしたらいいですか?」
と。
うちのお店に孫のおもちゃを買いに来てくださる方にも
「子どもが賢くなるおもちゃはどれですか?」
とおっしゃる方も少なくない。
私たちは高度経済成長の最中に産まれ育って、競争社会、偏差値教育の中にどっぷり浸かって来た。
「その結果が幸せだったのか?」といえばそうは思わなくて、自殺者の数は交通事故死より多く、鬱、ひきこもり、DV、虐待などなどたくさんの問題を抱えている。
全てが当時の子育ての原因ではないかもしれないけれど、私はかなり影響してると思っているので「子育てを見直す時期に来てる」が持論。
だから私は話します。
私たちが育って来た時代は、良い大学に入って良い就職に就くことこそが幸せだと思われて来た時代でした。
親はそれが子どもにとっての「一番の幸せなんだ」と信じて疑わなかったのです。
だから当時の親を責めることできません。
でも、その時代に「心」が失われ、大量生産、消費社会の中で「自分で生産する」ことをしなくなり、先人の知恵や文化が分断されてしまった。
だからこそ、私たちは、自分の代で見直していかないといけないのです。
昔は「おじいちゃん、おばあちゃんの知恵」は素晴らしいものだったし、祖父母の役割は「子どもをただただ慈しむこと」だった。
でも今の若い祖父母は、自分がしてきた子育てを孫にも繰り返そうとしている。
私たち親は、まわりに流されず、企業戦略に乗らないように、正しい情報をキャッチするアンテナを持つことが大事。
愛する我が子を守れるのは、あなたたちです。
誰かの評価や、強い力に支配されないで欲しい。
強いおばあちゃんには「心配してくれるのは嬉しいけれど、母親である私が正しいと思う育児をします」と話してね。
と。
うちのお店に来る「孫を賢くしたいおばあちゃん」には
「結果的に知能が発達することはあっても、それを目的で作られているものは置いていません」
と答えてます。
私、20歳の頃から「吉村医院」で自然分娩したいと思ってきたのに、(だんな以外の)家族の反対で断念し、医療介入体勢が万全な産科で産んだのよ。
自分の意志ならともかく、周りの反対で涙を飲んだ経緯があるから、今でも悔しい気持ちが癒されていない。
自分で決めて、自分で納得して行動したことじゃないと、後を引くんだよね。
(だから吉村医院が舞台の映画を見ると、感動半分、悔しさ半分、なのです。)
今の子って、私らの時代には考えられないほど学校の先生にも親にもとても反抗的。
3年生ですら、先生の言うことに「うるせー。黙れ」と返す。
ま、これが良い状態だとは思っていないけれど、今ってテレビをつければ政治家が汚職や何やらでモメてるし、相変わらず大人たちは自分が儲けることばかり考えてるし、今の子たちは負の遺産を押し付けられてるしで、子どもたちはそんな大人に対して敬意を持てないんじゃないかね?
尊敬できないのに「尊敬しろ」って言ったって無理な話。
気持ちは内面から湧き出てくるものだから。
恋愛感情だって、人がどうこう操作できることじゃない。
どんだけお金を積まれても、金品を目の前にぶら下げられても、好きでもない相手を心から愛することなんてできない。
私は、子どもに「校長先生って一番偉い人?」って聞かれても「校長先生は学校の代表ではあるけど、偉いかどうかは人がどう思うかだよ」って言ってます。
大人より娘の方が、ずっと正しいこと言ってる場合も多いです。
「愛国心を持とう」ってのもおかしい話で、そうさせたいなら国民総生産(GNP)より国民総幸福(GNH)に重きを置く社会にすればいいのにね。