まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

殺してはいけない

2012年11月10日 | 

昨日のつづきです。(飛躍しすぎだ・・と思われるかも知れませんが)

幸せの反対、怒りの先にある最大の不幸はというと、戦争、破壊、殺戮、支配、差別ではないでしょうか。
(欲も絡みますが。欲が強いと怒りが生まれるのです)

昔、食事時の「いただきます」は命をいただいて生きているということだという話をしたことがありますが、もし、
こどもに「なぜ、人を殺したらいけないの?魚や牛は殺してもいいの?」と尋ねられたらどう答えますか?

私ならこう答えます。
人はみんな生きたい、生きてしあわせに暮らしたいと思っています。死にたいという人は本当は
幸せに生きたいのです。できないのなら死んだ方がましなどと思ってしまっているだけなのです。
自分がしあわせに生きたいと思うように、人もみんなしあわせに生きていたいと思っているのだから、それを奪ってはいけないのです。殺してはいけないのです。

悪いことをした人は死刑にされてもいいんじゃないかって?

初めから完璧に悪い人も完璧によい人もいません。人、この世のあらゆるものは必ず変わります。
悪いことをした人も全てが悪いわけでなく、必ずよい所もあるはずです。そして、99%悪いとしても
変わる可能性はあります。だから、殺してはいけません。
日本の社会(不完全な人が作った不完全な社会)の中では、死刑は認められていますが、
それは社会の都合(経済的、時間的他諸々)で仕方なくしているのであって、
ホントは殺してはいけない。
悪い心を改めるまで、どこかに隔離すればいいのです。社会の中で仲よく暮らせないなら独りぼっちを経験してもらえばいい。
でも、この社会では今の段階ではできないのです。社会が未熟だからです。人間が未熟だからです。
人間は間違います。間違ったら直せばいい。でも、殺したら終わりです。
みんないつか必ず死ぬのですから、殺すことはないのです。

ちょっと話が逸れた?


魚や牛、豚・・・は?

人間は食物連鎖の頂上にいるから、人間が食べる分にはいいんだ・・・という人がいますが、
私にはどうも納得いきません。

人間が勝手に人を頂上に置いてるのであって、人は自分たちは一番賢いから(文明を持ってるとか)
何でもできるんだ、と言ってるように聞こえます。これは、人間の傲りではないかと思うのです。

やっぱり、
どんな生き物でも殺してはいけない、人間はいけないことをしている(仕方なくでも)

と自覚したほうがいいと思います。


なぜなら、どんな生き物だって生きていたいのです。人間と同じように、生きてしあわせに
暮らしたいのですから。すべての命は平等なのです。その命を自分の都合で奪うのは、
してはいけないことなのです。殺してはいけない。
だから、ホントは「いただきます」だけじゃなくて「ごめんなさい」もいるんじゃないでしょうか。
そして、生きるのに必要最小限にとどめるべきだと思います。
命をもっともっと重く考えるべきだと思います。


虫もそう。害虫という虫はいない。人間にとって迷惑だという意味。殺す以外の方法をとればいい。
殺す以外の方法を見つけることができなくて、やむなく殺してしまったら「ごめんなさい」というべき。
虫には何の罪もない。ただ生きてるだけ。

全ての生き物は、お互いに助け合うことで成り立っているのです。



地球上に、人間だけいて、動物も虫も細菌も植物も他に何もいなければ、人間は生きていられない。
そもそも、人間ははじめから人間だったわけではないし(進化論によれば)。
人間は、他の生き物もふくめて、互いに仲よくしなければ生きていられないのです。

そして、
悪いことをすれば、その結果は絶対よいことにはならない

つまり、人間は(肉食動物も他の生き物も)みんな罪を犯して生きている。
完全完璧な人間はいないということになりますね。

だから、
謙虚になって、少しでも罪を少なくする努力をすることが、しあわせに生きるためには必要だと私は思っています。

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