まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

ようこそ

いらっしゃいませ! このブログは、まるちゃんのひとりごとを中心に テキトーに、マイペースで更新していきます。好きな読書記録や、菜園日記等もかねてます。一緒に元気になれるブログをめざしたいと思いますが、しょもないことも書いてます。ちなみに、いちおう人気ブログランキングと日本ブログ村に参加してます。遊びに来られたついでに、記事下か左サイドバーのボタンを2つポチ、ポチッとしてくださると嬉しいです。ゆっくり遊んでってくださいね。 あ、コメント・置き手紙・トラバ・ボケ・ツッコミご自由にどうぞ。

「痛い」「苦しい」の正体は「怒り」

2018年09月02日 | ちょっと思ったこと

「痛み」はあってもいいんです。実は、あるのが普通なのです。誰にでもある。

ただ人(見方捉え方)によって、それを”どれくらい「苦しい」と感じるか”の違いがあるだけ。

「痛み」はあっても、苦しむ必要は全くないのですよ。

「痛み」はただの「痛み」。

ただの「痛み」を「苦痛(苦しい)」に変えているのは、「怒り」です。

「痛みは嫌だ、消えろ、やっつけてなくしてしまいたい、排除したい」という「怒り」

 

「痛み」と「苦痛」は別物です。

「苦しみ」と「苦しい」は別。

「苦しみ」はあっても苦しむ必要はないのです。

 

「痛い」「苦しい」の正体は「怒り」です。

 

「痛み」「苦しみ」に対して、自分のこころや体に対して、

やさしく、思いやりの、おだやかな気持ちでいること。

「あなたは存在してていいのですよ。あるがままでいいよ。」

と、やさしく受け止めてあげることです。

 

怒らなければ、反発されることも少なくなると思いますよ。

こころにも、体にも、、、自分にも、他人にも、やさしく。

苦しんでいる自分もあっていい、それも認めてあげよう。

現実をすべて認めて、受け入れてあげる。


何度でも言いたい。
苦しみはあっていいし、あるのが普通。だから、苦しむ必要はまったくないのです。
苦しまないでほしいなあ。

人間は生きてさえいればなんとでもなる。
見方次第。

、、、気をつけてね

 

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とにかく、とりあえず、動いてみよう

2018年09月01日 | ちょっと思ったこと

とにかく 動いてみる

とりあえず やってみる

とにかく とりあえず

試してみる

確かめてみる

 

かたまった”痛み”は、あえて動かしてみよう

動かす、ほぐれる、流れていく、、、

できる時に、できる範囲で、休み休み。

 

少しずつ、小さな小さな「変化」を感じてみよう。

 

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気づいてほしいこと

2018年08月31日 | ちょっと思ったこと

(2つめの投稿)

あなたは自分の寿命を知っているのですか?

いつ、この世の命が終わる(=次の世の命が始まる)かは、誰にもわかりませんよ。

それが自然というものです。

放っておいても寿命が来ればいつかは死にます。(だから放っておこう)

85歳になったら(統計による?平均寿命を越したら)、みんな死ぬのですか?(勝手に決めるあなたは何様?神様ですか?)
人は人、あなたはあなた。みんなそれぞれ違うのですよ。

何もできないって? 
体が全部麻痺して動かないですか?? 眼も耳も機能してない??

意識がない??  呼吸もできてない????

…じゃなかったら、できることは色々ある。


死んでないんだからできることはあります!
呼吸できてるでしょう!?

穏やかに平和に明るく生きるには、意識があって呼吸さえできていれば十分!

目も見える?そりゃあ、いいね。

寿命が例えばあと10年あったらどうしますか?
もう歳だからといって、つまらない人生を10年間送るつもりですか?

明るく生きるか、嫌だ嫌だと生きるかは、あなた次第です。

もう嫌だ堪えられない、なんて言って、寿命が、生きるエネルギーが尽きてないのに、自分勝手な思い込み(=妄想、怒り)で自分を殺してしまえば、「今の瞬間に感じている生きる苦しみ」の何倍(つまり寿命までの残りの苦)をまとめて受けることになるのですよ。ああ、なんて恐ろしい。苦はなるべく減らしておきたいよねえ。

味わうのは「今の瞬間」だけの苦で十分でしょ。あえて増幅させることはない。

歳は関係ありません。「今、生きている」という現実があるだけ。

生きている限り、変わり続けます。現実をよくよくよ~く見てください。すべては変わり続けているのですよ、実際。

つまり、いつでも変われるということです。いつでも可能性があるということです。

 

みたいなことに気がついてもらえたら、いいなあ、、、、。

気づきさえすれば、、、。

ただの「脳の誤作動」なんだよなあ。

 

 

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量より質

2018年08月31日 | ちょっと思ったこと

久しぶりの投稿です。元気です!!

家事に両親や兄ファミリー(momoちゃんとか)のお手伝いなど、ぼちぼちやってます。

やることの中でブログの優先順位が下がっておっただけであります。

が、よい本も読んでるし、便利なグッズも買ったし、日々の(小さな)気づきもあるので、時々は記録しておこうと思います。

今日は取り敢えず、こころに浮かんだこと。

 

量より質ですな!

何でもそう。量より質、本質、中身が大事ってことです。

食べる物(体に悪くないか、必要かどうか)、睡眠(心身の疲れを解消する良質の眠り)、住まい(部屋数や大きさではなく住みやすさ)、あらゆる道具(お金も道具。無駄遣いもケチもだめ。ちゃんと使えてるか。本当に必要な道具か)

人間も量より質。(ただ大勢いればいいってもんじゃない)

人生も量より質。(ただ長ければいいってもんじゃない)

多すぎると大変だよ!


そして、

質は「追い求め」ない。

現実をちゃんと観て、あるがままを受け入れる。理想や夢、希望を追い求めないことです。努力すれば、夢は叶うかもしれないし叶わないかも知れない。結果よりも、今しっかり元気に努力していることが幸せなんです。

外にある物を求めるのではなく、自分自身の質を高めよう。

求めるのではなく、高める。

 

とにかく、

量よりは質。

今を充実させて生きる。ただ、一生懸命生きる。

明るく元気に生きる。

ほどほどにね、、、

 

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助かる・・・ワタシもね。

2018年06月05日 | ちょっと思ったこと

この間から高齢の父の調子が悪くて、身体中のあちこちが痛かったり、そのためか吐き気がしたり、眠れなかったり。で、いつもの内科定期健診以外にけっこう病院に通ったりしてます。内科、耳鼻咽喉科、整形外科。来週は神経内科。(原因がはっきりしない。ワタシの所見では「老化(筋肉量低下とか)」&急な身体の老化変化に心が追いつかず、不安によって痛みやこりに過敏になってる??)
総合病院なのですが、科によって先生が週に一日しかいなかったり、曜日が決まってたり、予約がまちまちになったりで、何度も行くことになります。

 

 

今朝、父が、ワタシ(まる)が家にいるので助かる、、、と言っていたそうな。(母の話)

あの~、ワタシも助かってるんですけど。

父は車は乗れないけど、自分で歩けるし、食べられるし、身の回りのことも(洗面、風呂、トイレなど)自分でしてくれてるし、ものすご~く助かってます。(車の免許を返納してくれたのも助かってる)

無理な要求はないし(できることしかしてない^^)。ただ、夜中眠れないときなど、できれば母を起こさないでワタシに言ってもらいたい

生きていてくれるだけで色々してあげられる、つまり、「恩を返すことができる」(させてもらえる)ので有り難いのです。親の恩は計り知れないですから。まだまだ、返しきれてないですからね。

本当に有り難いことです。

ワタシも助かってますよ!

生きとし生けるものが幸せでありますように
お父さんも、幸せでありますように・・・

 

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何のためにやっているのか 

2018年05月19日 | ちょっと思ったこと

どんなスポーツでも芸術(音楽美術…)でも仕事でも、何でもいいんです。

それを「何のために」するのかということが、とても大事。

自分にも、他人にも、「欲」や「怒り」や「エゴ」を増すなら、やらないほうがいい。

不幸への道です。

自分や他人を、なぐさめ、元気にする。

幸福への手助けとなるための、スポーツであり、芸術であり、仕事でありますように、、、。

それは個性で、自分にできる役割分担なんだよね。(得意な事をすればいい)

無智じゃできないし、精一杯やる中で智慧を得る。(知識と技術だけじゃだめだね)

自分だけのため(エゴ)ならやらない方がいい。他人の迷惑になる。

慈悲喜捨のない幸福などあり得ません。

自分が明るく元気でなければ、分けてあげられない。

自分も、他人も幸せでありますように。

 

 

「今、ここ」の現象・感覚・心(自然現象とそのプロセス)を、静かにありのまま、正しく観察すれば、心の汚れ(暗さ)は流れ、流れていく。気づき、智慧が生まれる。

そうやって、この世の苦しみを乗り越えていこう。

そうやって、上手に対処していけば、何も心配することはない。

大丈夫、明るく生きよう。

マインドフルになろう。

 

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助言

2018年05月08日 | ちょっと思ったこと

一度に少しだけのことを学び、
それを直ちに実行する。
これが最も重要な為すべきことです。
より多く知るまで待ってはいけません。
知っていることを今すぐ行ってください。
そうすることで、より多く知ることができるのです。

 

あなたが何かを本当にやっていて、誰かが助言をくれたならば、あなたにはその助言の価値がわかる。あなたはそのことに、既に手をつけているからです。・・・・・もしあなたが何もしていない時に、誰かが何かのやり方を幾度となく語ったとしても、あなたは何も学ばない。助言の価値がわからないのです。
(「自由への旅『マインドフルネス瞑想』実践講義」ウ・ジョーティカ 魚川祐司訳より)


誰かが「不満」を口にし、何とかしてあげたいと思って助言しても、苦しみが和らぐどころか返って反発されることがあります。
不満を口にして怒っている人に、「(楽になる)見方考え方」をいきなり助言しても意味がない。不満の原因は外にあり、自分をなんとかしようと(その時点で)考えてない(「見方考え方」を改善しようとしていない)人には、「見方考え方」の助言の価値はわからないから。

つまり、助言がズレているということです。相手のことがよく見えてないってこと。助言は今じゃない。準備不足。(安易に聞いてもらえると思わないこと)

「苦集滅道(四聖諦)」の真理が本当に身にしみて分かっていないから、こういう失敗をします。いきなり「道」を説いてはいけない。説法してはいけないのです。

まず、「苦」ありのままの苦を受け止めること。相手の「苦」を、「そうだよね~。それは嫌だよね~。そういうことはあるよね~」とありのまま認めなければいけないのです。それから「集」苦、不満の原因を一緒に探り、「滅」苦は無くすることができるよ、大丈夫!と安心させてあげて、最後にその方法「道」を「~してみたらどうかな?」と提示してみる。

準備とていねいなプロセスが大事。せっかちはダメですね。

自分自身がもっともっとマインドフルであるように、精進しなくちゃ。精進が足りない。学んだことは”直ちに実行”ですね、はい!

 

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好きだから・・・

2018年04月11日 | ちょっと思ったこと

ちょっと前、テレビのニュースで4、5歳くらいの小さな子に記者が質問していて、

何の話だったかは忘れたけど、

「○○は好きですか?」「うん、好き」

で、次に

「何で好きなんですか?」

と尋ねたらその女の子は、

「好きだから・・・」

と答えたのです。
ワタシは思わず「そりゃそうだ!その通り!!!」と叫んでいた。

「好きだから好き」なのであって、好きに理由なんてないのです。理由なんて適当に考えた”後付け”でしかない。女の子の言う通り!。なぜ好きかなんて、答えられるわ~けがない。好きや嫌いは、そうだからとしかいえない、理由のない、つまり感覚的なものなんですよ。それを聞く大人があほです。聞かれても答えようがない(どんな答えを”期待”してたんだろ??)。

て、ことで、、、

好きにも嫌いにも理由はないんだよな~(理性じゃない)、だからめんどくさいんだよな~というお話でした。

おわり。

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女人禁制?不浄? みんな不浄です^^ 

2018年04月06日 | ちょっと思ったこと

男も女もみ~んな不浄だよ。

身体は汚れてる、不浄。だから、風呂に入ったり、顔を洗ったりするんです。男も(女も)目くそ、鼻くそ、耳垢、汗、よだれ、おう吐、垢にうんこに、、、、身体の中にはいろんな血液・脂・胆汁など、臓器やぐちゃぐちゃしたものがいっぱい。
男にはうんこないの?身体をもってない?(心は性別は関係ないでしょ?みんな病気)

全ての差別の原因は、、、あ・ほ(無明・無知)

見えてないんだなあ。

(だって、人間だもの、だって、”怖い”んだもの。怖いから差別するつまり、弱虫なんだもの)

 

勝利の経(スッタ・ニパータ193~206 一度読んでみて)

>このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは「観る能力がない」という以外の何だろう。(スッタ・ニパータ206)

 

神聖な土俵? 
文化、信仰はまあ自由(勝手)だけど、囚われてしまうと不自由で、困ったことになるんだよなあ・・・^^;

”なぜ俗世間では女性は抑圧されるのか?”
女性が強いからです。強いがゆえに、強引に、無理やりに、女性は表舞台から降ろされているのです。弱いのであれば、そんなに苦労して降ろす必要はない。

>人類は平等なのです。しかし、一人ひとりが違うのです。劣等感も、優越感も、それを感じることはおかしなことです。そういう人は無智なのです。

>生命というネットワークの中で、「自分」という一個が自分の役割を果たすべきです。「男だから」「女だから」などと言っている場合ではないのです。 「初期仏教の女性男性論」より)

 

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苦の原因になるもの(欲、渇愛)はなくすことができる

2018年04月01日 | ちょっと思ったこと

「欲」(三毒、煩悩の一つ。五感の快楽を求める「五欲への執着」(=欲愛)・「生きることへの執着、生存欲」(=有愛)・死にたくないための「破壊欲」又は明るく生きたいけどできないので生きる意欲がなくなってどうでもよくなる「否生存欲」(=無有愛)の三つを「渇愛」という)は、生命が生まれつき持っている性質、つまり「本能」だからあって当たり前で、そのせいで「生きることは苦」なんだけど、でも”生きるためには仕方がない”面があるよな・・・と今までは理解してたのですが、(高齢者が長生きするためには少しは「欲」があった方がいいのかもとか、ちょっと迷いが…)

あっても仕方がないけど、生きることに「欠かせない」ものではない

別に生死に関わるような、必要なものじゃはない

ということだった

だったらいらない。本能だから仕方ないねえ、生きるためには仕方ないねえ(←これ生存欲)じゃなくて、本能だけどなくした方がいいんだ、なくせるんだ、

ということ。(生存欲がなくなったら死ぬってわけじゃない)

そもそも「生きることは苦」でしかない。(楽を”感じる”とすれば、苦が別の苦に変わる「一瞬」のこと)

その苦の原因はこの渇愛(欲)という本能。
ならば、(幸せ)に生きるためには渇愛はない方がいい。なくしてしまうことは難しいかもしれないけど、少なければ少ないほど楽に生きられるようになる。なくしてしまえれば、究極の楽(幸せ)しか残らないってことになる。

苦の原因なんていらな~い。
明るく幸せに
(寿命いっぱい)長生きしたらいい。

 

一瞬の楽(快楽)のために、大きな代償(苦)を払いながら生きているのが人生なんだよね。ワタシは苦はもういいかな。めんどくさいし。(小さな苦で)小さな楽を日々感じながら生きるのがいい。渇愛が少なければたくさんの楽を感じることができる、こっちをめざしたい。(渇愛・欲が少ないってことは我慢とか苦ではない、逆なんですね)

高齢者にも欲を大きく応援するような言動は控えた方がいいね。^^;

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国境

2018年03月25日 | ちょっと思ったこと

 言い訳、正当化ではなく

   ありのままの事実を・・・

 

 

「国境」は概念(人間が勝手に頭の中でつくったもの。実際に壁を建設したい人もいるようだけど)

心に壁をつくれば、「ジブン」が小さくなる、拡がらない。

「自我中心」に縮こまっている小さな人間は、弱く、怯えて生きている。

怯えるから、さらに壁を強固にする。ジブンを守ろうと思って、逆に敵をつくってしまう。

 

「友達に国境はない」

これはウソだと言えますか?
「友達」のどこに国境というものがあるのでしょうか。出して、見せてもらいたい。
友達との間(外側)に、”見えない”国境という「障害」はあるかもしれないですが。

国境など関係なく、なかよく助け合える「友情」ほど強いものはない。

(壁をつくって)敵をつくらなければ、「無敵」なのです。
友達関係に、友情に、人間関係に、国境という「壁」(目に見えない障害)をつくってはいけないのです。

 

人間は弱いからこそ、なかよく助け合うのですよ。

助け合わなければ、生きられないのです。

 

まあ、理解しようとしなければ、理解はできないのです。
色んな人がいます、この世には。

だって、人間だもの・・・ですねえ。(ワタシも人間

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お守り(五戒)

2018年03月14日 | ちょっと思ったこと

1.殺生をしない

2.与えられていないものを取らない

3.(諸欲による邪行)淫らな行為(不倫など)をしない

4.偽りを語らない

5.放逸の原因となり、酔わせる酒類、麻薬などを使用しない

 

俗世間の人間(仏教徒)が守るべき「五戒」です。

簡単?100%できてる?
無理?やる気がないだけじゃない?

すべては自業自得、悪因悪果です。
少し守って悪因をつくらなければ悪果(不幸)から自分が少し守られ、頑張っていっぱい守ればいっぱい守られる。

戒は「お守り」です。

出家した(ちゃんとした)お坊さんたちはもっともっとたくさんの戒を守って(自分を戒めて)います。それもこれも、自分を悪果から守って修行する(心を清らかにして悟る)ためです。

普通のワタシたちも、5つの戒めをなるべく守って、プラス慈悲喜捨の心を育てる努力(慈悲の瞑想など)をすれば、かなり自己を守ることができると思います。

大事なことは、できない言い訳を正当化をしないこと。「嘘も方便」ではなく、ウソはウソ。いいウソなどない。死刑もセイトウ防衛も殺生。いい殺生などない。(他に方法を見つけられない、つまり智恵がないっていうだけ。法律的には○でも、道徳的自然法則的には×)

正当化すればやりやすくなって、あとで(生きてる間にも、死後の次の世でも)問題(悪果)となって大変な目にあう。悪果の大小はあるけれど、やってしまえば確実に悪果が返ってきます。逆に、少しでも守ってれば安心です。

これは事実だと思います。

できないのは、残念なことにそれだけの人格だから。だって人間だからね。守ろうという意志がないから。怠けたいしね。それが人間。不幸になってもいいと思ってる??

ワタシは虫も、なるべく殺さない工夫をしてます。ゴキちゃんは見ても気にしない。”ばあちゃんに見つかる前に逃げろっ”て念じる。蚊は刺されない服装にしたり、刺さないで~ってシッシするか逃げる。ティッシュにくるんで外に逃がしたり、、、色々工夫できます。

他人事ではなく、自分がするべき努力です。人は仕方がないんです。
他人は守らなくても、自分は完璧に、例外なく守れるようにチャレンジするゾと思うと、かなり楽しいです(努力やチャレンジが楽しい)

今、政界ではウソ、偽りで大変なことになってますね。

自業自得ですから、仕方ないですよねえ。気の毒ですが。
学歴や地位、肩書きなどより、大事なのは人格(道徳、こころ)です。まあ、住んでる世界が違いますが、「他山の石」です。人は偽りを語っても、ワタシは偽りを語らない。自分を守るために。

ウソをついて自分を守った気になってるのでしょうが、全く逆ですからね。しかも、みんな死ぬのですよ。ウソをついて死ぬのと、正直に生きて死ぬのとどっちがいいかってこと。

子どもたちには、うそつきの大人にはならないでもらいたいです。不幸の元ですから。
大人は、子どものよいお手本になる生き方をするべきだと思います。

生きとし生けるものが、幸せでありますように・・・

 

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本業

2018年03月10日 | ちょっと思ったこと

人生は本当に短い。137億年(といわれる)宇宙の歴史から見ればほんの一瞬でしかない。

過去は自分の記憶(未熟な脳みそ)の中にしかない。
未来はまだ来てない未知のもの。どれくらい有るのか、無いのかわからない。

現実的に、何かできるとしたら今のこの瞬間だけ。何もできないで終わってしまうかも知れない。

それは、まずいなあ~と思うのです。と、思っている瞬間さえもったいないような・・・。

人間として生きている間に、しかできないことを、今、やっておかなければ・・・。


死んだら無になると考える人は、今どう生きようが今が楽しければいいと思うのでしょう。何をやったって死んだらチャラだと。

仏教を学ぶと、それはちょっと危ない思想に見えるのです。
今、苦しもうが、今、楽しもうが、それはただ生きているというだけで、苦しくて自滅したり周囲に迷惑をかけたり、自分の楽しみのために自滅したり周囲に迷惑をかけたり、、、どっちも同じ。

楽しみを「追いかけて」苦しみから「逃げ続けて」生きて死んでも、苦しい苦しいと言いながら生きて死んでも同じ。楽しいことにも苦しいことにも、どちらも「執着する」ことでさらなる苦しみが生まれてしまうのです。

どうしても「苦」は終わらない。(実感としての「苦」は人それぞれですが)

みんな誰でも死にますが、死んでも「チャラ」にはならない、というのが仏教です。(すべては因果法則、自業自得で輪廻する)


今、何をするのか。何が出来るのか。何をしておくべきか。

どう生きようと、個人の自由(自業自得)です。
ワタシは、どう生きるか。

仏教の教えのように生きておきたい。

悪を為さず、善に至り、心を清らかにする努力をする。忍耐、堪忍で、悟りに近づく。つまり、有意義にこの人生を生きておきたい。
この生き方は楽です。苦や危険が減ります。明るい生き方です

俗世間ではなかなか難しいかも知れないけど、それでもその方向だけは向いていたい。せめて落ちることのないように。人間のこころは放っておくと悪くなる性質をもっているのですから。

などと、仏教の本を読んで真面目に考えているまるちゃんです。(考えてないで動け!?)

ワタシの本業は、仏教で生きること、、、かな。

さあ、動こう。有意義で充実した一日になるように。

(あ、別に悩んでませんよ。おかげさんで、気楽に楽しくやってます

 

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ブログの記事

2018年03月09日 | ちょっと思ったこと

水曜日に税務署に申告に行ってきました。やることをやってしまえば、あとはすっきりです。

母と一緒なので、ついでにナビをたよりに、母の幼なじみの家に行ってきました。寄島の海に近い閑静なよいところ。リフォーム中で時間もなかったので立ち話だけしてましたが、母はなつかしいお友だちと久しぶりに顔を合わせて楽しそうでした。新鮮な魚や生カキなどもいただきました。母の”足”になると、母の喜ぶ顔が見られるのでワタシもうれしい。


毎日、ただ家事をして用事をして頼まれ事をして、空いた時間に自分のやりたいことをして、ふつうに日々が過ぎて行きます。特に何をやってるわけでもないし、困ることも特にないし、特に何の不満もなく気楽に生きてます。ワタシの日常が人の参考になるとも思えない。なので、ブログの記事をどうしようかと思います。

姪の家に行くと、必ずmomoちゃんがお出迎えをしてくれて、ぴょんぴょん跳んで、くるくる回って、寝転んで(おなか見せて)、キュンキュン鳴いて、毎回再会を喜びます。何十年ぶりの生き別れた親子の再会か?しょっちゅう来てるのに^^;

そして、ピシっといい姿勢をして、じーっとワタシを見つめて待っている。ワタシが動けばついてくる。キラキラの瞳で・・・はいはい、お散歩行こうねえ。

気分転換と運動不足を解消すべく、思い切り走ったり(速くてついてけない)駆け足したり、道草くったりうんこしたり。momoちゃんとお散歩するのは楽しい。


ブログの記事、こんなんでいいのかな?最近、よくわからなくなってきた。

ここのところ、ずっと仏教の本を読んでます。そのことを記事に書こうかとも思うのですが(備忘録として?役に立つんじゃないかと)、でも、仏教が嫌な人もいるだろうとも思ったり。(読む読まないは自由なのですが)

人間って、善いことはなかなかしたくないし、善くないことは本能的にしたくなるし、善くないことしたほうが楽しいと思ってしまう。みんなエゴがあるから、自分はまちがってないと思いたいし、褒められたいし、そのままでいいんだよってなぐさめられたい。問題があっても、あなたが苦しいのはあなたのせいじゃない、(原因は)あなた以外にあるあなたは悪くない、って言ってもらいたい。私の心はきれいで汚れてなんかないと思いたい。このままで、別に何もしなくていい、今のままで十分だ。

だから、「生きるとは」「生命(人間)とは」なんて説く仏教は大きなお世話、放っておいてほしい。(自業自得て言われるからね。心を清らかにしましょうって言われるしね。)

仏教は、個人の自由を徹底的に尊重します。強制も押しつけもなにもない。だって、自業自得だから。すべては因果法則で成り立っているんだから。他人の人生に口を出す権利はないのです。

それでも、仏教は苦を乗り越える道(幸福になる道)を教えてくれているのです。苦の世の中で、苦を乗り越える術がわからなくて苦しんでいる人間、生命(自分もそうですが)を見ると気の毒で、学べば学ぶほど楽になるのになあ、などと勝手に思ったりするのですが、余計なお世話にならないようにしなくちゃいけない。

仏教の話、どうしようかなあ。

 

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「悟り」と「自分の見解」

2018年01月29日 | ちょっと思ったこと

わかりやすい喩え。(深いよ~)

>ある人がアンパンを食べたとしましょう。アンパンがとても美味しいと、その人は喜んでいる。そこで他の人が出てきて、「いいえ、アンパンは美味しくはない。あなたの経験は間違っている。アンパンは不味いはずです」といったとしても、その話は成り立ちません。食べた人にとって美味しかったことは事実です。(ですから、人の瞑想体験は否定できません。)

>その体験を自分の主観、自分の信仰、自分の哲学に合わせて解釈するところが疑問になります。お釈迦様は「修行者の解釈は見解(主観)である」と説くのです。(「なんのために瞑想するのか?」アルボムッレ・スマナサーラ著)

 

全てを知り尽くした者、つまり完璧に悟った者ではない私たちの(”脳みそ”で考えた)考えや見解はあまりあてになりません。各自が経験して気がつく以外ないのだけれど、経験してもそれを自分勝手に解釈しないこと

、、、ただ見えている、ただ気がついている、わかっている(悟っている)。でも、”ワタシはわかっている”とは言うことができない。なぜなら、それは自分の見解でしかないから。自分の(せまい)見解を乗り越えた境地。

難しいけれど、悟りの境地ってそういう境地なのね・・・。(想像でしかない

本当の学び(悟り)は、実際に経験してわかること。本などからの知識は経験を補う補助的なものでしかないし、読むだけで”わかる”なんてことは難しい。頭であれこれ考えるより、つべこべ言ってないで、やってみることだね。やらなきゃわからない。

当然、人は人、自分は自分(見解は人それぞれ)。人に”自分の見解”を押しつけることはできません、ありえません。あくまで、個人の一見解でしかない。気をつけようと思います。

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