石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

ひひーん!

2006-12-19 | Weblog
今年を振り返り、
様々なニュースを象徴する音が聞ける
「ニュース!!さよなら2006」が
来週から文化放送の各ワイド番組で
なんと20種類以上流れます。

これは1本につき1分ほどの長さながら(結構長いけど)
「ああ、これあったあった!」とか
「おおっ!こんな貴重な音があったのか!?」という
出し惜しみしない内容。

自分でも収録しながら驚きの連続だし、
自分たちが取材した音やレポートだから
緊迫した現場が、ありありと蘇ってきました。
今更ながら「音」ってすごいな。



報道部の那須さん(あの本気でドンドンのPDだぞ)が
企画し、音の編集から原稿まで(奇声を発しながら)
書いた渾身の時間!

石森も読み手として1分に全力投球しました!
(原稿も高尾記者とともに書かせてもらったす)
いつ流れるかわからないから(僕にも)
ずっと聞いといて。



あ?まだ時間ある?
じゃあ、もひとつ宣伝していい?

いいの?じゃ。

おほん。

「しゃいきょ」

あ、噛んだ。やり直し。


「最強馬ディープインパクトの引退レースとなる
今年の有馬記念!」

ジャパンカップ快勝の勢いそのままに、
ディープは有終の美を飾ることができるのきゃ!? 
有馬記念は、                 
日本中央競馬会が中山競馬場の芝2500mで施行する
競馬の重賞(GI)競走。

プロ野球のオールスターと同様に、
ファン投票による出走馬の選定のため、
出走メンバーの豪華さや夢のあるレースを目標に創設されたために
「ドリームレース」や「実力日本一を決めるレース」とも。
中央競馬の一年間を締めくくる大一番です。


・・・てなわけで。
何が言いたいかといいませば。

わたすがしゃべっとる競馬のTV番組!
「RIDE ON 22~
SUDADAS」を視てレースの行方を分析し、
(結果は自己責任で、ひとつ。)

番組独自のコーナー、いしもりんの
ハイテンショントークでぶっとばす
「RIDE ON 2×2(にたいに)」の
(馬のタッグマッチ)ゲームで萌えるのだ!

放送は水曜日22時(再放送あり)
グリーンチャンネル!ひひ~ん。
http://www.gch.jrao.ne.jp/

面影

2006-12-19 | Weblog
ある取材で、久しぶりに四谷に行った。
今回の取材現場は
「文化放送旧社屋」の隣りにある。

・・・実は
そこに行くのが怖かった。

僕はいちタレントであり
残念ながら文化放送の社員ではない。

でも、もともとラジオ少年がDJになり
大好きだった文化放送でしゃべるという
夢をかなえてくれたこの社屋に、
自分なりの思い入れがある。
尊敬する人や、大好きな人達とも
ここで出会えた。

また、どんなことがあろうとも
この社屋を見上げて
がんばろうと思ってきた。
正面には玄関口から最上階に続く
大きな十字架のデザイン入りの硝子窓があって
その最上階にはちょっと
ロボットの頭風(?)の意匠がある。
なんだか優しく見下ろしてくいれている気がした。


だから取り壊しが決まってから
その日が来なければいいのにと
内心思っていた。

あの社屋を離れる日には
報道部みんなで記念写真をとったし
誰にもいわなかったけど
携帯の動画ファイルに、
報道部から玄関までの「道程」を保存してある。
今だからいうが、かつて
いろいろと思い悩んだ仮眠室の隅に、
ほんの5ミリほどの字で
名前とお礼を書いた。

・・・今、
どうなっているのだろう?
ディレクターさんに聞いたら
「まわりを囲っていて見えないと思うよ」とのこと。


で、行ってみたら。

真正面だけには
「囲いは無かった」

そこから見ると
ほぼ全体的には原型を留めているのだが
丁度、正面玄関から最上階にある大きな硝子の部分が
そっくり無くなって
それぞれの階の中が丸見えになっている。
お面をはずしたような感じというのか・・・
そのほかの部分はそのままで
見上げれば仮眠室の窓にはカーテンも見えた。
僕は「優しかった顔が無くなった」ことの悲しさと
「ほぼ原型を留めていた安堵感」がないまぜになった。
しかし、それすらも
しばらくすれば姿を消し、
あとにはマンションが建つそうだ。

取材を終えて報道部に帰り
報道部長に話をすると
・・・その答えに驚いた。


「こんどあそこに建てるマンションに

あの正面玄関の大きな硝子の部分が
モニュメントとして
取り付けられるらしいよ」



ああ。そうか。


また会えるんだね。

夜明けの女神

2006-12-19 | Weblog
浜松で育った少年時代、
若者向けの深夜放送の第1部を聴いていても
午後3時からの第2部は始まらず
「ドライバー向けの番組」が放送された。

これは地方局ならではのことで
午前3時で、ネットするキー局が切り替わったのだ。
・・・しかし、僕はがっかりしなかった。

僕は浜松(当時は浜松ではなかったが)の生まれだが
両親はともに前橋の出身で
盆と正月には両親の実家へ「帰省」した。
僕は何日も前からドキドキしながらその日を待っていた。

当時、浜松→前橋間はおよそ8時間。
まして帰省ラッシュの時期は今以上に混んでいた。
そのためいつも早朝に出発する。
早朝といっても午前3時とかそーゆー世界である。
子供のぼくにとっては「ありえない」時間だ。

車の開発者だった父は車を大切にしており
ピカピカに磨き上げられた白いクーペは
姿勢を低くした獰猛な獣の姿のよう。
ヘッドライトが灯る瞬間は
その瞼を開いたかのようだった。

輪郭も朧に浮かび上がる海沿いの国道。
朝霧を蹴立てて東名高速道路の料金所を通過すると
夜空へむけ、離陸するタイミングを
はかっているかのようだった。

夜のハイウェイは
巨大なトレーラーが隊列をなし、
小さな僕はサイドウィンドに顔をつけ
そのコクピットの姿にに畏怖の念を感じた。

だから。
夜のハイウエェイは
少し成長した僕にとっても特別だった。

午前3時過ぎ、六畳間のラジオから流れる
交通情報やドライバーからのメッセージは
机に座っているはずの僕を
遥かなドライブインに連れ出した。

吹雪や嵐の中もものともせず、
遠く遠くをめざすトラックドライバーは逞しく思え、
彼らを慈しむように励ますDJの女性はどこまでも優しく、
「戦士」と「女神」のように思えた。

そして全国のドライバーに語りかける女神は
もしかしたら本当に天国にいるんじゃないか?と
思えた。

そして今。

臨時ニュースなどで
そうした番組に出させていただくことがある。

天国は意外に小さく(笑)
プロフェッショナルな男性スタッフがたった2人で
うっとりするほど鮮やかに仕事をしていたりする。

・・・あの頃の僕と同じ様な少年も
聴いていたりするのだろうか?


なら、君にだけは教えてあげよう。





安心しろ、






女神はいたぜ。