山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

入学式ポッキリの一年生

2020-04-09 22:04:01 | 宵宵妄話

 同じ屋根の下に住む孫がようやく小学校へ入学することとなった。倅夫婦は結婚が遅かったので、当然のことながら子が生まれるのも遅い。当方はこの頃急速に老化が始まるのを実感していることから、孫たちには一日でも早く全ての学校を卒業して成人式を終え、みんなで乾杯したいものだと思っている。

 しかし、時間の経過は絶対的なものだから、勝手に動かすことはできず、その夢が叶うのは、早くてもあと15年後となる。このままの状態で自分が95歳まで生きているとは到底思えないし、生きていたとしても本物の乾杯が出来るにはほど遠い姿になっているのではないか。

 何はともあれ長男の孫が義務教育の学校へ一歩足を踏み込んだのである。4月7日は入学式で、記念写真を撮った後、両親に手を取られて、孫はいそいそと出かけて行った。後ろから見ていても、ぴかぴかのランドセル、ピカピカの靴がまぶしかった。

 しかし、学校生活の始まりは1カ月後の5月の連休明けだという。これは新型コロナウイルス禍に見舞われている現状では、致し方ないことなのだが、それにしても出端を挫かれてしまい、何だか可哀そうだ。本人は至って元気で、まだ集団登校など経験しておらず、クラスでの勉強も友達も出来ていないので、登校が1カ月延びたことをあまり気にしてはいないようだ。なにやら、学校から宿題のようなものを貰って来たようだが、ジジババは干渉しないことにしているので、それがどんなものなのか知らない。

 それにしてもウイルスによる感染者は増加の一途を辿っており、この先1ヶ月経ったら登校が出来るのかどうか、甚だ疑問である。小学校に限らず中学・高校・大学その他全ての学校が、感染症のためにすっきりしたスタートを切れないのは、前代未聞ということになるのではないか。ま、学びの開始が遅れたとて、その気さえ失わなければ、勉強は年齢や時間とは無関係なのだから、それほど心配することもあるまい。

 問題なのは、挫かれた出端をどう受け止めるか、ということであろう。くよくよすることはない。学問はその面白さに気づくまではどんなスタートであっても構わないのだ。孫には登校などとは無関係に、学ぶ面白さをなるべく早く気付いて欲しいと願っている。そして、何よりもウイルスには決して取り憑かれないことを願っている。