山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

三半規管の老化?

2018-10-19 04:57:40 | 宵宵妄話

 このところ体調不良に悩まされている。旅の後半過ぎの8月の頃から、歩いている最中に眩みを覚えるようになったのである。北海道各地の広大な畑の中の道を歩いている時などに、必ず電柱の上から見張っているカラスたちに気をとられて見上げたりすると、その後に眩みが襲って来て、大地が揺れ動くのだ。大地が動くというのは困惑する現象であり、酷くなると歩くのが困難となり思わず立ち止まってしまう。しばらくじっとしていると、大地の揺れは止まり、元に戻るのだが、地震でもないのに味わう感覚は気分のいいものではない。

 立ち眩みや目まいなどの症状の原因を考えてみると、糖尿病の自分の場合は、高血糖や低血糖それに高血圧などが想定されると考え、先ず眩みを感じた直後に車に戻り、持参していた家内用の血圧計で計って見た。すると想像以上の血圧の高い数値が表示されているではないか。いつの間にか血圧が上がっていて、それが目まいや眩みを引き起こしていたのだと理解した。それで当分の間はそのことを前提に食事等に気をつけるようにしていたのだが、先日定期診断を受けてしばらく降圧剤を飲むことになった。

しかし、血圧が下がってもやはり眩みの症状は改善されないのである。医師の話では血糖値は眩みを引き起こすほどのレベルではなく、原因とは考えられないとのこと。だとすれば、この現象は一体何なのだ。メニエール病というのがあるけど、眩みのレベルはそれと思えるほど大げさなものでもないのである。それで、自分なりにいろいろ考えてみた。

眩みというのは人の平衡感覚を司る耳内の三半規管というのが、その機能に異常を来した時に起こる現象と聞いている。100%そうなのかどうかは解らないけど、メインの要因がそうだとしたら、自分のこの現状もやはり三半規管の不調が元になっているのではないかと、そう思った。としたなら、なぜ三半規管が不調を来しているのか?

あれこれと思いを巡らしていたのだが、くるま旅の環境が3カ月と3週間ということで、少し長かった以外は、食事や睡眠や運動等で在宅時と比べて特に変わったことはしていない。食べ物も在宅時と同じだし、睡眠も在宅時以上の時間だったし、運動は少し減ってはいたけど、毎朝努めて歩くように心がけていた。勿論環境の変化は在宅時とは比較にはならない。しかし、環境が毎日変わるということだけで、三半規管に異常を来すようなことがあるとは思えない。

ということで、なかなか納得のいく要因に思い当らなかったのである。

 それで、最後に辿り着いたのが、やはりこれは老化現象の一つの表れではないかということだった。今まで先輩からこのような眩みの話は聞いたことがないのだが、ふと思い出したのは、池波正太郎先生の「剣客商売」の中で、剣の名人秋山小兵衛が某かの剣客との立会いの中で、急に眩暈に襲われて、危い状況となったのだが、気がついて見ればその後身体は自在に動いて相手の剣客を倒していたという話である。その時秋山小兵衛は60歳代後半という設定だったかと思うが、これはもしかしたら池波先生がご自身の体験を巧みに小説の中に取り入れられての話だったのではないか。最初に読んだ時は、へえ、そんなことがあるのか、と半疑で理解していたのだが、今、このような眩みに見舞われていると、はっきりとその事情が理解できて、これは老化の自然現象の一つなのだと思ったのだった。

 老化というのは、身体の変化が1/2勾配を滑るように低下して行くのではなく、階段を下るように低下して行くものだと理解している。しかもその階段は、高さが不揃いで、階段が終わったかと数歩歩いていると、床は突然ストンと低くなって下の段に落ち込むのである。この眩みという奴もその証明なのではないかと腑に落とすことにした。

 つまりはこの現象は、我が三半規管が老化に見舞われて、ちょっと調子を狂わせている状況にあるということなのであろう。身体全体の老化に馴染んで来ていなかったということなのかもしれない。生きものの身体というのは、全体の調和をベースに命を運んでいるのであろうから、いずれは我が三半規管も他の部分と馴染んで、バランスを保ってくれるのではないか。そう思うことにした。これは治療方法など無い自然現象なのだと思うことにした。だとすれば落ち着くまで待つしかないし、それまでの間は我慢するしかない。

 それにしても、この先この身体を組み立てている様々な器官たちが、それぞれどのような老化のプロセスを辿るのか、見当もつかないけど、出来る限り足並みをそろえて行って欲しいと願うばかりである。そして、それらの足並みをそろえさせる脳だけは、あの世に行く指令を発するまで健康であって欲しい。これが一番の願望である。