山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

播種と植え付けの季節の到来

2014-04-06 09:30:17 | 百姓回帰の話

 大自然を相手に仕事をする農業では、春は新しい生命(いのち)の再生を期す季節です。生命の眠っているいろいろな植物の種を播き、植え付けて育てる時期が来ました。植物というのは不思議な生き物で、どこに生命の本体があるのか見分けがつきません。例えば野草一つをとっても、根に生命の本体があるのか、茎なのか、それとも葉なのか、或いはそれらの全てなのか。人生70年を過ぎても未だにその正体が解りません。しかし、自分でも解っていることが一つだけあります。それは種には明らかにその植物の生命の本体が潜んでいるということです。播種というのは、眠っていたその生命の本体に再生を促すという行為なのではないかと思っています。

 先日菜園を再開することについて書きましたが、4月に入ってその使用がOKとなりましたので、早速畑に出掛けて、最初の種を播いてきました。種を播く前に、今まで作られていた方が耕して下さっていた畑を、再度堆肥を入れて耕し、畝切りをしました。たった20㎡の畑なので、耕す苦労は少ないのですが、何をどう植え育てて収穫を期するかということになると、欲深い自分には大いなる迷いがあり、あれもこれもと決めかねています。迷った結果、取り敢えず今回は一畝だけ作り、そこに小カブを播くことにしました。残りの分にはこれからの苗などの様子を見て何を植えるのかを決めることにしました。5月近くになるとホームセンターには多彩な農作物たちの苗が並びます。それらの中からどれを植えるかを決めるのは、これからしばらくの楽しい悩みです。

    

守谷市の土に親しむ農園の借用菜園。縦・横4m×5mの小さな広さだけど、大地との対話、作物たちとの対話、それに天敵の草や虫たちとの戦いなど、楽しみが一杯詰まっている。一番右側に一畝だけ小カブを播いた。いつ芽を出してくれるのかが楽しみである。

 畑をもう少し前に使用するのが許されていたのなら、必ずジャガイモを植えた筈です。私はジャガイモ大好き人間で、日に三度食卓に塩ゆでのジャガイモだけしか出ないメニューでも飽きが来ないというほどです。ジャガイモの植え時も地方によっていろいろあるのだと思いますが、関東のこの辺りでは3月中旬頃が適期になっており、残念ながら今年はタイミングを失いました。

今、決めているのは茄子とトマトを一畝ずつ作ろうと思っています。問題はあとの一畝です。候補としてはピーマン、トウガラシ、ショウガ、花オクラなどがありますが、それぞれ一長一短があって、決めかねています。作る楽しみとしては、やはり花オクラが一番かなと思っています。花オクラというのは、オクラと同じなのですが、オクラは花が咲いた後の実を食べるのに対して、花オクラは何とその花を食べることが出来るのです。オクラの花も美しいですが、この花は大輪で、食べるのがもったいないほど美しいのです。これは苗が販売されていないので、自分で作る必要があります。3年前まで作っていた時の種がまだありますので、何とかなるだろうとは思っているのですが。

     

東日本大震災前まで作っていた畑に咲いていた花オクラの花。直径が20cmほどある大型の花だけど、清楚で美しい。その美しさを堪能した後は、この花を包丁でトントンと細かく刻んで、ネバネバの塊にしたものに白だしやポン酢などをかけると、酒の肴にも十分に対応してくれる珍味となる。

とまあ、このような状態で喜んでいるわけですが、もっと規模の大きな畑をやっておられる方から見れば、笑い話の話題にもならないことかと思います。そのことは承知しながら、百姓の原点としての、大地と作物たちとの対話を味わいながら、これからのその時間を大事にしてゆく積りでいます。