3度めの中国旅行で、日中戦争の始まった盧溝橋へ行くことができた。
マルコポーロが訪れたことがあるから、マルコポーロ橋とも呼ばれている。
大理石の欄干には獅子の石柱が立っているが、獅子の姿態はすべて違う。
七夕の夜、日本の第八中隊は盧溝橋近くで演習を行っていた。
10時30分、いったん中止することにしたとき、銃声が聞こえた。
耳元をかすめる音に実弾と判断した清水中隊長は、集合ラッパをふかせた。
集合した部下を点呼すると、初年兵一名が行方不明であった。
銃声、兵の行方不明という報告を受けた一木大隊長は、一文字山に部隊を集結させた。
午前3時に再び銃声を聞いた大隊長は、北京の牟田口連隊長に電話で支持をあおいだ。
連隊長は、
「敵に撃たれたら擊て」と命令。
事の重大さに一木大隊長は「それでは射撃して差し支えありませんか」と再度念を押し、
「それなら重大だから時計を合わせます」と慎重に応答し、
「午前4時23分」と時計の照合を行なった。
そして、日中全面戦争が始まったのである。
1937年から1945年の終戦まで、
泥沼の果てしない戦争が、8年も続いた。
銃声騒ぎはよくあり、七夕は中国では爆竹を鳴らして祝うのであるが、
銃声と似ているので、その日も爆竹は禁止されていた。
兵の行方不明が重大だったのだが、その兵は用便にいっていたのであり、20分後には帰隊していた。
が、上にまで伝わらなかったのである。
こんなことで戦争は始まる。
大体、一触即発の状態がすでにおかしかった。
さて、盧溝橋のたもとには「中国人民抗日戦争記念館」があった。
その最後のコーナーには、日本の憲法第九条が掲げられていた。
2000年5月である。
あの頃は、中国も世界も、日本は戦争をしない国と考えて(信じて?)いたのだ。
今も、
安倍体制になった今も、
そして周近平体制になった今も、
この記念館に、第九条は掲げられているだろうか。
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まあ、それまでに他に色々あって、単にきっかけだったのでしょうけれど。
今でも憲法9条は、そこに掲げられているのでしょうか。
気になりますね。
つゆさんのお若い事。
お顔見てみたいけれど(^^♪
なにか尋常でないというか、
取り憑かれているのでしょう。
後に強引なインパール作戦をした人で。
冷静に時間合わせまでした大隊長は、まさか擊て、と言われるとは思っていなかったと。
書いていて、あそこにまだあるのか、気になりました。
私、わかります?
17年前ですからね。
今や砂かけババです。
いつも興味深いお話をありがとうございます。
盧溝橋事件について、細かな話は知らないのですが、
こんなきっかけが、、、というのはあり得る話ですね。
だから、こわいです。
初年兵の用便の話、、、、まさか、リアルタイムでご存じのはずはないでしょうから(^^)、ニュースソースは何ですか?
興味が惹かれます。
日中戦争は7月7日に
始まったんですね
歴史にくわしいようですね
「昭和の歴史5『日中全面戦争』」藤原彰(小学館)です。
連隊長が電話を受け取ったときの一部始終を聞いていた今井武夫著『支那事変の回想』(みずず書房)も。
この事件後、始まった当初は両軍とも争いをおさめようと、何度も話し合いが行われたようです。
その辺の話も面白いです。、
一触即発だと、兵隊さんが下痢をしだけでも始まってしまうのですね。その方はNHKでも証言していたらしいです。
この場合、中国軍の演習地であった竜王廟の近くに日本軍が借りたわけでもなく、勝手に演習に使っていたということです。
北は日本にmissileを打ち込むのか。
北の坊やのしていることは、戦前の日本に似ている気がするのですが、あの時代、核はなかったので。
大将は、それが恐くて、海外へ逃げ回ってるのでしょうか。