コロナ禍、終息の兆しは見えず、憂うつな日々。友人からの絵手紙に少し元気が出る。
この絵手紙は、後のち、世界遺産になるかも、と息子の言葉(笑)
そして、また思い出したトーマス:マンの『ベニスに死す』
若いころ、トーマス・マンの原作で読んだときは、こんな壮絶な愛もあるのかと衝撃を受けた。嫌悪感も偏見も抱くことなく。
ベニスに滞在する大学教授でもある初老の作曲家が、美しい少年に惹かれる。遠くから眺めるだけでしかない愛のかたち。
折しもベニスにはコレラが流行しはじめる。逃げだす観光客たち、街は消毒薬のにおいと遺体を焼くにおいにまみれ、閑散としていく。
少年の家族はなぜか滞在しつづけるので、教授も居つづける。
ルキノ・ヴィスコンティ監督は、国の崩壊、貴族、旧家、人の崩壊を描くひとだ。
ここでもベニスの街とダーク・ボガード扮する音楽家の崩壊が描かれる。原作はそんなに長くないのに、延々としつこく、最後まで醜く。
ダーク・ボガードは、唇のあたりの少し卑しい感じをのぞけば、好きな俳優だった。いい映画に多く出演している。年齢からして、中年になってからの彼しか知らないが。
(写真はネットより)
台詞のなかに──芸術に健康な魂は必要ない──とある。
これはトーマス・マンの言葉でもある気がする。
確かめたいが、あの本はどこへやったろう。
別ブログからの再掲。2013.4.11。
「ベニスに死す」は
ヴィスコンティ監督の代表的な映画ですね。
最初は同姓愛の映画かと思っていましたが、
美少年タッジオを見て、
有りそうな話だと思えました。
原作では小説家のアッシェンバッハを、
音楽家に置き換えたところが、みそでした。
ボガードとマーラーの交響曲のシンフォニーで
名画になったのでしょう。
なんとなく、それに違和感があったのですが。
音楽のことは気にしてなくて、
さすがyinanさん、それも効果を上げているというわけですね。
ヴィスコンティで、印象に残るものと言ったら、やはりこれと「若者のすべて」でしょうか。
大作は、いろいろありますが。
表現するという行為だけに焦点を当てれば、健康な魂だけでは文化は進化しない、のでしょうね。
もう少し、どうでもよいもの、ためにならないもの等を表現することも、あるときは必要だと、これは短歌の評論で頭に残っている言葉でした。
、、、、同感、と頷いている自分が居ました。
綺麗な少年ですね。
今や60歳を超えた痩せたおじいさん。
年を取ってから、ある時期、
やたら、この映画を思い出すことがありました。
ダーク・ボガードに感情移入して、、、。
でも、最近は、それも忘れてました、、、。
余裕を失っていたなぁと思います。
ちょっと、ざわざわする映画の話でした。
ありがとうございます。
ためにならないもの、無用の用という言葉もあったような。
ここでは、芸術的精神のことを言っているのでしょうけれど。
それを突きつめたのが
やはりマンの「トニオ・クレーゲル」でしょうね。
ボガードも、若きころの写真があり、それもバツ!
ヴィスコンティの映画に盛んに出ていたころが、油の乗り切った時代だったのでしょう。
共感を覚えるのはなぜ、と考えると、
ざわざわしてくるのかしら。
自分の愛がどのようなものなのか、
映画で探求しかもしれませんね。
彼の愛がアブノーマルであったから、
「ベニスに死す」をはじめとする名作は生まれなかった。
ヘルムート・バーガーなどと……。
きれいだけれど、下手。
愛の追求のように思えながら、
虎猫さんのコメントに返事を書きつつ、
これは、「老い」と「若さ」の対比でもあったのかなと。
いま若くて、きれいな人たちも、いずれは老いる。
若さに執着しすぎることの醜さも描いているのではないかと思いました。