カーネーションを贈ってくれた○○子ちゃんに、翌日、お礼の電話をした。
彼女が一番つらいとき、わたしも闘病生活に入り、よりよい助言も出てこなかった。
従来の元気があれtば、新幹線に飛び乗っていたであろうに。
お互いの家族の消息を話し、私の状態がよくないことを知ると、
「ね、叔母さま、なにか欲しいもの、ありません?」
「もう、なにもないのよ。お洒落をして出かけることもないし」
「食べたいものとか」
「おかげで、食い意地だけは張っているから、なんでも食べられるのよ」
「ほかに、なにか、役に立つことはありませんか」
その言葉がけっして外交辞令ではないこと、真心のこもったものであることが嬉しかった。
「そうね、○○子ちゃんと暮らしたい」
「あはは、わたし、料理はわりと上手ですよ。お掃除はあまりしませんけどね」
淋しいのか、うれしそうに答えてくれる。
それを娘に話す。
「○○子ちゃん、ほんとに優しかったの。あの子も苦労したからね」
そして翌日、娘が同じピンクのバラとタルトを持って帰って来た。
これがそれ。タルトのほうは、写真を撮り忘れ。とっくにお腹の脂肪となって。
誕生祝いに、兄たちからも徴収して、立派なものを贈ってくれたから、もういいのに。
毎日、食事の用意をしているのに、○○子ちゃんと暮らしたいと言ったから傷ついたかな。
ひっそり暮らすわたしに、本を贈ってくれる人、花を贈ってくれる人、電話をくれる人(彼女は映画の話)
ありがとう、ありがとう、感謝でいっぱい。
あれから一週間。
つぼみだったバラも開きだし、
カーネーションも。
花もそれぞれ咲き競っている。
また、ベランダ園芸することになるかしら。