SBS月火ドラマ<野王>は絶えず作品性論議に苦しめられながらも結局MBC <魔>をクリックして、月火ドラマ視聴率1位を占めた。
ドラマは 現実ではない。
仮想の空間で 仮想の話が繰り広げられる。
話にならないと問うことは無意味できる。
その後、ドラマの設定自体が崩れることもできる。
しかし、言葉がされてないされては ドラマの設定や背景ではなく、その設定と背景を活用したストーリーの構成の問題という点だ。
ハリュ(クォン·サンウ)が 死んだ兄の身分を利用して 自分を裏切った女に復讐を敢行することや ダヘ(スエ分)が 財閥家に入ることは現実的だとすることはできませんが、 "設定"と感じることができる。
設定自体に 疑問を提起するのは無駄なことだ。
"ドラマだから"という言い訳が通じるからだ。
しかし、復讐のプロセスが 説得力を得るためには、 "ストーリーの力"が必要だ。
このストーリーが説明されるには 原因と結果よりも 過程に力を載せるべきである。
しかし、<野王>は、このプロセスを 見落としている。
時には、周囲の状況や登場人物の性格さえ 無視して 視聴者の笑いをかもし出す。
<野王>の主人公たちは 時々理解できない行動をする。
徹底した性格のベク・ドギョン(キム・ソンリョン)は、十分に 疑わしいハリの登場を簡単に受け入れ、彼の嘘に 簡単に騙されていく。
ダヘは ハリュを疑うが、緻密な性格とは対照的に、指紋を採取する時も、相手にペテンを すべて読むだけ露骨な方法を使う。
ハリュは やはり復讐を誓っている場合、よりきめの細かい戦略と深い考えが必要であるにも 結婚式場で 自分の声で ダヘに電話をかけるなどの正体を 自ら明らかにしようとするかのように行動する。
シーンのために キャラクターの行動に 制約が生じ、それに 応じてストーリーの因果関係が崩れているのだ。
キャラクターは 特定の"結果"を作成するためのすべてを犠牲にしている。 ![](http://ojsfile.ohmynews.com/STD_IMG_FILE/2013/0221/IE001551104_STD.jpg)
論争が起きる製作陣は"中途半端な復讐という設定だった"と説明した。
しかし、ドラマの不始末が 説明されるより むしろ弁解のための言い訳のように感じられる。
キャラクターが 手薄な性格の滑稽な人物であれば、この言い訳が 通るが、ハリュは少し足を無駄踏み入れると 断崖に転がり落ちる状況だ。
一寸の不始末もあって、彼の復讐は 成功することができる。
しかし、それにも<野王>は 視聴者の視線をひきつける。
皮肉なことに 不始末を超えるキャラクターも 魅力のおかげだ。
特に スエが演じたダヘは、このドラマの1等功臣である。
ぜひ応援して 支えなければなら'魅力あるキャラクター"と することはできません。徹底的に 膺懲したい感情を引き出したなら、それも キャラクターの魅力が正しく住んでいたということができる。
ダヘは、公共の敵である。
すべての人が一様に彼女の没落を待つ。
粗末な設定を目をつぶるほど、彼女が 没落する過程のカタルシスは大きい。
ハリュが粗雑な復讐をすることに 対する不満よりも、その復讐が検出されていないで欲しいという感情がより大きくなると、視聴者は ドラマに視線を固定する。
![](http://ojsfile.ohmynews.com/STD_IMG_FILE/2013/0221/IE001551103_STD.jpg)
<野王>を執筆するイフイミョン作家は これまでの悪女キャラクターの定石を見せた。
<ミスターキュー>や<トマト>で キム·ヒソンを困らせたソン·ユナやキム·ジヨンが憎いほど視聴率は上昇した。
最近放映終了した「屋根裏部屋の皇太子」でも 彼の葛藤を稼ぐ方法は、 "悪女"との対立だった。
イフイミョン作家は <野王>で、今まで描いた悪女より アップグレードされたダヘを見せた。
ダヘは 夫も、娘も捨てる。
自分の成功の妨げになら 彼らの命さえ奪おうとする。
史上 こういう悪女はなかった。こういう キャラクターに対する憎しみが ドラマ全体を掌握するため、<野王>は没入度を失わない。
そしてスエは この役割を優雅に 表現して 二面性をより リアルにした。
<野王>はドラマの視聴率が 単純に話にならないしないのか説明されないことを証明した。
もちろん 完成度は高い評価を受ける大変だろうが <野王>は視聴者の没入を引き出して 感情を移入させることには成功した。
そして劇中 ダヘが のし上がって行くほど 視聴率を上昇する。
これから ダヘが 衰退しているのは はっきりと見えることだが、彼女が没落する過程のカタルシスを正しく キャプチャされる場合<野王>は 少なくとも視聴率では成功作として残るようだ。