ドラマ「野王」、女性嫌悪に 行こうとするのか・・・
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「野王」は大人の漫画 "だワンジョン>を脚色した24部作ドラマで、今月14日に初めて放送された。
特別検査の青瓦台押収捜索と夫人の銃撃という衝撃的な場面に出発したが、は政治ドラマではない。
ドラマは12年前に戻って 貧しい男女の過去を映す。
施設で一緒に育ったハリュウ(クォン·サンウ)と ダヘ(スエ)は、20代に また会って娘までもうけて 一緒に住んでいるが、ダヘは 財閥の息子と結婚するために ハリュウを配信する。
現在4話まで放送されたは ドラマとしては異例の'19禁 "として放送された。それは 養娘を セクハラしてきた父を殺害して 密葬するシーンや ホストバーのシーンからである。
出生の秘密も 欠かせない。
ハリュウの双子の兄が 弁護士の設定は ハリュウが 特検になって大統領府に来るようにしてくれる伏線だ。
漫画を脚色したドラマらしく 極端設定が横行する中、 "野王"で 最も興味を引くのは、ひっくり返った男女構図だ。
ホストバーシーンや 女性を勉強させた男が 裏切られ復讐するという設定は、1970年代の ホステスドラマの逆相である。
これを どう見るだろうか。
女性の地位向上を反映した 男女平等のテキストで見ることができる。
いや答えは むしろ逆である。
「野王」は、既存の性別抑圧の構図をそのまま置いたまま、男女の座を すり替えて書士を展開する。
売春は通常、男性が 女性の性を買うものであり、接待文化を介して 男性たちの位階との連帯を強化する場である。
もちろん、ホストバーは 存在する。
しかし、映画が示すように、ホストクラブは通常、性販売の女性たちが 男性たちへの補償心理で利用したり、少数の自営業の女性たちが個人的に利用するところだ。
全体売春市場で ホストバーは極めて例外的な場所であり、職場の女性の結束強化のために利用されない。
しかし、で 新入インターン社員の最初の会食に ホストバーに来たダヘは、ハリュウを見た後、彼を "汚れている"と考慮される。
私たちの社会で 売春男性の烙印効果が女性に比べて減ることを勘案すれば、ダヘの感情は納得されにくく、男女の置換で行われた無理数である。
ダヘが "靴の片方を拾った"財閥の息子を誘惑する為に 5年間育てた娘を 捨てて留学の道に上がるという設定も、女性の欲望を 男性の欲望と そのまま置換して起る無理だ。
ドラマで 出世が保障されたエリート男性が 子を捨てるのは1970年代の普遍的男性の欲望として 理解されるが、で 大卒の女性が 可能性が希薄なシンデレラになるために 娘を捨てるという設定は、女性の欲望で 母性の割合を無視した想像である。
すべての 無理数をカバーするために ダヘは世界のどこにもない "悪女"が なければならない。
結局は 純情男が非現実的な欲望を抱いた悪女と対決して 複数の処罰を加える男性新派となる。
ダヘには感情移入がされず、視聴者たちは "等身"のハリュウに感情移入となる。
このような構図は 男性労働価値の下落に競争で押された多数の "余剰"男性の剥奪感と共鳴する。
つまりお金と女を独占した少数の男性と かなりの男たちよりも経済力が上回るゴールドミスたちの劣敗感を女性一般に投射して、遊んで食べる "味噌女"、性的魅力を武器にして男背筋を抜いて "渡り鳥"する "美人局"などのイメージを作って憎しみを浴びせてきた 最近の女性嫌悪の感情に合致する。
「野王」の転覆させた男女構図裏面には 男女平等ではなく、 "等身たちの精神の勝利"が哀れに光る。