オータムリーフの部屋

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終戦記念日と靖国参拝

2013-08-16 | 政治

 
 68回目の終戦の日だったきのう、安倍首相は靖国神社への参拝を見送った。
 しかし、政府主催の全国戦没者追悼式で、首相の式辞からアジア諸国への加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉が、すっぽりと抜け落ちた。 加害責任への言及は、93年の細川護熙首相(当時)から歴代首相が踏襲してきた。
 第1次安倍内閣の07年には首相自身も「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表す」と述べていた。
 首相周辺は「式典は戦没者のため、という首相の意向を反映した。アジアへの配慮は国会答弁でしている」という。
 式典は、先の戦争への日本の姿勢を世界に発信する場でもある。加害責任への言及が消えたことで、せっかく靖国参拝を見送りながら、真逆のメッセージを発することになりそうだ。
 そんなに靖国神社参拝を見送ったことが悔しいのか?靖国神社は決して戦没者を単純に慰霊する神社ではない。先の大戦を美化し、戦犯を英霊として称える靖国の思想性が問題なのだ。戦没者を称えたいなら、戦争で犠牲になった一般国民も入れて慰霊碑を造り、そこで平和式典を行えばいい。なぜ、靖国にこだわるのか?なぜ靖国でなければならないのか?
 
靖国に付属する「遊就館」の展示には、日本の戦争について「侵略」「侵攻」という言葉はない。中国全土に戦火を広げたのも、「日中和平を拒否する中国側の意志があった。…広大な国土全域を戦場として、日本軍を疲弊させる道を選んだ」(『遊就館図録』)と、中国にその責任を押しつけている。
2千万人のアジアの人びとの命を奪った侵略戦争を“アジア解放の戦争だった”と認識し、「我国の自存自衛の為…皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦ひがございました」(「遊就館」の展示内容を紹介した『遊就館図録』靖国神社宮司の「ご挨拶」)と記述される。
 靖国神社は、日本の戦争を、「自存自衛」の戦争、白人(欧米)の支配から「アジアを解放」するための「正しい戦争だった」としているのである。そこのところを見逃すと、博物館としての大量の展示に圧倒され、先人の遺書から伝わる熱い思いに感動して帰ってくることになる。
 靖国神社は、攻撃のホコ先をアメリカにもむける。 1941年の太平洋戦争の開戦の責任はアメリカにある。日本は戦争回避のために「日米交渉に最大限の努力を尽」くした。それなのにアメリカのルーズベルト大統領が、「資源に乏しい日本を、禁輸(石油などの輸出禁止)で追い詰めて開戦を強要」(『遊就館図録』)した。だから戦争になったというのだ。
 「そもそも大東亜戦争に参加した者で、侵略のために戦った者は一人もいなかった」、
 「台湾と朝鮮は植民地ではなく日本領であった」
 「嘘と誤りに満ちた村山談話」──靖国神社の宮司が顧問となってつくられた写真集には、こんなことまで書かれている。
 「日本は正義の戦争をたたかった」という立場で、その戦争で、天皇のために死んだ軍人を「英霊」としてまつり、戦争行為そのものをほめたたえる──これが靖国神社の「使命」なのだ。
 靖国神社はこの立場で、A級戦犯(戦争犯罪人)を、「ぬれぎぬを着せられ」た人たちと美化し、「神様」としてまつっている。空襲や広島・長崎の原爆、沖縄戦の犠牲になった国民はまつられていない。戦争で亡くなった方々を追悼するのではなく、戦犯を賛美する施設なのである。
 
 このように偏った歴史観を主張する靖国に個人の心情で参拝するのは自由だが、国のトップである首相が参拝したり、それを批判する中国や韓国に対して靖国の本質を知らないような発言をするのは恥ずべき行為である。もう一つ踏み込んで「遊就館図録」の歴史観を堂々とおっしゃれば、中国や韓国がなぜ神経質になるのか国民もよく理解できる。   

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