オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

新しい農業の形

2012-10-11 | 社会

北海道に移り住んでサラリーマンから農業に転じて成功しているユニークな兄弟がいる。兵庫県出身の薮田さんだ。「肥料も農薬も全くやらず、土も耕さないで種をそのまま蒔く自然栽培に試行錯誤で取り組み、成功しました」
 「とかち帯広空港」近くの帯広市愛国町で野菜農家を営む薮田秀行さん。会社名は「やぶ田ファーム」。大学を卒業したのは1980年。食品会社に入社して18年間勤めた。しかし、添加物の入った食べ物を売ることに問題意識を持ち続け、「安心で安全な食べ物作りに取り組みたい」という思いから1999年、農業に転じた。現在は約6ヘクタールでホウレンソウ、マメ、カボチャ、カブなど100種類近くの野菜作りに励む。農協経由では一切出荷せず、ネット販売や個人への口コミ販売が中心だ。食材にこだわるフレンチレストランから注文を受けることもある。薮田さんの栽培方法は、農薬や有機肥料もやらないばかりか、耕さず、草取りもせず、畑にそのまま種をまく自然栽培。この方法だと土壌が柔らかくなり、水や空気、作物の根を通しやすくなる。病気もさほど発生せず、しかも収穫量は肥料や農薬を与える栽培方法と比較しても全く変わらないという。畑の横に加工場を設置し、煮豆やトマトのピューレ、ピクルスなどを瓶詰めにして販売する新規事業も始めた。いわゆる「農業の6次化」というやつだ。1次産業の農業、2次産業の加工、3次産業の流通、これらを1+2+3=「6次産業」として成り立たせ、農家が付加価値を取り込んでいく狙いである。野菜は収穫して日が経つと鮮度が落ちるが、加工すれば賞味期限が伸びる。売れ残りの野菜を出さないようにするための知恵でもある。
「やぶ田ファーム」の栽培面積は、周囲の大規模農家に比べれば5分の1程度だが、付加価値の高い野菜が消費者に評価されており、これで十分に経営が成り立っている。
「大量生産の農家は目指しません。コミュニテイーと付き合い、お客さんから農場を支えてもらう、言い方を変えれば、私の畑はみなでシェアしているという考えで農業に取り組みたい」これは、薮田さんがサラリーマン時代から持っていた考えだ。勤めていた会社はコンビニ向け弁当やサンドイッチ用の食材を加工していた。そこでは事業部長や工場長などを経験、製品開発や品質管理に加えてコスト管理のノウハウも習得した。「設備投資を抑えて固定費を下げた農業をしないと、投資を回収しようと必死で売ることばかり考えて品質がおろそかになりがちです。お客さんのために敢えて資本投下しないという考えが自然栽培につながりました」
 企業的な大規模農業が発展している米国でも、「CSA(コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー)」と呼ばれる、生産者が消費者に直接販売し、地域や消費者も生産者を支える動きが活発化している。「TPPなど経済のグローバル化は避けられないのでしょうが、各農家が消費者を意識して力をつけていくしか生き残りの方法はないと思います」と薮田さんは語る。
2009年4月、「やぶ田ファーム」を株式会社化した。「良い作物を生産するためではなく、選挙の集票のために補助金が使われているのが現状で、これはおかしい。自分のような農家がもっと発言権を持ってもいいかなと思い、そのために組織化しました」
「自分自身、このような生き方があるのかと驚いていますが、よく考えると、世の中のシステム自体が人為的に作られたものだったのです。それが必ずしも正しいとは限りません。たとえば、原発問題は事故によって『作られた常識』が崩壊しましたが、原発問題以外にも『作られた常識』が医療や農業など様々な分野で存在します。農業をしながら、いかに時代のパラダイムをはずしていくか、それを常に意識しています」

立ちあがった農家のこせがれ・宮治勇輔さん。
 慶応大学総合政策学部を卒業すると、一般企業に就職した。たまたま数冊の農業関連の本を読み、日本の農業の負の側面を突き付けられた。就農人口の高齢化。きつい上に稼げない、結婚もできない、だから後継者もいない。このままでは、日本の農業が廃れていく。そう思うと、「実家をなんとかしたい」「日本の農業をなんとかしたい」という思いがフツフツと湧いてきた。そして「1次産業をかっこよくて・感動があって・稼げる3K産業にする」という目標を定めた。4年勤めて会社を辞めて実家に戻った。父親が生産する豚の味には絶対の自信があった。通常は20頭を飼育するスペースに半分の10頭しか入れない。しかも、同じ部屋で飼うのは同じ母豚から生まれた兄弟に限定する「腹飼い」という方法だ。広いスペースで、ストレスもケンカもなく伸び伸びと育てる。当然、旨い。
 しかし、そんなふうに独自のこだわりを持ち、コストを掛けて育てても、一般流通ルートに乗せれば他の豚と同じ価格だ。また、その豚を食べた消費者がどれほど美味しいと思っても、生産者にフィードバックする方法がない。そこで宮治が考えたのが、バーベキューイベント。自慢の豚を食べてもらい、味の違いを実感してもらう。品質に納得すれば、スーパーよりも値段が高くても客はリピートしてくれる。2006年に実家の養豚業を法人化して株式会社みやじ豚を設立し、社長に就任した。 口コミとメールマガジンでバーベキュー参加者は広がり、そのたびに、みやじ豚の固定客は増えた。さらに、都内の高級レストランからも指名買いされるブランドにまで、またたく間に成長した。何よりも、長年、誠実に豚の生産に携わってきた父親が、客が喜ぶ顔を見て嬉しそうにしていることが嬉しかった。しかし、宮治は「自分の会社だけが、かっこよくて・感動があって・稼げるだけでは意味がない。あくまでも目指すのは、1次産業を、かっこよくて・感動があって・稼げる3K産業にすること」と言う。
2009年3月、宮治は1000人以上の発起人を集めNPO法人「農家のこせがれネットワーク」を設立した。大量流通時代に適応するため、日本の農家は「おいしさへのこだわり」や「地域独自の品種」を捨てざるをえなかった。全国一律の規格に当てはまる農産物を作ることが求められ、努力してそれを作っても、大資本に買い叩かれて生産者は疲弊してきた。価値を理解してくれる消費者とつながり、価格決定権を取り戻せば、悪循環を断ち切る道は拓けるはずだが、日本の就農者の60%が65歳以上という現実がある。まじめに農業一筋で生きてきた60代、70代の人に、マーケティングや販路開拓をしろ──というのは酷な話。そこで、都会で仕事をしている農家のこせがれ達を実家に帰す「REFARM=RETURN FARM」によって、最短・最速で日本の農業を活性化させる──これが、宮治のプランだ。
 宮治は、「農業は重労働で、本来であれば70代の人ができるような仕事ではない。このまま放っておけば就農者はさらに高齢化してしまう。5年以内に若い人にバトンタッチしなければならない」。だからこそ、宮治は「5年で日本の農業を変える」という天命を自らに課したのだ。
「農業を継ぐべきか悩んでいるこせがれや、新規就農希望者にとって、こうなりたい、あの人を目指したいというロールモデルが無かった。埋もれている農業界のスターを発掘し、光を当てていく。そうすることで将来のイメージをつかめるようになれば、就農へのハードルは低くなるし、希望も持てる」
 点で頑張っている生産者をつなぎ、喜びや苦労を共有できる場所をつくる。孤独を感じていた若手農業者が、思いを共有できる場所があれば、モチベーションが上がる。
 こせがれネットワークが運営に携わる農業実験レストラン「六本木農園」では毎月、「今月の生産者」として数人をピックアップしてスポットを当てている。メニューに食材を使うだけでなく、生産のこだわり、アピールポイントを取材し、レストランを訪れた人たちにビデオレポートを見てもらう。
「六本木農園を利用したお客さんは、ここに来ればおいしい食材が食べられると感じてくれる。バイヤーたちが、ここに来れば優れた生産者とつながることができる──と気付き始めている」。「地域のスターを発掘する」「農家を売りだす」という宮治の狙いは、少しずつ、実を結び始めている。
 「自ら商品を企画し、生産し、値付けし、客とつながり、客の声を聴いてさらに新しい商品を企画する。農業の魅力は一貫してプロデュースできること。JAが悪い、政府が悪いと言うのは簡単だけれど、まずは、経営者として今できる最高のことをやらなければならない」。誰かが何かをやってくれるのを待つのではなく、自分で考え、自分で行動できる生産者を増やしていくことが、こせがれネットワークの目標だという。
 「失われた10年は、日本が成長をしそびれた10年のように言われているけれど、本当は、思いやりや地域のつながり、礼節といった、日本人らしさを失ってしまった10年なのではないか」「農業には、失われたものを取り戻す力がある。都市と農村のつながり、人と自然のつながり、人と人との絆──それを担うのが、こせがれだ」
 「いつかは起業」を夢に会社勤めをしていたころは、「いつかはヒルズ」「いつかはフェラーリ」と漫然と考えていた。しかし、天命を手にした宮治にとって「お金があれば実現できる夢には、あまり価値が無い」。儲けよりやりがい、自分らしさ――を追求して、農業再生に全力を傾ける。

確かに国際競争力のある農業生産を手がけて世界に販路を開き、成功している例は多くある。あくまでもニッチ農業であり、これが日本の農業を変えるマス農業になるとは思わない。しかし、若者たちが日本の農業に危機を感じて動き始めたことは農業の衰退に歯止めがかかるかもしれない。何よりも農業は自分一人でも起業できる。自分の人生を国や大組織に束縛されずにプロデュースできるわけだから、こんなやりがいのある産業はない。グローバリゼーションの波に乗って、世界に羽ばたくのも良いが、新しい農業を目指して食の安全と消費者との絆を深めるのも、また豊かな人生だと思う。
農業には、失われたものを取り戻す力がある。都市と農村のつながり、人と自然のつながり、人と人との絆・・・・・この言葉は心に深くしみる。我が地域でも市の原っぱで野菜を栽培、その無農薬野菜を使って弁当を作り、高齢者世帯に500円/食で配達している。農作業と弁当作りのボランティアは60余名が参加、20年の歴史が有り、月三回90食を作る。こうした日常的な活動が人と人との絆を深め、結果として住み良いコミュニティになり、住人の長寿に貢献しているようだ。こんな小さな優しさの連鎖がさわさわと拡がり、経済成長なくとも日々幸せを感じる生活を取り戻したいものだ。


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