オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

再び、永遠の仔

2011-07-10 | 読書


この本は児童虐待の他にもこれからますます深刻になりそうな問題を提示している。
老人介護の問題だ。私が思い至らなかった新しい考え方や老人に対する思いを書いている。

「子供は社会の財産と言って近所や学校、保護者のネットワークなどで見たり育てたりする考えがある。老人にも同じ考え方が必要だと思う。」
「お年寄りの笑顔も素敵です。中には子供に戻られて無垢な笑顔を見せてくださる方もいらっしゃる。生きていればたとえ寝たきりになったとしても、痴呆症になったとしても亡くなった人には与えられない多くのものを持っていると信じられる笑顔です。」

年寄りは社会の財産。なかなかなじめない考え方だ。考えてみれば、老人も弱者である。テレビで憎たらしい政治家をたくさん見ているから、そんな考えはついぞ思いつかなかった。確かに老人虐待の話もちらほらニュースで流れる。自分も関わっていく重い問題だ。

母にネグレクトされた主人公の一人モウルは母親を見返してやりたくて、母親に褒められたくて、弁護士になり、アルツハイマーの母親と再会する。子供に帰った母は彼をお父さんと呼んで甘える。
見返したり、復讐したかったのではなさそうだ。母親に認めてもらいたかった、褒めてもらいたかったのが本意のようだ。母の情事の最中、押入れに閉じ込められていたのが原因で暗がりを恐がり、性的不能になったモウルがなお母の愛情を求める虐待の深刻さを感じた。母は男運が悪く、男を変える度にモウルへの抱擁と遺棄を繰り返していた。遺棄を繰り返されても戻ってきたときの母の優しさは彼にとってかけがいのないものだった。

一方、よい子でなかった罰として母にタバコを押し付けられ、無数の火傷が体中にあるジラフは親を切って捨てているように見える。刑事になって性的虐待を受けた子供に犯人への憎悪の気持ちを吐き出させようと誘導する行為からも親に対する憎悪を抱き続けているように見える。

母原病やアダルトチルドレンという言葉が一時流行し、若者の不登校や引きこもりが親のせい、特に母親のせいにされた時代があった。カウンセラーも治療に当たって、患者が「自分がこうなったのも母親が原因。」と気づかせて治療していく傾向が見られた。回復したという患者自身が書いた「パニック障害」という本を読んで、彼女の母親は普通の人だと思ったが、彼女はひどく恨んでいた。母親は亡くなっているようだし、母親を悪者にすることで本人が回復すれば万事まるくおさまるとは思ったが、釈然としない気持ちは残った。

親と子供の関係は難しい。仔という字は人に寄り添う子という字がふさわしいと思って作者が選んだようだが、親がいなくても育っていく動物とは違って、人は愛情を注がれなければ、強く育っていけないものであることをつくづく感じる。そして、一生、人は寄り添う人を必要としているのかもしれない。自分もこれから身近な人を支えていけるか、寄り添っていけるか、試練のときを迎えるかもしれない。

この小説は日本推理作家協会賞を受賞している。推理小説?サイコサスペンスのジャンルなのだ。こんな重い問題をエンターティメントとして推理小説として書くことに違和感を感じた。多くの人に読んでもらうために推理小説の形をとったのか?確かにベストセラーとなり、多くの人から反響があった。
しかし、読んでみて、取ってつけたような犯罪には思えなくなっている自分を発見した。どの犯罪も必然性があり、起こるべくして起こったように思えているのだ。
天童荒太にいかれてしまったらしい。彼は主人公たちに気持ちを添わせて悩み苦しみながら書いている。だから、この小説は傷ついた人たちを癒す言葉に溢れている。


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