オータムリーフの部屋

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沖縄の孤独な戦い

2015-04-11 | 政治

『ル・モンド』が3月25日に「沖縄の孤独な戦い」と題するレポートを掲載した。

沖縄の孤独な戦い( フィリップ・ポンス)
政府に抗って、沖縄知事は3月23日月曜日に大浦湾での新米軍基地建設の予備工事の停止を命じた。11月に選出された翁長雄志知事は彼の前任者によって許可を与えられた地域外への4トンのコンクリートブロック投下によって珊瑚礁を傷つけたことを糾弾している。官房長官は「遺憾」の意を表し、工事を続行する意思を示した。
 沖縄タイムズは琉球新報とともに沖縄県民の頑強な抵抗の声を伝えている。
カヤック、カヌー、小型船舶からなる小型船団は広大な軍基地建設予定地域を示すオレンジ色のブイの列にそって展開するゾディアックボートと海上保安庁の巡視艇の間をジグザグに進み、乗り込んだ4000人以上の人々が抗議の声を上げた。沖縄には在日米軍兵士47000人の半分以上が駐留している。 海兵隊が駐留しているキャンプシュワブの前では建築機材を搬入するトラックに対してデモ隊が24時間虚しい阻止行動を続けている。
「世界の人々に、米国と日本が何をしているのかを見て欲しい。大浦湾を破壊させるがままにすることはできません」、デモ隊の掲げるプラカードにはそう書いてある。
2013年に前知事によってこの工事計画に対して与えられた承認は沖縄住民によって裏切り行為と見なされている。そして去年、沖縄の人々は彼らの反対の意思を選挙で示した。名護市の反対派市長が再選され、反対派の知事が選出された。 翁長沖縄県知事は3回にわたって上京したが、首相からは面談を拒否され、菅官房長官は沖縄住民の見解は工事計画の実施に関与しないと言う。沖縄の人々は日本政府の沖縄の要請に対する無関心を侮辱として受け止めている。
日本の国内メディアは沖縄の緊張状態をほとんど伝えていない。讀賣新聞は知事の「妨害」を批判しており、朝日新聞は「住民の反対を押し切って建設される基地の国防上の貢献」についての問いを発するにとどまっている。
19世紀末に独立王国であった琉球の日本への併合以来、二級の市民とみなされてきた沖縄県民の怨恨は深い。太平洋戦争における米軍との激戦地となり、戦後は沖縄は国土の0・6%であるにもかかわらず日本に展開する米兵47000人の3分の2を受け容れることを強要されてきた。なぜか?他の都道府県が望まなかったからであると中谷元防衛相はいささかシニカルに答えている。

 「私の身体には米軍の火炎放射器による火傷の跡が残っています。ですから、私は父祖の土地を譲る気はありません。」とシマブクロ・フミコは言う。85歳のこの女性はすべてのデモに参加しており、最近も軽傷を負ったばかりである。
 新基地の造営によって普天間基地は閉鎖されることになる。宜野湾市の市内にある普天間基地のせいで、近隣の学校の教員たちは飛行機の離陸時の耳をつんざくような騒音のために授業の中断を余儀なくされている。普天間基地の移転は1995年に三人の米兵による少女暴行事件の直後から計画されてきた。しかし、名護市の住民たちは彼らの市内への基地移転に抵抗している。
「私たちの活動は非暴力的なものです」と沖縄平和運動センターを率いる山城博治は言う。「しかし、日本政府はわれわれの要求に耳を貸さない。」「われわれの声に耳を傾けてもらうためには怒りが爆発する必要があるのでしょうか?」と名護市議会の東恩納琢磨は問う。東京の無関心はいずれにせよ沖縄のアイデンティティにかかわる要求を強めることになる。その予兆はすでにさきの知事戦に見られた(「イデオロギーにノー、沖縄のアイデンティティにイエス」)。東京の無関心はむしろ住民の側からの沖縄独立を求める声を高めている。

 琉球新報【社説】本島上陸70年 軍は住民を守らない この教訓を忘れまい  2015年4月1日
 70年前、米軍は沖縄本島に上陸した。米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる、とてつもない悲劇がここに始まった。 沖縄戦の最大の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。これは抽象的なスローガンではない。無数の実体験、戦場の実際によって立証された事実である。「軍隊がいると住民は犠牲になる。とりわけ、心の底では住民を同胞と思っていない軍隊が一緒にいると、住民はむしろ死を望まれる」。この教訓を忘れまい。
 米軍はまるで「ピクニックのように」無血上陸した。日本軍がそういう作戦を立てたからだ。本土決戦の準備が整うまで、米軍を一日でも長く沖縄に引き付ける「出血持久戦」(帝国陸海軍作戦計画大綱)である。一日でも長引かせるため、米軍上陸時に日本軍は兵力を温存した。その結果の無血上陸なのだ。
 上陸時、沖縄戦の見通しを尋ねた小磯国昭首相に対し、大本営はこう答えている。「結局敵ニ占領セラレ本土来寇(らいこう)ハ必至」(「大本営陸軍部戦争指導班の機密戦争日誌」)。最後は占領されると分かっていながら沖縄戦に突入したことになる。住民が多数いる沖縄にあえて敵軍を上陸させ、最後は占領されると知りながらなるべく長くとどめようとする。こんな計画のどこに住民を守る視点があるか。住民保護の意識は決定的に欠けていた。
 上陸のこの日以降の戦没県民は判明分だけで10万4千人に上る。無謀な沖縄戦に突入しなければ、助かったはずの命はかくも多かったのである。この上陸の後、読谷のガマなど各地で強制集団死(「集団自決」)の悲劇が発生した。それもまた軍の方針の反映だ。「軍官民共生共死」である。
 沖縄戦に先立ち、軍部は中学生を含む住民に壕を掘らせ、戦争準備を強制していた。従って住民が投降すれば、どこに司令官がいて、どこに武器弾薬があるか、敵軍に知られてしまう。だから住民が生き残るよりは住民の全滅を願う。「むしろ死を望まれる」とはそういう意味だ。強制集団死はその結果である。その後も、多くの住民が助かりそうな局面はいくつかあった。しかし日本軍はことごとく、住民を死に追いやる方向を選択した。例えば中部戦線の第1防衛ライン(嘉数高地)が突破され、第2防衛ライン(前田高地)も破られた5月上旬。ここまでに日本軍は主力の7割を失った。まともな判断があれば戦闘継続は不可能と分かる。だが投降しなかった。これ以降の沖縄戦はもはや戦闘ではない。虐殺だ。
 激戦地のシュガーローフも奪われ、首里の司令部が維持できなくなった5月22日。第32軍は玉砕か南部撤退かを議論したが、「南の果てまで戦う」と決めた。この時、南部には避難住民10万人がいた。住民を巻き込むのを知りながら、否、むしろ巻き込むつもりで撤退を選択したのだ。
 これ以降、日本軍による食料強奪、住民の壕からの追い出し、壕内で泣く子の殺害が頻発する。「出血持久戦」でなければ無かった悲劇だ。果ては方言を話す住民をスパイ扱いしての殺害も起きた。住民を同胞扱いしない軍との同居の危険がここに顕在化した。
 今、日本政府は辺野古新基地建設を強行している。知事も地元市長も県議会も市議会も反対する中での強行は、他県ではあり得ない。まさに「同胞扱いしない」政府の姿である。
 沖縄戦体験者の4割は心的外傷を持つとされる。その傷口に塩を塗り込むように、沖縄では70年後も米軍機の爆音がまき散らされ、新基地建設は強行される。われわれは今も悲劇の中を生きている。


 沖縄タイムス【社説】[米軍本島上陸の日に]もう捨て石にはならぬ  2015年4月1日
 激しい反撃を予想した米上陸部隊は「まるでピクニックのよう」に、大きな抵抗を受けることもなくやすやすと上陸した。
 沖縄戦は「捨て石」作戦だったといわれる。日本政府は戦後、サンフランシスコ講和条約に基づき、自らの主権回復と引き換えに沖縄を米軍に委ねることを、敗戦国として了承した。沖縄の人々はまたしても「捨て石」になったのである。
 そして今、政府は名護市辺野古の沿岸部を埋め立て、米軍の意向に沿って新基地を建設することによって沖縄を米国に差し出そうとしている。選挙で示された民意を無視しているという意味で、これもまた、「捨て石」の論理というほかない。
 
 住民の根こそぎ動員、老幼婦女子の戦場彷徨、日本兵による食糧強奪、スパイ容疑による住民殺害、壕からの住民追い出し、集団自決(強制集団死)、餓死…。沖縄戦に従軍したニューヨーク・タイムズのボールドウィン記者が表現したように「沖縄戦は戦争の醜さの極致」だった。
 
 戦後、日本の民主化、非軍事化を進めた連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官は、沖縄を基地化することによって憲法9条による「軍事的空白」を穴埋めすることができると考えていた。 米国による沖縄の軍事占領継続を希望し、沖縄を基地化することによって日本の戦後の安全保障を確保する、という考え方は天皇メッセージにも貫かれている発想だ。 1950年代、本土に駐留していた米海兵隊が沖縄に移駐したとき、地元沖縄が強い懸念を示していたにもかかわらず、政府の中からは、これを歓迎する声が出た。日本本土から米地上部隊を撤退させ、沖縄に配備するという考え方である。都市部から人口の少ない過疎・辺地への米軍基地の再配置-これが戦後一貫して続く日米の論理である。
 米国防総省の上級担当官として返還交渉にかかわったモートン・ハルペリン氏は、基地使用の自由度が損なわれないこと、米軍基地をより恒久的なものにすることが、沖縄の施政権返還と引き換えに米国が優先的に求めたものだった、とNHKのインタビューに答えている。この発言は極めて示唆的だ。実は辺野古への新基地建設も、普天間返還と引き換えに沖縄において使い勝手のある恒久的な基地を建設する試みなのである。
 辺野古沿岸部に揚陸艦の接岸できる新基地が建設されると、新基地とキヤンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンは陸でつながり、北部訓練場や伊江島補助飛行場などとあわせ、国内法(例えば航空法)の適用を受けない、制約のない一大演習地域として使われることになる。こうして戦後史をたどっていくと、沖縄戦と新基地建設がつながってることがよく分かる。
 軍事的なニーズはあらかじめ決まっているというものではなく、「本来、どんな国であっても政治的な実情の中で決められるものです」というハルペリン氏の指摘は、「辺野古が唯一の選択肢」という言い方がいかに政治不在の脅し文句であるかを示している。


朝日デジタル【社説】政府と沖縄―捨て石にしてはならぬ  
 沖縄の意見に耳を傾けることなく、ひたすら移設作業を続けようという政府の姿勢は「沖縄いじめ」とさえ見える。
 もとはといえば、沖縄防衛局が知事から許可を得た岩礁破砕区域の外に大型コンクリートブロックをいくつも沈めたことが発端である。県は当初、必要な手続きを取るよう防衛局に求めたが、防衛局は応じなかった。県はさらに現地調査ができるよう米軍との調整も要求したが、これも拒否された。翁長知事が岩礁破砕許可の取り消しに言及したのも無理からぬことだ。
 防衛局が農水相に提出した行政不服審査請求や、知事の指示の執行停止申し立てという手法はいかにも強引だ。本来は行政庁の処分で不利益を受ける国民を救済する制度。防衛局が申し立て、審査するのが同じ政府内の農水省というのも、公平性の観点から疑念をぬぐえない。 翁長知事は農水省に意見書を提出した際、「沖縄県民の痛みを感じない、感じようとしない政府の姿勢があることを国民の皆様に知っていただきたい」と訴えた。

 普天間飛行場は当時、住民を収容所に移している間に米軍が建設した。その返還のため、なぜまた同じ沖縄の辺野古が使われなければならないのか。
 菅官房長官は再三、「辺野古移設は16年前、当時の県知事と市長が同意した」と口にする。だが当時の県知事、稲嶺恵一氏は15年の基地使用期限を条件とした。名護市長の故岸本建男氏も、基地使用協定の締結などを条件に掲げた。現行計画にこうした条件はない。現行計画での移設容認を公約にして当選した知事も名護市長もいない。
 「辺野古移設こそ、唯一の解決策」と繰り返す政権に対し、県民からは「もう日本のための捨て石にはならない」との声が聞こえてくるようになった。これ以上、沖縄に基地負担を押しつけるやり方は、決して解決策と呼べるものではない。


沖縄戦の例から見ても軍が国民を守るものとは言えないのがよくわかる。国民を守らずに国を守ろうとした。国を守るためなら、国の面子を保つためなら命が犠牲になってもやむを得ないのである。国家体制=国は、際限なく「命」が失われても国を守る戦いをやめないのである。

安倍晋三議員(当時、自民党は野党)の初期の言動を思い出しても、国民を守る発想はない。
「鳩山さんは『命を守りたい』こう言ってましたね。医者じゃないんですから。総理大臣なんですから。国を守るんですよ、総理大臣の仕事は!皆さん、そうじゃありませんか!?」

安倍首相「中東世界で注目されるスピーチだった。日本は世界の課題にどう立ち向かっていくのかメッセージを出していく必要があると考えた。人々を平気で殺し、お金をまきあげ、生活を塗炭の苦しみにつき落としているのはISILだ。このことに触れない、あるいは、彼らに対してどう対応していくかを述べない。これこそまさに日本のメッセージをゆがめるものになる。ISILの脅かしに屈せずに頑張っている国々に対して『あなたたちを支援していきますよ』というメッセージを出していくことは当然だ。例え日本人の人質をとろうとも私たちはそれを曲げることはない。そのことによって国際社会がISILの動きを止めることができるのだろうという信念を変えることはない」
小川氏「そうした大きな国家の目的のためには国民の命を顧みなくていいと聞こえる。同じ時期にヨルダン軍は兵士を人質にとられた。その瞬間、空爆をとりあえず中止している。厳然たる姿勢で臨まなくてはならないが、人質がとられているなら人質に危害が及ぶような、そうした言質を与えるような、口実を与えるような言葉はなるべく控えて、国民一人一人の生命を守るような配慮をすべきではなかったか」
小川氏「私は、あるいは民主党のメンバーも『テロに屈しろ』とは全く考えていない。だけど、人質がとられている状況下において一つ一つの言葉の使い方についても配慮する必要があるのではないかといっているだけだ。私も民主党もISILと戦うのをやめろとか、ISILに屈しろとか、人質を解放するために何でもかんでも要求に応じろなんてことは全く言っていない。首相の言葉の中に大きな目的のため、国家の目的のためには国民の生命も配慮しないという姿勢が現れたのだなと感じた」
 
 昨年7月1日に勝手に閣議決定した「集団的自衛権行使容認」。
 その後の記者会見で安倍晋三首相は、集団的自衛権を行使することによって海外滞在の邦人を運ぶ米国艦船を護衛することができると、母子のイラスト入りパネルを得意げに示していた。まるで自衛隊の力で日本人の命が守られるかのような言い方をしていた。人質の命に危険が及んでも注目されるスピーチをしたい安倍首相が母子の命を守る???

 自衛隊法には、「国民保護」とか「国民の保護」という文言が出てくる条文がある(70条、77条の4)。ところが、一番肝心の「自衛隊の任務」や「服務の本旨」には、国民の保護が明記されていないという。
(1)(自衛隊の任務)
第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
(服務の本旨)
第五十二条  隊員は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、強い責任感をもつて専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて国民の負託にこたえることを期するものとする。


 確かに、自衛隊は国民を守るものではなく、国を守るものなんだろう。当然、国を守ることと国民を守ることは同じだとの反論はあるだろう。大多数の国民を守るためには多少の犠牲止むを得ない・・・・しかし、本当であろうか?太平洋戦争を見る限り、国民に犠牲を強要し、国を崩壊寸前まで導いたのは軍隊であった。
 憲法とは、強大な権力を持つ国家が国を守るために国民の基本的人権を侵害しないように国家権力を制限するためのものだと思う。
 国が国民を守り、国民が主役の現憲法から、国民に国を守らせる時代へと逆戻りさせる意図を持ち、内閣総理大臣に無制限の統帥権を与えるのが自民党の企む新憲法である。国民の安全への言及が最後になっている意味は大きい・・・・・・

  第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。


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