病気の人に対して他人はどこまで関与できるか :初回記載2009年4月20日
2018年1月30日追記として - ときおり、このStep by stepを読み返してみます。多くの場合は、反省の為に。ときには、自己を肯定する力を得たい為に....端的な言い方に変えれば「自己満足」ですが。 残りの年月を数えるほうが早い年代になっても、いまだに自己嫌悪や自己否定の感情に苛まれることは続いています。これがひどくなると鬱になってしまうのだと思います。自分を消し去りたい、自分には価値がない、自分の生きている意味が分からない、という自己否定の言葉が頭の中を駆け回る。その自己否定を、これではダメだと否定するけど、その否定の先にはまた自己否定が続く。そういう状態から抜け出したり、また逆戻りしたり。
少しだけ自分の中にある立ち直る力の源泉となっているのは、若いときから本を読むのが好きだったという習慣。その習慣の中で、立ち止まり、自己を省みるときを持て、という考え方が根付いているおかげ。
「病気の人に対して他人はどこまで関与できるか」を読み返していました。
.....確かに、自分(august03)の心の中に、「己のしていることは善である」という強い
思いが存在していなかったかといえば、存在していた。と答えることになります。
その思いがなければ、このように長期にわたって書き続けてくることはできなかったでしょう
皆さんからご覧になって、どのように映るかわかりませんが、たかだかコピーする
だけでも、英語を翻訳するだけでも、相当の時間と労力を費やす必要があります。
それが何の役にも立たないのであれば、それが誰かを傷つけ、それが誰かの人生を
不幸にするものであるならば、そのような労力は払うことすら無駄であり、どころか
すべき行いではありません。........
......ただ、老婆心の者さんがおっしゃられたように、自分ひとりだけが正しいという
そういう押しつけは軋轢を生むだけで、それはあなた(august03)の目的とは異なる
のではないですか ? というご指摘はまさにそのとおりです。自分が正しい、
自分だけが正しいと主張したのでは、それは「俺だけが側弯症を治せる」と言って
る連中と同じ次元の話になってしまいます。傲慢な思い上がりを主張する人間は、
私自身がもっとも嫌いなタイプの人間なのですが、あやうくその仲間入りをして
しまうところでした。..........
いまあらためて振り返ると、その嫌いなタイプの人間になっているのかもしれない。という思いです。と、同時に、この歳ゆえにもうあれこれと思い煩うこともしたくない、という気持ちも強くあります。 毀(そし)るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ、が強く心に響いている今日この頃。
同時に、多くの方々が語っている言葉が素直に心に響く気持ちを持てるようになった今日この頃でもあります。 昨日ご紹介した、Sammyという女の子の言葉「装具をしている自分に自信(誇り)を持て」「他人の目なんて気にするな ! (変な目で見るような)そんな奴はほっぼっておけ」
患者として病気と闘っている(きた)本人ゆえに、その意思の強さが感じられ、そしてゆえに心ゆり動かすものがあります。
読売医療ルネサンス(2018年1月30日、森本稀哲氏)の言葉にも、通底するものを感じました。
「夢中になっている間は他人の視線が気にならないと気づいた」
「夢中になれる野球や友達との時間を大事にするように意識し、悩みから解放されていったと思う」
「自分は病気で髪がないけど体は元気。自分で心に壁を作って、できることをやらないのはもったいない」
「あの負の感情はなんだったのか。自分の辛さを直視するような感覚があったのかな。
正直、激励の言葉も聞く気になれない暗い時期もあった」
「今となれば、現実を受け入れるまでの学びの時間だったと思う」
「世の中、うわべだけを見て色々なことを言う人もいるけれど、内面を見てくれる人も案外たくさんいます。
悩む時期があってもいいけど、夢中になれることを見つけ、最後は前を向いてほしい」
august03
2018年1月30日追記として - ときおり、このStep by stepを読み返してみます。多くの場合は、反省の為に。ときには、自己を肯定する力を得たい為に....端的な言い方に変えれば「自己満足」ですが。 残りの年月を数えるほうが早い年代になっても、いまだに自己嫌悪や自己否定の感情に苛まれることは続いています。これがひどくなると鬱になってしまうのだと思います。自分を消し去りたい、自分には価値がない、自分の生きている意味が分からない、という自己否定の言葉が頭の中を駆け回る。その自己否定を、これではダメだと否定するけど、その否定の先にはまた自己否定が続く。そういう状態から抜け出したり、また逆戻りしたり。
少しだけ自分の中にある立ち直る力の源泉となっているのは、若いときから本を読むのが好きだったという習慣。その習慣の中で、立ち止まり、自己を省みるときを持て、という考え方が根付いているおかげ。
「病気の人に対して他人はどこまで関与できるか」を読み返していました。
.....確かに、自分(august03)の心の中に、「己のしていることは善である」という強い
思いが存在していなかったかといえば、存在していた。と答えることになります。
その思いがなければ、このように長期にわたって書き続けてくることはできなかったでしょう
皆さんからご覧になって、どのように映るかわかりませんが、たかだかコピーする
だけでも、英語を翻訳するだけでも、相当の時間と労力を費やす必要があります。
それが何の役にも立たないのであれば、それが誰かを傷つけ、それが誰かの人生を
不幸にするものであるならば、そのような労力は払うことすら無駄であり、どころか
すべき行いではありません。........
......ただ、老婆心の者さんがおっしゃられたように、自分ひとりだけが正しいという
そういう押しつけは軋轢を生むだけで、それはあなた(august03)の目的とは異なる
のではないですか ? というご指摘はまさにそのとおりです。自分が正しい、
自分だけが正しいと主張したのでは、それは「俺だけが側弯症を治せる」と言って
る連中と同じ次元の話になってしまいます。傲慢な思い上がりを主張する人間は、
私自身がもっとも嫌いなタイプの人間なのですが、あやうくその仲間入りをして
しまうところでした。..........
いまあらためて振り返ると、その嫌いなタイプの人間になっているのかもしれない。という思いです。と、同時に、この歳ゆえにもうあれこれと思い煩うこともしたくない、という気持ちも強くあります。 毀(そし)るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ、が強く心に響いている今日この頃。
同時に、多くの方々が語っている言葉が素直に心に響く気持ちを持てるようになった今日この頃でもあります。 昨日ご紹介した、Sammyという女の子の言葉「装具をしている自分に自信(誇り)を持て」「他人の目なんて気にするな ! (変な目で見るような)そんな奴はほっぼっておけ」
患者として病気と闘っている(きた)本人ゆえに、その意思の強さが感じられ、そしてゆえに心ゆり動かすものがあります。
読売医療ルネサンス(2018年1月30日、森本稀哲氏)の言葉にも、通底するものを感じました。
「夢中になっている間は他人の視線が気にならないと気づいた」
「夢中になれる野球や友達との時間を大事にするように意識し、悩みから解放されていったと思う」
「自分は病気で髪がないけど体は元気。自分で心に壁を作って、できることをやらないのはもったいない」
「あの負の感情はなんだったのか。自分の辛さを直視するような感覚があったのかな。
正直、激励の言葉も聞く気になれない暗い時期もあった」
「今となれば、現実を受け入れるまでの学びの時間だったと思う」
「世の中、うわべだけを見て色々なことを言う人もいるけれど、内面を見てくれる人も案外たくさんいます。
悩む時期があってもいいけど、夢中になれることを見つけ、最後は前を向いてほしい」
august03