独立、起業を目指すも、無一文リスクを排除し選んだ社内ベンチャーという道。
会社設立手続きなどDNP本社から手厚いサポートいただく一方、肝心の事業は自ら切り拓こうにも妨害すらされるマイナス状況。
そんな状況、絶対負けられない中で考えたこと・・それは「自らの能力で差別化できれば負けない」ということだった。
DNP営業時代の得意先提案時に企画部門の人間が外注に作成させた企画書を良く把握しないまま提案し、なんとも情けないと感じていた。
1990年代後半はまだ良い時代で仕事は多く、いかに捌くかと言う時代だったのだろう。質でなく数。利益より売上。他の競合も似たり寄ったりだった。
それでも仕事は自己実現と考えていた私は我慢がならず、それならば・・と自分で企画書を作成し、自らプレゼンをする習慣が身についていた。
自らの原体験に基づいていたから、ビジネスモデルには自信があった。だから自分で全てこなそうと思った。
世の中にないものを自らの感性と経験で創り上げ、自ら営業し、自ら企画提案し、自ら担当する。そうすれば私の代わりはいないと思った。
自分の、そして会社の価値が守られると思った。社会から認められれば簡単には真似られないと考えた。だから倒れるまで努力した。
それまでの実績や人脈は全て捨て(というか絶縁されてた)、他の起業家と同様に全て自分で考えぬき、自らの足で、散々馬鹿にされながらも
ビジネスモデルを具現化していった。そのような活動をしていると、グループ内外で見ていてくれる人はいてくれて支援いただける方がでてきた。
*今までも起業後の事は書いてきたので詳しくはそちらを見ていただければと思います。
今回私がこの内容を書いたのは、私がなぜ個の感性や努力を求めるのか?の原点を改めて示したかったから。
この先、会社の形態が変わり、仕事も変わる。言われたことをやるだけならAIに置き換わる。
そんな不透明な時代を生き抜くには、自らの能力を高め、自分にしかできない仕事をしていくことが重要。
だから自己研鑽を怠らないでほしい。常に高いレベルの人たちと仕事をすることで刺激を受けてほしい。
そのことがこの会社を成長させ、守ってきた。これからも原点として引き継いでいきたい。
17年成長が続いてきたのは、会社として統計情報、トレンド情報、リサーチ、共通資料など充実した基盤を活用し
先人の背中と手本を見ながら、個が感性を活かし新たな創造的活動を目指してきたからだ。しかし昨今、その意識が薄れている。
その結果がコロナ禍はあったが、初めて自らの目標達成できないことにつながったと痛感している。
(前年並み・・健闘と思う人もいるかもしれないが、自ら立てた挑戦目標に負けることが私はとても悔しい)
今一度アットテーブルが目指す、自らの意思で、当事者意識を持ち「自分の仕事」として取り組んでほしいと切に願っている。
そのことが皆さんの将来を切り拓いていくと確信している。支援は惜しまない。挑戦してほしい。
今期の手痛い経験を来期に絶対活かす。絶対負けられない戦いとなる。