あすかパパの色んな話

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光星学院、夏OK!エース下沖が投打に活躍

2009年07月06日 19時32分11秒 | 野球

仙台育英を完封した下沖。東北ナンバーワン右腕の下馬評は健在だ

打倒青森山田! センバツに出場した光星学院(青森)が5日、宮城県多賀城市の仙台育英グラウンドで仙台育英(宮城)と練習試合を行い、8-0で快勝した。エース下沖勇樹(17)=3年)=が被安打5奪三振8で完封すれば、打線も13安打で8得点。最高の流れでライバル青森山田の6年連続夏の甲子園出場を阻止し、6年ぶり5度目の出場を目指す。

1球投げるたび、気合の入った雄たけびを上げた。下沖が夏の大会前最後の練習試合で、春季東北大会準優勝の仙台育英相手に被安打5の完封ショーを演じた。

 「(投球)フォームもしっくりきたし、直球も変化球も思うように投げられた。最後の試合でいい結果を残せ、チームとして自信になった」

 下沖が胸を張った。この日最速143キロの速球と、打者のひざ元に鋭く曲がり落ちるスライダーを軸に好投。4日も東北大会優勝の盛岡大付(岩手)戦に登板し、5回を被安打2の無失点と2日続きの安定ぶり。金沢成奉監督(42)も「信用できる投球になってきた」と高評価だ。

 青森ではここ5年連続、青森山田が夏の甲子園に出場。下沖は昨夏2年生エースで青森山田との決勝戦に先発も、5回途中で4失点KO。試合も0-4で敗れた。

 「去年は勝ちたいという強い気持ちが空回りしてしまった。今年は意識せず、1試合ずつ戦っていくだけです」

 自分たちの野球をやると下沖が語った。昨秋と春季県大会を連覇と、県内無敗。ライバルを過剰に意識する必要はどこにも何もないのだ。

 チームは東北大会の準々決勝で聖光学院(福島)に4-6で敗れたあと、練習量を大幅アップ。3日までの約2週間は午後8時の通常練習後に、夕食を取ってから再び全体で集まり筋トレや素振りなどを午後10時すぎまで実施した。

 この一戦は4番に座った下沖が3安打4打点と活躍。五回一死二塁では両翼100メートル、中堅125メートルの広さがあるグラウンドのバックスクリーン左横に特大弾をたたき込んだ。チームも13安打8得点で大勝。強化練習の効果を存分に発揮し、三本木農-東奥義塾の勝者と当たる14日の2回戦へ向け最高の形で終えた。

 「一番大事なのは初戦。ここをしっかり勝って一気に波に乗りたい」

 下沖が力強くいいきった。投打の柱としてチームを引っ張り、青森山田の壁をぶち破って春夏連続出場を手にする。

下沖 勇樹(しもおき・ゆうき)
1991(平成3)年9月8日生まれ、岩手県二戸市出身、17歳。中央小4年時に堀野ボーイズで野球を始める。当初は三塁手も、福岡中1年時から投手に転向。3年時に全国中学軟式野球大会優勝。光星学院では1年春から公式戦ベンチ入りし、1年秋からエース。1メートル80、77キロ。右投げ右打ち。家族は両親と兄、妹(サンスポ)

斎藤、聖地に超満員も「封印」解けず/ノア

2009年07月06日 06時46分59秒 | 格闘技情報

三沢さんの最後の相手となった斎藤(右)は、この日も「バックドロップ」を仕掛けず…。逆に森嶋にこの技を決められた

ノア(5日、東京・ディファ有明、観衆=1800)「封印」解けず! 6月13日の試合中に頭部を強打して急死したノアの社長で、人気レスラーだった三沢光晴さん(享年46)の最後の相手となった斎藤彰俊(43)が、森嶋猛(30)と対戦し、三沢さんが受けた最後の技となった「バックドロップ」をこの日もみせなかった。逆に森嶋にこの技を決められ、3カウントを聞いた。

出るか、出すのか?! 斎藤が回り込んで、相手の背後につく。そこで仕掛けた技はジャーマン・スープレックスの連発だった。145キロの森嶋を豪快に放り投げ、カウント2まで追い込んだが、最後は逆にバックドロップを立て続けに浴びて力尽きた。

 「魂のこもったバックドロップをもらった。(森嶋が)この技で勝負してくれたことに感謝している…」

 気持ちの整理はまだついていなかった。6月13日の広島大会で行われたGHCタッグ選手権。斎藤のバックドロップを受けた三沢さんは、その直後、リングで昏倒。そのまま帰らぬ人となった。責任感にかられた斎藤は翌日の博多大会の試合後、リング上でリングサイドに飾られた三沢さんの遺影に土下座した。その後の鹿児島、熊本、名古屋、後楽園ホール大会でもバックドロップはみせなかった。これで6試合連続して“封印”となる。

 この日の会場となったディファ有明は、三沢さんが00年8月に旗揚げ興行を行った、ノアにとっては聖地。前日には三沢さんのお別れ会が開かれ、2万5000人超のファンが駆けつけ、最後の別れを惜しんだばかり。三沢さん死後、初のディファ有明大会で、ひと区切りもついた。バックドロップを披露するタイミングはそろっていたのだが…。それでも、繰り出さなかった。出せなかった。

 斎藤にしかわからない、心のかっとう。涙こそみせなかったが、沈痛な表情を浮かべながら、「自分は三沢社長の最後の対戦相手。もっと上にいく。いずれ(バックドロップを)解禁することになれば、(森嶋と)もう一度闘いたい」。バックドロップ解禁には前向きな姿勢もみせた。

 次期シリーズは12日に開幕。「死神」の異名を持つ斎藤が、再びバックドロップを披露したとき、天国にいる三沢さんもきっと笑顔でうなずいてくれる。(サンスポ)