Three frogs which smile.

酒飲みは奴豆腐にさも似たり
初め四角であとは ぐずぐず

最後の晩餐

2006-08-15 | 日々の種
もっとなんて言えない
充分すぎる。
ありがとう


夏は夜。
今は昔清少納言さんが言った。
月のころはさらなり。

夏の夜、冬とは違った透明度の夜を泳ぐ月は優しい。

夏はカレー。
これを言ったのは秀樹くんか。
蒸し暑い昼のころはさらなり。

陽の光り、冬とは違ったまぶしい強さに香辛料が響く。

カレー。
実は、苦手。
それは少し語弊がある。

一人で食べるカレーが苦手。
友達とか家族とかと一緒に食べたいの。
昔ずっと一人で食べてた記憶があって、なんとなく寂しいの。
最後の晩餐はカレーがいいと言う人が居た。
独りでもそうなのかな。
自分の大切な人とゆっくり味わえばなんでも嬉しい気もする。
おいらは独り蕎麦にしよう。
大切な人達を想いながら。
もし一緒に居てくれる人がいたらそれだけで充分満足で、
居たいと思っているけれど、それも出来ないと言われたらそれはそれで嬉しい。

昨日の夜は訳あって独りカレー。

もらい物のレトルトカレーに冷蔵庫にあった野菜を炒めて、玉子乗せてみた。
ご飯のつぶつぶは10穀米。
独りカレーは最後にしたい。

あなたが居る寂しさ

2006-08-03 | 日々の種
まだ梅雨も空けていなかった
蝉が一つ鳴いていた
7日で終わる恋
相手も居なければ寂しかろう
終わると知っているならできるだろうか


暑い陽射を浴びると今までの不満はどこ吹く風で涼しさを求めるわがまま。
求めたらもらえるとわかってしまった時から、
嬉しさも寂しさも味わうことになる。
分からないほうがいいのだろうか。

逢いたい人が増えたのは生きてきたご褒美だと思う。
逢いたい人にもう二度と逢えない事を納得するということは、なんて試練なのだろうと思う。
それがあたしに出来ると思ったからそうしたのですか?
そう聞きたくなるときがある。

触れることは出来なくても、もう一度泣きながら笑いながら呑みたい。
思い出すことしかあたしには出来ないから。

考えながら寝ているとたまに身体が固まる。
耳の中で声がして、下に引っ張られる。
小さい頃からなので気にしてないけれど、あまり気持ちのいいものではない。

(注)ここからは怖がりな人、一人暮らしな人、想像力が豊かな人は読まないほうがいいかもです。

実家に住んでいたときです。
夜中に物音で眼が覚めました。
まだぱぱんは生きていて、リビングでお酒を呑んでいる気配がしました。
歌を歌っていました。
うっすらと覚醒していく中間であたしは身体が固まりました。
耳の中にお経が聞こえてきています。
まただ。暫らくすれば治るだろう。
そう考えていると、お経と一緒に聞こえていた歌がどんどん大きくなっていきます。

よく、聞いてみました。
いや・・・・歌じゃない。

そして


                      ぱぱんじゃない。


もちろんままんでもなく、聞き覚えのない声でした。
足音もスリッパや素足の音ではなく、コルク張りの床を重たいものをゆっくりと引きずるようなそんな音。
ずる・・・ずる・・・    ずる・・・・      ずる・・・・
歌じゃないその声が何を言っているのか、お経が邪魔をしてよく聞こえない。
そして聞いてはいけない言葉を、ずっと抑揚をつけて繰り返している。
聞いてはいけない。聞いてはいけない。

   ろ     やる・・・・・


 こ ろ     やる・・・・・




ころしてやる・・・・・



聞こえた瞬間に、見えたのは
リビングで包丁を持って身体を引きずって歩いている浅黒い男の人。

ふすまは閉まっているのに。

多分、そのまま寝てしまったのでしょう。
気がついたらまたリビングで物音がしています。
ぱぱんがお酒を作っている音がします。
歌をうたっている。
足音も、物音も声もぱぱんだと直感したらほっとした。

と思ったらまた身体が固まった。
一日に何度お経を聞けばいいのだろう。
気持ちが悪くなってきて出ない声を振り絞って叫んだ。

「おとうさん、たすけて」

多分言えてなかったんだと思う。
気がついたら朝で、ぐったりして食卓についた。
起きてきたぱぱんが一言。

「お前・・・・寝言がうるさい」



ショック・・・・
夢を見ていたのだろうけれど、夢でもいいから助けて欲しかったよ。
ぱぱん。

夢はつまり 思い出のあとさき

2006-08-01 | 日々の種
このまま夢の中で暮らす
眼が覚めた世界が
薔薇色かも知れなくても


夏になると思い出す事がある。
あたしには田舎がないので、帰省もなく毎年自宅にいるか、外で遊ぶか。
どちらにせよ真っ黒に日焼けして、何が楽しいのか一人で散歩ばかりしていた。
それは小学校にもあがっていなかったと思う。
ままんがあたしを連れて電車に乗った。
遠く遠く、冷凍みかんとお湯を入れるお茶を買ってもらった。
多分都こんぶも買ってもらった。
そんなの買ってもらえることがすごくすごく嬉しくてはしゃいだ。

着いた先には瓦屋根の大きな平屋の家。
台所はいつだって薄暗くて、その床下には何色だか分からない糠床があった。
家々の横を流れる川には金魚よりも大きくて見たこともない模様をした魚が泳いでいた。
多分、あれは選別されてより分けられた錦鯉だ。

トイレは汲み取り式だった。
黒いピカピカ光る粒の丸い石が敷き詰められた洗い場がだだっ広いお風呂があった。
入るときに一声かけるの。
おばちゃんが「熱くない?」って聞くの。

だから、きっと薪のお風呂だったんだ。
そのおばちゃんはあたしの「おばぁちゃん」ではなくて多分あたしの「おばぁちゃん」の「おねぇさん」だったんだと思う。
そのとき初めて知ったの。
毎年、端午の節句に笹で三角に縛ったチマキと香ばしいちょっと粒のあるきな粉を送ってくれていた「おばちゃん」だった。
あたしはそれが大好きで、もち米にうっすらと笹の薫りと甘みを含んだ頬張るとほろっと崩れる、それ。
黄金色のきな粉をいっぱいつけておなかが膨れるまで食べたチマキの「おばちゃん」だったって事。

板の間はつるつるで、柱はメープルシロップを思い出す、ぴかぴかでぬめるように照る。
畳の間は涼やかで伊草とお日様の薫りがするの。
行儀悪くごろごろとねっころがって、おばちゃんに叱られた。

「仏様の前ではしたない」

おばちゃんに叱られるのはこれだけだった。
あとはとても優しくて、温かくて、手がひんやりしていて、やっぱりおひさまの薫りがした。
畑に行って胡瓜やトマト、茄子をもいで、井戸水で冷やす。
がちゃこん、がちゃこん、ひと月も経たないうちに小さいあたしも井戸水が汲めるようになった。
必ず3時におやつを出してくれた。
おばちゃんの手前味噌をつけたり、あたしのためにと買って来てくれたマヨネーズをつけたり、糠漬けにしてくれたり。

あたしが飽きないようにと、おばちゃんの娘さんが使っていたオルガンを弾けるようにしてくれて、
とっておいた玩具をくれた。
古かったけれど、嬉しかった。自分用の玩具。

ささげを収穫してござの上に広げて乾かす。
虫食いやゴミをひとつひとつ丁寧により分ける。
おばちゃんはあまり眼が見えないから、それがあたしの仕事だった。

「今年はとても綺麗な小豆が食べられるね」

そういって褒めてくれた。
縁側に座って西瓜を食べて、サイダーを飲んで、蚊帳をつった部屋で寝る。
蚊取り線香の匂いとままんが仰ぐ団扇の風、下の部屋で鳴る風鈴の音。

本家への挨拶。半分凍った蜜付けの白桃、裏山にあるお墓へのお参り、まるきり雰囲気の違う盆踊り。
買ってもらった麦わら帽子、近所のお姉さんにもらったさくらんぼのピン。お下がりのスカート。
あたし用に作ってくれた小さめのおはぎ、ご挨拶に行った先で食べた少し湿気たお煎餅。
夏の思い出。
セピア色じゃない、真夏の太陽に照らされたひまわり色の夏の思い出。

ぱぱんに叱られたり、泣いたり、殴られたりする事を一つも思い出さない夏。

齢を重ね、ある日懐かしくなって聞いてみた。
何であんなに長い夏休みだったのか。

ままんぬ回答
「あまりにも家庭を顧みないお父さんへの仕返し」
多分女性関係も絡んでいたと思われる・・・
悲しかったろうし、くやしかったろうし、寂しかったろうし、顔も見たくなかったのかもしれない。

向かった先は身体が弱かったままんぬが疎開をしていた「おばちゃん」のところで、お世話になった人や幼馴染と会っていたのだそうだ。
今はもう井戸も埋め立て、母屋も改装し、お風呂は全自動、水洗トイレで二世帯住宅。
畑もなければ、蚊帳もつらない。
おばちゃんも足が悪く、あのきな粉もおはぎも、チマキも作れない。
もう二度とあの太陽はあたしを照らさないし、ぱぱんぬもいない。

でも、思い出だけは生きていて、当時のあたしを照らしてる。
生きているんだもの。
ふと思い出してしまうようなまぶしい夏の思い出を少しずつ増やしていきたいなと思います。
長くなりましたが、、、、

今日も夏の思い出作り。知らない間に8月なので・・・
呑みに行って来ます♪