Three frogs which smile.

酒飲みは奴豆腐にさも似たり
初め四角であとは ぐずぐず

夢はつまり 思い出のあとさき

2006-08-01 | 日々の種
このまま夢の中で暮らす
眼が覚めた世界が
薔薇色かも知れなくても


夏になると思い出す事がある。
あたしには田舎がないので、帰省もなく毎年自宅にいるか、外で遊ぶか。
どちらにせよ真っ黒に日焼けして、何が楽しいのか一人で散歩ばかりしていた。
それは小学校にもあがっていなかったと思う。
ままんがあたしを連れて電車に乗った。
遠く遠く、冷凍みかんとお湯を入れるお茶を買ってもらった。
多分都こんぶも買ってもらった。
そんなの買ってもらえることがすごくすごく嬉しくてはしゃいだ。

着いた先には瓦屋根の大きな平屋の家。
台所はいつだって薄暗くて、その床下には何色だか分からない糠床があった。
家々の横を流れる川には金魚よりも大きくて見たこともない模様をした魚が泳いでいた。
多分、あれは選別されてより分けられた錦鯉だ。

トイレは汲み取り式だった。
黒いピカピカ光る粒の丸い石が敷き詰められた洗い場がだだっ広いお風呂があった。
入るときに一声かけるの。
おばちゃんが「熱くない?」って聞くの。

だから、きっと薪のお風呂だったんだ。
そのおばちゃんはあたしの「おばぁちゃん」ではなくて多分あたしの「おばぁちゃん」の「おねぇさん」だったんだと思う。
そのとき初めて知ったの。
毎年、端午の節句に笹で三角に縛ったチマキと香ばしいちょっと粒のあるきな粉を送ってくれていた「おばちゃん」だった。
あたしはそれが大好きで、もち米にうっすらと笹の薫りと甘みを含んだ頬張るとほろっと崩れる、それ。
黄金色のきな粉をいっぱいつけておなかが膨れるまで食べたチマキの「おばちゃん」だったって事。

板の間はつるつるで、柱はメープルシロップを思い出す、ぴかぴかでぬめるように照る。
畳の間は涼やかで伊草とお日様の薫りがするの。
行儀悪くごろごろとねっころがって、おばちゃんに叱られた。

「仏様の前ではしたない」

おばちゃんに叱られるのはこれだけだった。
あとはとても優しくて、温かくて、手がひんやりしていて、やっぱりおひさまの薫りがした。
畑に行って胡瓜やトマト、茄子をもいで、井戸水で冷やす。
がちゃこん、がちゃこん、ひと月も経たないうちに小さいあたしも井戸水が汲めるようになった。
必ず3時におやつを出してくれた。
おばちゃんの手前味噌をつけたり、あたしのためにと買って来てくれたマヨネーズをつけたり、糠漬けにしてくれたり。

あたしが飽きないようにと、おばちゃんの娘さんが使っていたオルガンを弾けるようにしてくれて、
とっておいた玩具をくれた。
古かったけれど、嬉しかった。自分用の玩具。

ささげを収穫してござの上に広げて乾かす。
虫食いやゴミをひとつひとつ丁寧により分ける。
おばちゃんはあまり眼が見えないから、それがあたしの仕事だった。

「今年はとても綺麗な小豆が食べられるね」

そういって褒めてくれた。
縁側に座って西瓜を食べて、サイダーを飲んで、蚊帳をつった部屋で寝る。
蚊取り線香の匂いとままんが仰ぐ団扇の風、下の部屋で鳴る風鈴の音。

本家への挨拶。半分凍った蜜付けの白桃、裏山にあるお墓へのお参り、まるきり雰囲気の違う盆踊り。
買ってもらった麦わら帽子、近所のお姉さんにもらったさくらんぼのピン。お下がりのスカート。
あたし用に作ってくれた小さめのおはぎ、ご挨拶に行った先で食べた少し湿気たお煎餅。
夏の思い出。
セピア色じゃない、真夏の太陽に照らされたひまわり色の夏の思い出。

ぱぱんに叱られたり、泣いたり、殴られたりする事を一つも思い出さない夏。

齢を重ね、ある日懐かしくなって聞いてみた。
何であんなに長い夏休みだったのか。

ままんぬ回答
「あまりにも家庭を顧みないお父さんへの仕返し」
多分女性関係も絡んでいたと思われる・・・
悲しかったろうし、くやしかったろうし、寂しかったろうし、顔も見たくなかったのかもしれない。

向かった先は身体が弱かったままんぬが疎開をしていた「おばちゃん」のところで、お世話になった人や幼馴染と会っていたのだそうだ。
今はもう井戸も埋め立て、母屋も改装し、お風呂は全自動、水洗トイレで二世帯住宅。
畑もなければ、蚊帳もつらない。
おばちゃんも足が悪く、あのきな粉もおはぎも、チマキも作れない。
もう二度とあの太陽はあたしを照らさないし、ぱぱんぬもいない。

でも、思い出だけは生きていて、当時のあたしを照らしてる。
生きているんだもの。
ふと思い出してしまうようなまぶしい夏の思い出を少しずつ増やしていきたいなと思います。
長くなりましたが、、、、

今日も夏の思い出作り。知らない間に8月なので・・・
呑みに行って来ます♪