シネマ歌舞伎『らくだ』と『連獅子』を観てきました。
まずは古典落語を素にした『らくだ』。
楽しい演目です。
フグに当たって死んでしまった通称“らくだ”の馬太郎。仲間の半次は、紙屑買いの久六を大家のもとへ使いに出します。お通夜のお酒を出してくれるよう言ってこいというわけです。出さないならばホトケにカンカンノウを躍らせるぞとの脅しつき。
馬太郎は長屋の嫌われ者で、久六ですら買い取れるものがないという貧乏ぶりで、半次は腕に彫りのあるやくざ者。
久六は仕方なく使いにでますが、大家さんはけんもほろろ。ホトケの踊るカンカンノウは見たことがないから、かえって見たいくらいだとの返事。
そうとくるなら、と、半次は、久六に死んだ馬太郎を担がせ、大家のもとへ。
馬太郎の重い体を抱えてカンカンノウを踊るというわけです。
この辺り、アクシデントもあってか半次役の坂東三津五郎さんも、久六役の勘三郎さんも、本気で笑っている様子。
アドリブかなというセリフも飛び出します。
こういう楽しさって、作りに作られた笑いともちょっと違う雰囲気が楽しめます。歌舞伎の大袈裟な身振りがそれをいっそう引き立てる感じ。
その雰囲気が全体に伝わって、劇場のお客様からの笑い声もひとしおです。控えめながら映画の劇場でも笑い声が聞こえました。
とはいえ、死体を踊らせるなんて不謹慎よね?という気持ちを汲んでか、終幕となる第三幕では、半次もひどい目にあうというわけです。
勘三郎さんと三津五郎さんのバランスがいいんですよねー。
なんだかとても楽しそうで、見ているほうも楽しくなります。
さて、もう一つは歌舞伎舞踊の有名演目『連獅子』。
親が子を千尋の谷に突き落とし、駆け上がって来た子だけを育ているという獅子の親子の様子を舞踊にした作品です。
毛振りが有名なあれ。
今回は勘三郎さん、勘九郎(当時勘太郎)、七之助の三人によるものです。
実際の親子が演じているので、見ているほうの思いは二重写し。
親子の情愛と獅子の勇壮さに見入ることになります。
最後の毛振りの時の息の合いように思わず拍手。
どちらの作品も、昨年の暮れに勘三郎さんが亡くなったことを思うと、物寂しさを感じずにはいられませんでした。
親子三人の『連獅子』を観ることは叶わぬこととなり、軽妙な勘三郎さんのセリフ回しや雰囲気で『らくだ』を観ることも、今となってはスクリーンの中のみとなってしまったのです。
ああ、これからだったのにと、改めて惜しいと思う気持ちが抑えられませんでした。
ちょっと泣いちゃう感じ。
先日は、団十郎さんも闘病の甲斐なく他界されてしまいました。
歌舞伎界の大名跡を二人までも欠き、新歌舞伎座のこけら落としは華やかさの中にも一抹の寂しさを含むものになってしまうのでしょうね。
新歌舞伎座の舞台で、当代花形役者の姿をみるのを皆さん楽しみにされていたでしょうに。
もちろん、それを願っていたのは、ご本人たちが一番だったでしょうけれども。
改めてご冥福をお祈りいたします。
そうなの、三津五郎さんって、テレビよりずっとカッコいいのよねー。初めて舞台で観た時、あのカッコいい役者さんは誰? あ、三津五郎さん?!とびっくりした思い出があります。
映画は手軽で嬉しいけれど、やっぱり生で観たかったなと思いますよね、どうしても。しかも手遅れになってから。ほんとに惜しいなぁ…。
三津五郎さんてドラマで見ることの方が多かったんだけど、やっぱりかっこいい!というか決まってる~!
その筋では家元と呼ばれる男だ、のくだりは最高でしたね。
勘三郎さんは、なんとも愛らしい。なのに連獅子ではビシッと決める。最高です!
やはり生で観たかった…と悔やまれます。