ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

ミシェル・ウエルベックの【素粒子】

2007-05-20 | 筑摩書房
 
著者はフランスの小説家。
”人類の孤独の極北に揺曳する絶望的な<愛>を描いて重層的なスケールで圧倒的な感銘をよぶ、衝撃の作家ウエルベックの最高傑作。
文学青年くずれの国語教師ブリュノ、ノーベル賞クラスの分子生物学者ミシェル・・・捨てられた異父兄弟の二つの人生をたどり、希薄で怠惰な現代世界の一面を透明なタッチで描き上げる。充溢する官能、悲哀と絶望の果てのペーソスが胸を刺す近年最大の話題作。” 

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 素粒子

 著者:ミシェル・ウエルベック
 訳者:野崎 歓
 発行:筑摩書房
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読み始めてすぐに感じるのは、ひとつの疑問である。
「書いているのは、誰か。」
何もかもが終わったところから、その始まりを紐解いていく視線は、温かくもなく冷たくもない。
坦々と事実を延べ、考察する落ち着きだけがある。
科学者についての記述には、時折、また別の科学者の文章が引用され、評伝や論文のよう。
小説の、一般的な三人称での叙述という印象ではない。
一体、誰が書いているのか。

章が変わると、論文のような雰囲気がなくなる。
人物の静止画像をスライドで見せられていたものが、急に動画になったよう。
この異父兄弟の人生がおおかた時間軸に沿って語られていく。
1968年、ブリュノは11歳、ミシェルは10歳。
彼らは成長し、やがてそれは老いと呼ばれるものになる。
「ニューエイジ」の思想、性の解放。量子論、遺伝子工学。
絶望、あるいは、いずれ失われることが確定している希望。

悲劇を悲劇として全うするには適度なエネルギーが要る。
失速した悲劇も、突き抜けてしまった悲劇も、どこからか、笑えない喜劇、ありふれた物語に転じ、その先には手に負えない寂しさが広がる。
読み進めるごとに気持ちは沈んでいく。
けれども、登場人物たちはどうなっていくのか、それが知りたくて、読むのをやめられない。

過去から流れてきた時間は、ある時から未来に変わり、追い越された、と思った瞬間から、思いがけない結末が現れてくる。
当初の疑問への回答である。

「書いているのは誰か」

読み終わって、どうしよう、と、途方に暮れた作品だった。
もともとは『ある島の可能性』を読もうと思ったところで、それが『素粒子』の続編らしいというので読み始めた作品だった。
こちらの作品の中には光の射す未来への可能性があるのだろうか。

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 ある島の可能性

 著者:ミシェル・ウエルベック
 訳者:中村 佳子
 発行:角川書店
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2 コメント

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おおお・・・ (むぎこ)
2007-05-21 08:52:19
題名だけで飛びつきそう
返信する
むぎこさま (きし)
2007-05-22 21:50:31
機会がありましたら、ぜひ
イメージと合うかどうかは…?
返信する

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