風邪をひきかけているような気がする。
こういう時に、小川洋子氏の作品を読むのはいかがなものかと、ちょっと思いはしたのだけれど、あまり元気なものを読むのもしんどいのでちょうど良かったのかもしれない。
あまり弱っているときだと、ずるずると引きずりこまれてしまいそうでオソロシイ。
薬指の標本
著者:小川洋子
発行:新潮社
Amazonで書評を読む
『季節の記憶』もそうだったが、これもタイトルが好きだ。
『ナントカのナントカ』。このオーソドックスな形が好きなのかもしれない。
『薬指の標本』は映画になっているそうだ。
フランス映画。
読む前から「ああ、それはいいかもしれない」と思っていたが、読み終えてその感じは強まった。
ただ、帯に載っている俳優さんは、私の好みでもイメージでもない(断言)ので、近所で公開されてもきっと観に行かない。
冒頭、語り手である『私』は、左手の小指の先を失う。
切り離された肉片。
不在という存在が生まれる。
指の先がないことで、『私』はずっとなくなった指の先を意識し続ける。
そんな彼女が勤めるのは標本室。
人々が様々な意味での思い出の品を持ち込んでくる。
永遠に残しておきたいもの、あるいは、永遠に封じ込めたいもの。
それはそのままの状態で在り続ける。
そうすることで、人はそれを自分から切り離すのだろう。
ここまで読んだ時『沈黙博物館』を思い出した。
どうも私は著者と『沈黙博物館』を切り離して考えられないらしい。
標本室には、沈黙博物館とは逆の方向で、種々雑多なものがある。
沈黙博物館には、強奪もありえる形で、人々が存在していた証が集められ、展示されている。
標本室には、持ち込みという形式で、人々が生きたその時々の証が保管されている。
標本室に勤めているのはもうひとり、事務員の『私』を雇っている標本作製技師。
持ち込まれるのは、焼け跡のきのこ、文鳥の骨、楽譜、はては火傷の痕まで。
標本にできないものはないらしい技師は地下室でひとり標本を作っている。
そして、彼は『私』に靴を贈る。
いつもこの靴を履いているようにと命じて。
著者は広々としていながら、完全に閉じているような物語空間をつくるのがうまい。
『私』は抗うことも考えつかぬかのように、捉えどころのない技師に次第に絡めとられていく。
服は脱がせても靴は脱がせない男。
この作品を読んで、技師のイメージに当てはまる誰かが浮かんだとしたら、それは自分にとって、かなり危険な存在ではないかと思う。
私はこの2人の関係に、『ハンニバル』のレクター博士とクラリスを少し連想した。
この本にはもう1篇、収録されている。
『六角形の小部屋』。
カタリコベヤ。語り小部屋。
たった一人、胸のうちを語るための小さな小さな空間と、その番人の親子、ミドリさんとユズルさんに出会った『私』の過ごした時間の物語。
濃厚な『薬指の標本』を読んだ後だと、あっさりめに感じるが、忘れた頃に読んだら、脳ミソに残りそうな作品だ。
こういう時に、小川洋子氏の作品を読むのはいかがなものかと、ちょっと思いはしたのだけれど、あまり元気なものを読むのもしんどいのでちょうど良かったのかもしれない。
あまり弱っているときだと、ずるずると引きずりこまれてしまいそうでオソロシイ。
薬指の標本
著者:小川洋子
発行:新潮社
Amazonで書評を読む
『季節の記憶』もそうだったが、これもタイトルが好きだ。
『ナントカのナントカ』。このオーソドックスな形が好きなのかもしれない。
『薬指の標本』は映画になっているそうだ。
フランス映画。
読む前から「ああ、それはいいかもしれない」と思っていたが、読み終えてその感じは強まった。
ただ、帯に載っている俳優さんは、私の好みでもイメージでもない(断言)ので、近所で公開されてもきっと観に行かない。
冒頭、語り手である『私』は、左手の小指の先を失う。
切り離された肉片。
不在という存在が生まれる。
指の先がないことで、『私』はずっとなくなった指の先を意識し続ける。
そんな彼女が勤めるのは標本室。
人々が様々な意味での思い出の品を持ち込んでくる。
永遠に残しておきたいもの、あるいは、永遠に封じ込めたいもの。
それはそのままの状態で在り続ける。
そうすることで、人はそれを自分から切り離すのだろう。
ここまで読んだ時『沈黙博物館』を思い出した。
どうも私は著者と『沈黙博物館』を切り離して考えられないらしい。
標本室には、沈黙博物館とは逆の方向で、種々雑多なものがある。
沈黙博物館には、強奪もありえる形で、人々が存在していた証が集められ、展示されている。
標本室には、持ち込みという形式で、人々が生きたその時々の証が保管されている。
標本室に勤めているのはもうひとり、事務員の『私』を雇っている標本作製技師。
持ち込まれるのは、焼け跡のきのこ、文鳥の骨、楽譜、はては火傷の痕まで。
標本にできないものはないらしい技師は地下室でひとり標本を作っている。
そして、彼は『私』に靴を贈る。
いつもこの靴を履いているようにと命じて。
著者は広々としていながら、完全に閉じているような物語空間をつくるのがうまい。
『私』は抗うことも考えつかぬかのように、捉えどころのない技師に次第に絡めとられていく。
服は脱がせても靴は脱がせない男。
この作品を読んで、技師のイメージに当てはまる誰かが浮かんだとしたら、それは自分にとって、かなり危険な存在ではないかと思う。
私はこの2人の関係に、『ハンニバル』のレクター博士とクラリスを少し連想した。
この本にはもう1篇、収録されている。
『六角形の小部屋』。
カタリコベヤ。語り小部屋。
たった一人、胸のうちを語るための小さな小さな空間と、その番人の親子、ミドリさんとユズルさんに出会った『私』の過ごした時間の物語。
濃厚な『薬指の標本』を読んだ後だと、あっさりめに感じるが、忘れた頃に読んだら、脳ミソに残りそうな作品だ。
デシマル。
パエリアは惜しかったですね~。ほんとにおいしそうで。
だからというわけではないのですが、私、あの男の人、嫌いです
映画、ご覧になったら感想聞かせてくださいね~。
観る、観ないもそうなんですけど、上映されるかが疑問。
田舎はこういうときつらいです。
そもそも、弟子丸って苗字が、イメージをかなり限定してくるような気がします。
私はちょっと別の理由から、観てみたいと思っている映画ですが。
『六角形の小部屋』。 美味しそうなパエリヤが一瞬でおじゃんになるシーンが、何故かとても印象深くって、記憶にこびり付いています。
ただ単に、勿体無いからだったりして・・・、いやいやそんな。