ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

宝島生まれの男の話。 飯島和一【汝ふたたび故郷へ帰れず】

2006-10-22 | and others
恵まれた素質と実力をもっているが、長く不遇な時を過ごしたために精神的に荒れ、一度はボクシングから離れた男の挫折と再生の物語。
こう書くと非常に陳腐な感じがするが、そう思ってもなお、引き込まれるものがあった。

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 汝ふたたび故郷へ帰れず

 著者:飯島和一
 発行:小学館
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もしかしたら、ボクシング好きの方には連想させる現実の誰か、または何かがあるのかもしれないけれども、私には全くなかった。
そもそも私はボクシング観戦が苦手。
プロレスは平気で、一時期好んでみたりもしたのだが、ボクシングは一貫して避けている。
怖いからである。
ただすごいとおもうだけで、あのパンチのキレが…とかいうことがわからないから怖い。
「ボクシング」であって、「殴り合い」ではないと思っていても、攻撃の原型という気がする殴るという行為の単純さが怖い。
あそこには素手で人を殺せる人たちがいるという感じが拭えない。
そういう私が読んでもひきこまれた。

主人公はミドル級のプロボクサー。
何もかもが遠くに見えるようなぼんやりとした視界、体が生きていることを忘れかけているような彼の挫折感は私からかけ離れたものではない。
もちろん、身を削るようにしている彼ほど激しいものではないにしても。

彼の所属するボクシングジムの社長兼トレーナーである下村。
彼の傷を治してくれる長内。尊敬できる先輩の白鳥。
素質もあり、人にも恵まれている彼だが、想像以上に厳しいプロボクサーの生活は彼を追い込んでいく。
俺はもっとやれるという強い自尊心。事実、彼は勝ち続けている。
だが、少ない試合数では暮らしていけない。
彼はスーパーで働いているのだ。
プロボクサーなのに、試合ができない。
ランキング2位のボクサーであるのに、なぜという思いは彼を蝕み、ジムの社長の声も既に届かない。
負けこそしなかったが、負けるつもりで出た試合を最後に、彼はボクシングを辞める。
彼は既にアルコールに依存していた。

やがて彼は故郷の島、宝島へ帰る。
既にここに家はなく、家族もいないが、彼の生まれた土地であり、愛した人たちのいるはずの、何度も思い出した風景と空気を持つ島。
ここで、彼は、ジムの社長、下村の死を知ることになる。

重い。
が、不思議と嫌悪感がない。文章も軽くないが、粘つく感じがない。
ボクシングを観るときには感じていた恐怖感もない。
彼が本当にぎりぎりであることがわかる気がするからか。
ボクシングに真摯である人たちの姿がはっきりと描かれているからか。
「故郷」が人に与える力を思うからか。
文章の量としては長い物語ではない。
感じる重さは出来事の暗さではなく、時間の重み、人の想いの重みだろう。
それを背負って再びリングに戻った彼の力強さを感じた。

この他に『スピリチュアル・ペイン』、『プロミスト・ランド』の2篇。

『スピリチュアル・ペイン』は馬と人の物語。
戦時中、徴用された農耕馬を未だ忘れえぬ父。
人の生活のすぐ側にいた、荷を運び、畑で働いた馬たちがどれほどの存在であったかが、老いた父と、父の話を聞いた息子が出会った老人の姿から浮かび上がる。

『プロミスト・ランド』は熊狩りの物語。
趣味ではなく、職業として銃を持っていたマタギ。その末裔の現在を描いている。
閉塞感を抱きながら暮らしている主人公。
数が減り始めている熊の保護のために、猟を禁止する通達が出されたとき、彼らはどうするのか。
何気なく冒頭の風景の描写を読んでいたが、不思議と身近な川が思い浮かんできた。
自分の知っている風景を当てはめてしまったからかと、思っていたら、本当にその風景。そういえば、著者は県出身者だった。

『神無き月十番目の夜』の著者。
これから読みたいものがたくさんある。楽しみだ。

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2 コメント

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著者は (narkejp)
2006-10-27 20:50:16
若い頃に相撲やレスリングなど格闘技にずいぶん熱中したはずですよ。雷電為右衛門を描いた『雷電本紀』などが代表作のはず。実はまだ読んでいません。ボクシングものはその系統かな?

返信する
どうでしょう。 (きし)
2006-10-27 22:25:28
時代物じゃないのは初めて読みました。

『雷電本紀』を読んでいないのでちょっと比較はできませんけれど、ボクシングのシーンはしっかりボクシングの感じでした。

格闘技に熱中とされたいうのも頷けます。

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