ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

池澤夏樹【クジラが見る夢】

2013-06-28 | 新潮社

1994年、当時67歳のジャック・マイヨールと共に過ごした日々を綴った作品。
1998年発行の文庫です。

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 クジラが見る夢

 著者:池澤夏樹
 発行:新潮社
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ジャック・マイヨールは海をこよなく愛して生きた人です。
本の中には、青い青い海の中で、イルカやクジラと一緒に泳いでいるジャック・マイヨールの写真が多く入り、文字も大きく、ゆったりとした印象の本。
見た目と同じく、著者の静かな語り口も挿絵も、ゆったりとした気分を誘います。

イルカやクジラの群れとの出会いを待つ日々。
朝から沖に出てても、なかなか思うように会うことはできません。
それでも焦りもしなければ苛立つこともなく待つことのできるジャック・マイヨールを、著者はごく近くで観察し、そして、彼の生き方についてを考えていきます。
素潜りの世界記録を打ち立てるほど、冷静に身体の限界を見極めることのできたジャック。
極めて優れた漁師であるジャック。
人懐っこく、多くの人に愛されているジャック。
野生のイルカと心を通わせ、一緒に泳ぐジャック。
そのための、精神と身体の鍛練を欠かさないジャック。

彼は、この時、クジラと一緒に泳ぐために海を転々としていました。
著者は、「クジラは偉大な生き物だ」というジャック・マイヨールとクジラについてこんなふうな会話を交わします。

『ただサイズが大きいだけではない。存在として、知性として、大きい。生物の器官には無駄はない。ある器官が発達しているにはそれなりの理由がある。そして、クジラはとても大きな脳をしている。』

その大きさゆえに敵らしい敵もいないクジラには生きるための苦労はさほどなく、もちろん様々な欲にまみれることもないクジラという生物によせて、やんわりと人間を皮肉りながら、ジャックは続けていきます。

『では、クジラはあの大きな脳で何を考えているのか?物質的なことは何ひとつ考えなくていい。とすれば、あとは哲学的な瞑想しかないじゃないか』

ジャックが言ったように、クジラたちは宇宙について思うだろうか。
時間というものについて思うだろうか。
それはどうかわかりません。
けれども。

『できることなら、彼らの考えを聞いてみたいと思うよ』
『でも、まだ人間にはその資格がない』
『ないね。まだない。今はまだ互いの存在を認め合うのがせいぜいだと思うね』

クジラに自分の存在を認めてもらう。
クジラをただ眺めるのではなく、あの大きな生物に、今、自分がそこにいることをわかってもらう。
それは、想像しただけでもどきどきするようなことです。
そして、他でもないジャック・マイヨールがそう言うことにため息が出ます。
普通の人間には到底まねできないほど、生身のままで海の中で自由にふるまうことのできるジャック・マイヨールが。

著者は、イルカやクジラと泳いだ後、海から上がったジャックの笑顔を「いい笑顔だ」と言いながらも、「淋しそうな満足の表情」とみてとります。
そういえば、ジャック・マイヨールがそのモデルとなったリュック・ベッソンの映画『グラン・ブルー』。
あの映画も、とても綺麗でしたが、とても淋しい気持ちになる作品でした。
この本のなかにいるジャック・マイヨールもそうです。
クジラたちにおいていかれてジャックが淋しいように、読んでいるほうはジャックが人の世界から遠い存在をめざしていくことが淋しい。
彼の海への思いが強ければ強いほど、見捨てられたような気持ちになります。
海の中で生きていけるようにしてあげよう、その代わり、もう二度と陸では暮らせないと言われても、迷わず、海を選びそうな気がしてしまって。
もちろん、そんな魔法はなく、ジャック・マイヨールといえどもヒトはヒトであるのですから、ある意味絶望的な願いであるようにも思えます。
ジャックがまだ67歳であるこの本の中には、彼が74歳で自ら死を選ぶことなどは書いてありませんが、この、著者いわく「幸せな日々」の先に、その日がくることを思わずにはいられないことが淋しさを増幅させたのかもしれません。
ジャック・マイヨールの求めた幸せはどういうものだったのだろうと、今更ながら思ってしまう1冊となりました。




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