ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

アヴィグドル・ダガン【古いシルクハットから出た話】

2013-06-26 | and others

著者のアヴィグドル・ダガンは外交官にして文筆家であったという人物。
生まれ年の1912年は日本の元号では明治45年。没年は2006年で、存命ならば100歳を過ぎたところです。
第二次世界大戦終戦時に働き盛りというころでしょうか。
著者が生まれた場所はチェコ。ナチス・ドイツ台頭の頃はロンドンに亡命、戦後、プラハの外務省で報道官を務めましたが、共産党体制に危機感を抱き、1949年(昭和24年)にイスラエルに渡った後は、イスラエルの外交官として各国に滞在したのだそうです。
その国の中には戦後の日本も。

【古いシルクハットから出た話】clickでAmazonへ。
 古いシルクハットから出た話

 著者:アヴィグドル・ダガン
 訳者:阿部賢一
 発行:成文社
 Amazonで詳細をみる


まえがきにあたる『神々に宛てた手紙』で、何も書けなくなったときには、外交官時代の装身具であった古びたシルクハットを取り出し、それを決まった向きと数で回すと、かつての出来事が鮮やかに立ち戻ってくるのだと語り始められる短篇集。
『神様への手紙』、『ジェンティーラ』、『シレンカ』、『通訳にまつわる間奏曲』、『失踪した大使』、『レイキャビクでの祈り』、『予感』、『優等生』、『七枚のスカート』、そしてシルクハットと対話する『エピローグ』が収められています。

他の職業との二足のわらじ、しかもその職業での経験を活かした作品ということであれば、最近ではフェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』が記憶に新しいところです。
この作品も、著者がその職業そのままに登場して語りますが、外交そのものが描かれているわけではないので、暴露めいた後味の悪さがなく、とても穏やかで読みやすい作品です。
古い、長年の友であるシルクハットから出てきた話という外枠もユーモラス。
しかも、このシルクハットは東京の高島屋で買ったものといういわくつきです。

でも、軽いわけでは決してありません。
それぞれの作品の軸となるのは、著者の出会った人々が何に重きをおいて生きたかということ。
『失踪した大使』では尊厳死が、『優等生』では失意が人を死に至らしめることが、他のいくつかのエピソードでは自分の血のバックボーンがどこにあるかが恋の理由にすらなることが描かれます。
国あるいは自分の出自に繋がらずに生きることのままならない人々の選択の重さ。
『予感』では、過去の世代の罪と現在の世代との関わりについての答えの見つからない問いの答えを模索しつづけたある大使が登場します。
様々な「死」に満ちた短篇集といえるこの本が、せつないけれども穏やかさに満ちているのは、シルクハットの助けを借りて思い出すという体裁をとっているからだけでなく、著者が人々の死だけでなく、それとともに彼らと生きた時間を長年大切に思いかえし、折に触れ、彼らを胸に生きかえらせてきたからなのでしょう。
大切な友人たちの生と死の意味を深く考えながら。
生々しかったはずの出来事が時と思いに磨かれて物語になった、そんな気分にさせてくれる短篇集です。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イサク・ディーネセン【不滅... | トップ | 池澤夏樹【クジラが見る夢】 »

コメントを投稿

and others」カテゴリの最新記事