社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

吉田忠「統計学と機械的唯物論[Ⅰ]-古典派確率論と機械的確率論-(第3章)」『統計学-思想史的接近による序説-』同文館, 1974年

2016-10-16 22:22:04 | 4-2.統計学史(大陸派)
吉田忠「統計学と機械的唯物論[Ⅰ]-古典派確率論と機械的確率論-(第3章)」『統計学-思想史的接近による序説-』同文館, 1974年

統計学の源流には,ドイツ国状学,イギリス政治算術,フランス確率論があり,それらがケトレーによって近代統計学として集大成されたとする見方がある。やや形式的な理解であり,この通説に異議を示す研究も出てきているが,ここではそれは問わないとして,この通説に関し,ドイツ国状学,イギリス政治算術の解説を目にすることはしばしばあるものの,フランス確率論の内容を説明した文献にはあまり出会わない。本稿はそのフランス確率論がどのようなものであったか,その思想的背景にあった機械的唯物論がいかなるものであるかが論述されている。貴重な論稿である。

 最初に,確率論の発展についての簡明な説明がある。すなわちパスカル,フェルマの往復書簡でその基礎が築かれた確率論は,ホイヘンス,ジェームス=ベルヌーイ,ド・モアヴルがこれを発展させ,ラプラスが19世紀初頭に古典的確率論として体系化した。この流れをリードしたのは,経験から普遍的なものを「帰納」しなければならないとしたイギリス経験論ではなく,数学化された自然を前提とし,感覚をこえた知性の「数学(幾何学)的推論」によってその認識可能性を主張した大陸派合理主義であった。そこに不可知論が顔をのぞかせることはなかったが,反面,偶然現象の背後に何らかの構造,しかも数学的方法に規定された構造を前提としたうえで,偶然現象の認識可能性を唱える傾向があった。ラプラスはフランス唯物論哲学者の世界観を基礎に機械的唯物論に立脚して確率論を体系化した。

 概略,以上のアウトラインを下敷きに,筆者は「ホイヘンスと期待値」「ジェームス=ベルヌーイと大数法則」「ド・モアヴルと正規分布」の順に,確率論の内容を検証する。

ホイヘンスは,パスカル=フェルマに遅れてサイコロ勝負に関する論文を書き,確率論を初めて体系的に展開した。ホイヘンスはこの論文のなかで,今で言う期待値に言及したが,その期待値は客観的な現象に関する理論ではなく,主観の内部で行動の合理性を判断する基準ないし原則に転化している。確率論はその成立と同時に,確率を主観的なものとみなす傾向があったということである。

 ホイヘンスに続いて確率論の展開に大きな功績をあげたのは,ジェームス=ベルヌーイである。とくに重要なのは,二項分布と大数法則に関する考察である。筆者はここで経験的な大数法則とベルヌーイの数学的大数法則との相違を示すために,必要な範囲で二項分布を,ベルヌーイの方法に準拠して,説明している。結論は前者が単純枚挙帰納法に依拠し,後者が偶然現象にいくつかの仮定を前提とし,その前提から大数法則を演繹的に証明するというものである。

 二項分布で実験の回数nを増加させていくと,正規分布に近似する(中心極限定理)。正規分布は二項分布の極限として与えられる(ラプラス=ド・モァヴルの定理)。ド・モァヴルは,正規分布の式を明示的に示していないが,正規分布が十分に大なるnのもとでの二項分布の近似となるとの理解に到達していた。

 パスカル=フェルマからド・モアヴルに至る確率論の発展の経緯を以上のように整理して,筆者は数学的(または先験的)確率と統計的(または経験的)確率との関係の考察を行っている。前者は大陸で生まれ,サイコロやカードなどギャンブルを対象とし(事前に確率を計算できる),後者はイングランドで生まれ出生性比のような人口の規則性を対象とする(社会現象)。ベルヌーイは大数法則の原理を逆手にとって,確率論を社会現象に適用しようとし,ド・モアヴルは人口現象を含めこの世のあらゆる偶然現象の背後に潜む規則性をもとめようとした。

問題は2点ある。第一にベルヌーイのいわゆる大数法則は,その事象の生起が確率現象であることを前提としてのみ証明される。したがって統計的確率に大数法則を適用するには,そのプロセスを経験的に確かめなければならない。しかし,これは社会現象に関しては無理な注文である。したがって大数法則で数学的確率と統計的確率を結びつけるのは誤った試みである。確率は客観的現実のなかに見出されなければならず,先験的確率という用語自体が無意味である。第二に,統計的確率は対象となる偶然現象が確率現象でないならば,生起の比率は単に歴史的事実を示すだけで確率とは無縁であるということである。社会的偶然現象の生起の比率を,ただちに確率とみなすことはできない。

 確率論を武器に自然・社会現象の全ての偶然現象を合理的に把握したいという欲求は,現実とは無関係な数学的構造を擬制し,それにもとづいて確率論を適用する方向に向かう。その到達点は,ラプラスが完成させた古典的確率論の世界であった。
ラプラスは『確率の解析論』(1812年)で,それまでの確率や統計の理論を集大成し,彼の創案になる積率母関数を用い,確率に関する種々の問題に初めて解答を与え,さらにその全体を体系化した。とりわけ,正規分布を体系化し,スターリングの公式を使ってそれを二項分布から導出した。問題は,彼が与えた確率の定義である。ラプラスにあっては,偶然現象(偶然現象一般と確率現象の区別がない)の結果として起きる2つのものの片方が起こることが他方のそれよりも確からしいと確信させる理由が何もなければ,二つの場合は「同様に確からしい」として,これを確率の定義にもちこんだ(ライプニッツの充分理由律に依拠)。ライプニッツはその充分理由律に,あるものを認識したというときの「理由」とあるものの存在そのものを規定する「原因」とを含めたが,ラプラスがこの考え方を継承したということは,両者を混同して「理由」の欠如から「原因」の欠如を導こうとしたことになる。すなわち等可能でないと確信する理由が見出せなければ,それは等可能であるとしてよい,とした。ラプラスの「不充分理由の原理」というのは,これである。

 ラプラスのこうした考え方の背景には,機械的唯物論と呼ばれる独特の世界観がある。筆者は,この点を深堀りする。機械的唯物論は,宇宙の一切がニュートン力学によって解明しうるとする哲学である。ここでは事物の運動を事物そのものに固有の質的変化を段階ないし結節点とする生成死滅の過程としてではなく,空間における事物の量的増減のような,数学をそのもっとも適当な表現形式とする力学的関係の連鎖に置きかえる思考が顕著である。そのうえで,ラプラスは力学的因果関係として把握しえないものはすべて偶然現象であるかぎり,そこに確率を擬制してよいとした。

ところでイギリス経験論のもとでの帰納法は,演繹論理のもつ論理的必然性がないといわれる。しかし,ラプラスはベイズ定理を用いて,帰納推理の不確からしさに「確率」の値を与えようとした。筆者はラプラスのこの試みに言及している。ベイズ定理を持ちだしたのは,筆者がラプラスのこの試みに関心があったからであるが,もうひとつは,確率を純粋に主観的なものとみなす主観確率の立場と結びつけて,それを復活させようとする傾向が今日の数理統計学にみられるからである。筆者はこれ以降,ベイズ定理の丁寧で簡明な数学的解説に入るが,結論部分は次のように与えられている。「その基本概念である確率を経験世界に引き戻して考えると,ベイズの定理は,確率現象という一定の抽象化が加えられた事実においてそれと同次元の抽象的事実に関する特殊な推理を与えているにすぎない。そこでは『特殊な結果』から『特殊な原因』が確率的推論という特殊な形で判断される。ところがこの定義が数学的には,経験的内容を捨象した確率や確率変数にもとづいて証明されるため,あらゆる偶然現象において『特殊な結果』から『一般的原因』を推論するのに使えるような外観をもつ。しかし,それは外観のみで,一般化された形で経験世界とのかかわりあいを与えると必ずそこに論理的破綻があらわれる」と(p.105)。ベイズの定理は単なる数学上のそれであり,帰納法に代替するものではないというわけである。

最後の節は,「フランス唯物論」で,イギリス経験論とフランス唯物論との関係,大陸派合理主義と機械論との関係,機械的唯物論の特質が論じられて面白いが,統計学とは少し距離があるので,省略する。

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