高橋政明「ケトレーの社会体系論」『統計学』(経済統計研究会)26号, 1973年5月
確率論と物理学を理論的支柱とするとの評価があるケトレー統計学は, イギリスの政治算術との関わりがしばしば強調される。筆者はそのケトレーが物理学(=力学)のメカニズムを社会現象の研究に適用するにいたった動機が, 従来あまりとりあげられなかったとして, この点を究明しようと試みたのが本稿である。結論を先取りすると, 筆者は物理学(=力学)のメカニズムの社会現象への適用の契機をドイツ国状論にみている。
本稿を通読すると, 筆者はケトレーとドイツの国状論の系譜, とくにアッヘンワルの統計学との関係に重きがをおいていることがよくわかる。関連してルソーとの関連も指摘されている。後者は, わたしが過去にケトレー統計学に関する他の論文では触れられていなかった点なので, 印象深く読ませてもらった。
以下は筆者による整理の要約である。その著『社会体系論』(1848年)の「はしがき」で触れられた「新しい科学」は人間を個人の状態から人類の状態にいたるまでのさまざまな結びつきを考察する学問とされる。「社会体」がそれで, この範疇には個人, 国民および人間が含まれる。この学問の方法論は, 事象観察を細部から総体へ, そして総体のなかに細部ではみられない合法則性を抽出するというものである。
こうした考え方は『確率理論についての書簡』(1846年)にも貫かれ, そこでは国家は一つの有機的統一体として把握され, 統計学はその存立に関係あるあらゆる要素を対象とすると述べられている。有機的統一体にはルソーの影響が, 「国家の存立に関係あるあらゆる要素」にはアッヘンワルの影響がみられる。これを筆者は次のように, まとめている。「ケトレーが, アッヘンワル流の統計学を自己の学問体系にとりこみ, 発展させようとした過程を通して有機的統一体としての国家に着目した(・・・ことを)契機に, ケトレーの構想は, 『人間に就いて』における個人の状態から無媒介的に人類の状態にいたるように構築された初期の『社会物理学』観から, 国家を介在させた『新しい科学』への再構築が始まったとみることができよう」と(p.5)。関連して, 筆者は『人間に就いて』(1835年)から『書簡』『体系論』にいたるプロセスで, ケトレーの関心が出生, 死亡といった人口の動態に関する現象から(大数法則はそこでは法則発見の方法の基礎である), 諸個体の属性の分布型の問題(観察対象の存在様式)に移っていく点を特筆している。
この後, 筆者はケトレーの『書簡』第2編「諸社会について」の要約に入る。ケトレーはここで, 人間の本性としての「社交性」, それに由来する社会契約, この社会契約を原理とする社会体=国民の生命について触れ, 政治形態(君主制→立憲君主制→共和制), 国家の領土的大きさ(その最適規模), 国家の寿命(=存続期間), 人口(最適人口), 国民の道徳状態(世論), 国民の知的状態などについて論述している。全体としてその内容は, 種々の修正をくわえながらも, ルソーの『社会契約論』の影響が色濃い。
同時にそこには, ルソー⇔アッヘンワル⇒ケトレーの関係があるという(p.31)。ルソーとアッヘンワルとの間にすでに, 国家目的(=公共の幸福), 国家の契約説的理解に共通項がある。注意すべき点はアッヘンワルにあっては統計学者として, 土地, 人口, 法体系, 行政制度に関して個々の国家について, あるがままに具体的に詳述しようという志向があったのに対し, ルソーにあってはこれらが当為のそれとして抽象的に論じられたことである。「従って, ケトレーにとっては, ルソー的社会観を媒介として, アッヘンワルの国情論は自分の思考と相容れない異質の統計学ではなくなり, それは『新しい科学』への足がかりになって」いた(p.14)。もっともこの点とともに重要なこととして筆者が着目しているのは, ケトレーが『体系論』でアッヘンワル流の「社会解剖学」を超え, ルソー流の「社会生理学」を展開し, さらにそれをも超えて個人―国民―人類を, 地球―太陽系―宇宙に対応する一つの体系として, 社会体を一つの力学的体系として構想していったことである。国状学のコンリングや政治算術のペティは, 国家や社会を考えるさいに, まず全体を措定し, ついでその諸部分を明らかにする姿勢をとったが, ケトレーはこれとは逆に, 何の関連もないような諸個体の運動から出発して, それらが全体として一つの体系を構成する発想をもっていた。背景にあったのは, ケトレーの天文学の素養であった。
確率論と物理学を理論的支柱とするとの評価があるケトレー統計学は, イギリスの政治算術との関わりがしばしば強調される。筆者はそのケトレーが物理学(=力学)のメカニズムを社会現象の研究に適用するにいたった動機が, 従来あまりとりあげられなかったとして, この点を究明しようと試みたのが本稿である。結論を先取りすると, 筆者は物理学(=力学)のメカニズムの社会現象への適用の契機をドイツ国状論にみている。
本稿を通読すると, 筆者はケトレーとドイツの国状論の系譜, とくにアッヘンワルの統計学との関係に重きがをおいていることがよくわかる。関連してルソーとの関連も指摘されている。後者は, わたしが過去にケトレー統計学に関する他の論文では触れられていなかった点なので, 印象深く読ませてもらった。
以下は筆者による整理の要約である。その著『社会体系論』(1848年)の「はしがき」で触れられた「新しい科学」は人間を個人の状態から人類の状態にいたるまでのさまざまな結びつきを考察する学問とされる。「社会体」がそれで, この範疇には個人, 国民および人間が含まれる。この学問の方法論は, 事象観察を細部から総体へ, そして総体のなかに細部ではみられない合法則性を抽出するというものである。
こうした考え方は『確率理論についての書簡』(1846年)にも貫かれ, そこでは国家は一つの有機的統一体として把握され, 統計学はその存立に関係あるあらゆる要素を対象とすると述べられている。有機的統一体にはルソーの影響が, 「国家の存立に関係あるあらゆる要素」にはアッヘンワルの影響がみられる。これを筆者は次のように, まとめている。「ケトレーが, アッヘンワル流の統計学を自己の学問体系にとりこみ, 発展させようとした過程を通して有機的統一体としての国家に着目した(・・・ことを)契機に, ケトレーの構想は, 『人間に就いて』における個人の状態から無媒介的に人類の状態にいたるように構築された初期の『社会物理学』観から, 国家を介在させた『新しい科学』への再構築が始まったとみることができよう」と(p.5)。関連して, 筆者は『人間に就いて』(1835年)から『書簡』『体系論』にいたるプロセスで, ケトレーの関心が出生, 死亡といった人口の動態に関する現象から(大数法則はそこでは法則発見の方法の基礎である), 諸個体の属性の分布型の問題(観察対象の存在様式)に移っていく点を特筆している。
この後, 筆者はケトレーの『書簡』第2編「諸社会について」の要約に入る。ケトレーはここで, 人間の本性としての「社交性」, それに由来する社会契約, この社会契約を原理とする社会体=国民の生命について触れ, 政治形態(君主制→立憲君主制→共和制), 国家の領土的大きさ(その最適規模), 国家の寿命(=存続期間), 人口(最適人口), 国民の道徳状態(世論), 国民の知的状態などについて論述している。全体としてその内容は, 種々の修正をくわえながらも, ルソーの『社会契約論』の影響が色濃い。
同時にそこには, ルソー⇔アッヘンワル⇒ケトレーの関係があるという(p.31)。ルソーとアッヘンワルとの間にすでに, 国家目的(=公共の幸福), 国家の契約説的理解に共通項がある。注意すべき点はアッヘンワルにあっては統計学者として, 土地, 人口, 法体系, 行政制度に関して個々の国家について, あるがままに具体的に詳述しようという志向があったのに対し, ルソーにあってはこれらが当為のそれとして抽象的に論じられたことである。「従って, ケトレーにとっては, ルソー的社会観を媒介として, アッヘンワルの国情論は自分の思考と相容れない異質の統計学ではなくなり, それは『新しい科学』への足がかりになって」いた(p.14)。もっともこの点とともに重要なこととして筆者が着目しているのは, ケトレーが『体系論』でアッヘンワル流の「社会解剖学」を超え, ルソー流の「社会生理学」を展開し, さらにそれをも超えて個人―国民―人類を, 地球―太陽系―宇宙に対応する一つの体系として, 社会体を一つの力学的体系として構想していったことである。国状学のコンリングや政治算術のペティは, 国家や社会を考えるさいに, まず全体を措定し, ついでその諸部分を明らかにする姿勢をとったが, ケトレーはこれとは逆に, 何の関連もないような諸個体の運動から出発して, それらが全体として一つの体系を構成する発想をもっていた。背景にあったのは, ケトレーの天文学の素養であった。
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