社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村和範「[書評]橘敏明『医学・教育学・心理学にみられる統計的検定の誤用と弊害』『統計学』第52号,1987年3月

2016-10-05 20:53:50 | 2.統計学の対象・方法・課題
木村和範「[書評]橘敏明『医学・教育学・心理学にみられる統計的検定の誤用と弊害』『統計学』(経済統計学会)第52号,1987年3月

 本稿は,橘敏明『医学・教育学・心理学にみられる統計的検定の誤用と弊害』(医療図書出版会,1986年)の書評である。この著作の構成は,次のとおりである。
1.有意性検定と医学・教育学・心理学の関係/2.有意性検定における前提の無視/3.有意性検定の結果の誤解/4.有意性検定に必要な非科学的な推論/5.有意性検定のかかえる弱点/6.有意性検定に盲従することからくる弊害/7.有意性検定に屈服した研究と屈服しない研究/8.有意性検定に頼らない道/9.技術的な誤り

 統計的推論をめぐる状況の解説が,冒頭にある。科学の世界は,有意性検定万能時代(著者の用語)である。人が有意性検定に頼るのは,それが科学的認識のあるべき方法であるからではなく,主観的に「母集団-標本」図式を対象におしつけようとする信念にもとづく。有意性検定に対しては一連の批判的研究があるが,研究方向の転換をもたらすまでにいたっていない。有意性検定の意義と限界を指摘し,それを認識の方法としてしかるべく位置づける作業が継続的に必要な所以である。

 評者は以上のように述べた後,本書の構成にそくして,その内容を紹介,コメントしている。以下,評者の案内のポイントを抜き書きする。

「1.有意性検定と医学・教育学・心理学の関係」。データをみれば何が何でも有意性検定をしなければならない「有意性検定症候群」が蔓延している。有意性検定に問題があることに気づいていないか,あるいは気づいていてもその問題の内容を正確に理解していない研究者が多い。彼らは有意性検定の利用に熱心のあまり,それを批判した論文を無視,黙殺する,あるいはそれらの批判論文が専門的すぎるのか,理解が不十分である。著者の橘はわかりやすい解説を心がけようとしている。
「2.有意性検定における前提の無視」。検定を含め統計的推論といわれる統計的方法は,観測値が確率変数の実現値であることを必須の条件とする。しかし,著者によれば,無作為な標本抽出を行うことは現実に不可能である。抽出の無作為性は主観的に想定されているだけである。無作為抽出が不可能な時には,割りつけの無作為化が提唱されるが,それが標本抽出の無作為化の役割を果たすとは限らない。

「3.有意性検定の結果の誤解」。この内容紹介の前に,評者は統計的検定の基礎概念をわかりやすく解説している。橘によれば,現実の応用例では,検定の検出力を無視したものが多く,そのことによって弊害が出ているという。さらにこの章では,有意性検定で計算されるp値に対する誤解が3点にわたって批判されている。

「4.有意性検定に必要な非科学的な推論」。ここでは母集団への推測における問題点が指摘されている。有意性検定は観測した標本にもとづいて仮説に対してなにがしかの判断をくだし,母集団全体への推測を行う。これを有意性検定の一般化機能と呼ぶことにして,その検討がなされている。橘によれば,多くの有意性検定では母集団の規定が曖昧である。また,有意性検定の一般化機能の現れかたが不明瞭であると指摘されている。

「5.有意性検定のかかえる弱点」では,有意性検定に内在する弱点とその弱点を知らずに応用することから生ずる誤りが指摘されている。①棄却の対象として設定される帰無仮説は,例えば母平均がないという等平等帰無仮説が多い。これは差という「質的評価」(評者はこれも量的評価であると述べている)をめざすことに由来するが,本当に必要な情報は差の大きさである。②一回の実験で棄却か判断の留保かという二者選択を迫る有意性検定は,安易な二分法で科学的とは言い難い。③帰無仮説を棄却できない場合には,判断を留保しなければならないが,そうしたくなければ対立仮説をたてて第二種の過誤の確率をコントロールしなければならない。しかし,実際には難しい。④検出力は標本の増大とともに大きくなる。それに伴い帰無仮説は棄却されやすくなる。多くの場合,帰無仮説が偽であることは検定以前にわかることで,検定で仮説の当否が判定されるわけではない。

「6.有意性検定に盲従することからくる弊害」では,有意性検定が重要な研究方法として重視され,そのために「知的帝国主義」というにふさわしい状況があるなかで,実際の多くの応用が誤用であることが再確認されている。例としてあげられているのは,観測値が確率変数の実現値でないのにp値を計算する,大切なのは差の大きさであるのに有意差の有無だけを関心の的にする,自分の知っている検定法を無理に観測値にあてはめる,検定を用いた論文だけを重視する,有意性の検出だけをもとめ,有意性が検出されない結果の検討や考察をやめる,などなど。

「7.有意性検定に屈服した研究と屈服しない研究」。ここでは,実験心理学にある2つの方法,すなわち「群アプローチ」(個体を無作為にいくつかの群に割りをつけ,それぞれの群に実験処理をほどこし,群の違いを有意性検定でみつけるやり方)と「個体アプローチ」(いくつかの統制条件下に一個体を長期にわたり繰り返し置き,個体の行動をコントロールするやり方)である。橘はこれらを2つの「内的妥当性」と「外的妥当性」の2点で検討し「個体アプローチ」の復位を主張,「群アプローチ」の欠陥を指摘している。

「8.有意性検定に頼らない道」では,有意性検定が横行する現実を許しているのは,批判的指摘が少ないこともあるが,専門雑誌の編集者や査読者が有意性検定主導の事態を強化しているからであると指摘されている。さらに,薬効効果の判定で有意性検定が有効であったなどといった有意性検定の効果を肯定する見解が批判的に吟味されている。

「9.技術的な誤り」では,「多重比較」(三種以上の場合に二群ずつのペアを作りt検定にかける)における誤りを指摘している。製薬会社の安全試験で多用される「事後的比較」は検出力が低いのにそれが採用されているが,これは「何をしなければならないのかの視点を欠いた(あるいはわざとそうした)誤りである」というわけである。

 評者は最後に次のような感想をのべている。①現在の知的難局を「有意性検定症候群」ととらえ,これから抜け出て反省的思索の復位を提起する本書の論旨には共感できる。②有意性検定の誤用・乱用を包括的に,しかも一人で論じた書物として初めての試みであり,当該テーマを検討しようとする人が真っ先に読まなければならない重要文献である。

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