大橋隆憲「日本占領当初のアメリカ軍の統計調査」『統計学』(経済統計研究会)第8号,1960年4月
冒頭に次の言がある。「日本の戦後統計調査史によると,敗戦後の日本の統計調査機構は,日本の左派社会民主主義者グループ(大内兵衛を代表者とするいわゆる旧労農派教授グループ)によって自主的に再建されたかのごとき印象をうる。たしかに,日本統計研究所の設立,内閣審議室の統計研究会,統計制度改善に関する委員会,などはアメリカ占領軍と直接には関係はない。そしてそれらの機関が左派社会民主主義者によって主導され,敗戦後の統計調査機構の再建に大きく貢献したことは事実だ。しかし社会民主主義の統計機構再建の自主的活動は,事実の一側面を伝えるものであって,占領期日本の統計機構再建の決定的主導力はアメリカ側にあったというのが正常であろう。つまり左派社会民主主義学者グループの活動は,いわばアメリカ軍の掌上での活動であったことを忘れてはならぬと思う」。(大屋祐雪は「日本統計制度史の一齣-大内委員会のこと-」[『経済学研究』(九州大学経済学会)第30巻第5・6号,1965年2月]でこの文言を肯定的に引用している。)
筆者はこのような認識のもとに,日本上陸後,アメリカ占領軍が行った統計調査を紹介している。それらは,(1)経済科学課長R.C.Kramer 大佐の指示にもとづく鉱工業会社調査,(2)アメリカ陸軍爆撃作戦調査本部の都市重要工場爆撃効果調査,(3)15財閥会社に対する経営内容調査,(4)米第32軍政部の東京管区内工場調査である。
筆者は順にこれらを紹介している。(1)経済科学課長R.C.Kramer 大佐の指示にもとづく鉱工業会社調査(1946年9月実施)。日本が東京湾,ミズリー号上で降伏調印したのが1945年9月2日。アメリカ占領軍が日本に上陸し,経済科学部を設置することを発表したのが9月19日。同日,経済科学課長R.C.Kramerは主要鉱工業会社調査の全国調査を指示した。政府はこれを受けて,商工令を公布し,実施にあたった。調査の範囲は,狭義の鉱工業会社の他,水産業畜産業を含むもので,1944年度に事業総額100万円以上の本邦鉱工業関係会社の全てであった。筆者は戦後の日本での最初の統計調査であるこの歴史的文書を翻訳して掲げている。
(2)アメリカ陸軍爆撃作戦調査本部の都市重要工場爆撃効果調査(1945年8月実施)。この調査は,アメリカ側が,日本政府をとおすことなく実施した。内容は,「第1表:生産実績[1943年9月30日以前に生産されたもの]」,「第2表:生産実績[1943年9月30日以後生産されたもの]」,「第3表:有効総人員,事務・職工別,男女別,熟・不熟練・日雇別,労働時間など[1943年9月-1945年8月までの月別状況]」,「第4表:原材料[1943年10月-1945年8月までの月別状況,以下同じ]」,「第5表:部分品」,「第6表-第9表:破壊または再割り当て材料,部分品,仕掛品,仕上品の空襲日時の状況」,「第10表:動力と燃料」,「第11表-第13表:建築損害,修理の状況」,「第14表-第15表:月別生産高変化の説明」。
(3)15財閥会社に対する経営内容調査(1946年5月実施)。占領軍初期の政策は日本の軍事力の徹底排除であり,財閥解体はその一環であった。そのような状況のもとで,15財閥(三井,三菱,住友,安田,川崎,日産,浅野,中島,渋沢,日淀,古河,大倉,野村,理研,日曹)に対する資料提出命令が出された。調査項目の詳細は次のとおりである。(1)所得関係事項,(2)貸借対照表,(3)資本金関係事項,(4)支配権関係事項,(5)不動産,工場,設備,(6)投資関係事項,(7)流動資産,(8)流動負債,(9)販売高,(10)販売原価,(11)管理手数料,(12)考課状。
(4)米第32軍政部の東京管区内工場調査(1945年10月)。この調査は,東京都経済局商工課工務係を通じて実施された。調査事項は,次のとおりである。(1)会社工場名及び住所,(2)現在資本金,(3)株式の10%以上または出資の10%以上をもつ者の氏名およびその持ち分のパーセント,(4)主要生産品名および1ケ月間の生産数量,(5)従業員数。
戦争直後,日本政府は占領軍側から資料,統計の提供を厳しくもとめられたが,それに対応できる状況ではなかった。それゆえ占領軍は,幾つかの調査をかなり強引なやり方で実施した。上記の4つの調査結果がどのように利用されたかについては,「アメリカ陸軍爆撃作戦調査本部の都市重要工場爆撃効果調査」(アメリカ合衆国戦略爆撃調査団「日本戦争経済の崩壊」に利用された)以外,よくわからないとのことである。
冒頭に次の言がある。「日本の戦後統計調査史によると,敗戦後の日本の統計調査機構は,日本の左派社会民主主義者グループ(大内兵衛を代表者とするいわゆる旧労農派教授グループ)によって自主的に再建されたかのごとき印象をうる。たしかに,日本統計研究所の設立,内閣審議室の統計研究会,統計制度改善に関する委員会,などはアメリカ占領軍と直接には関係はない。そしてそれらの機関が左派社会民主主義者によって主導され,敗戦後の統計調査機構の再建に大きく貢献したことは事実だ。しかし社会民主主義の統計機構再建の自主的活動は,事実の一側面を伝えるものであって,占領期日本の統計機構再建の決定的主導力はアメリカ側にあったというのが正常であろう。つまり左派社会民主主義学者グループの活動は,いわばアメリカ軍の掌上での活動であったことを忘れてはならぬと思う」。(大屋祐雪は「日本統計制度史の一齣-大内委員会のこと-」[『経済学研究』(九州大学経済学会)第30巻第5・6号,1965年2月]でこの文言を肯定的に引用している。)
筆者はこのような認識のもとに,日本上陸後,アメリカ占領軍が行った統計調査を紹介している。それらは,(1)経済科学課長R.C.Kramer 大佐の指示にもとづく鉱工業会社調査,(2)アメリカ陸軍爆撃作戦調査本部の都市重要工場爆撃効果調査,(3)15財閥会社に対する経営内容調査,(4)米第32軍政部の東京管区内工場調査である。
筆者は順にこれらを紹介している。(1)経済科学課長R.C.Kramer 大佐の指示にもとづく鉱工業会社調査(1946年9月実施)。日本が東京湾,ミズリー号上で降伏調印したのが1945年9月2日。アメリカ占領軍が日本に上陸し,経済科学部を設置することを発表したのが9月19日。同日,経済科学課長R.C.Kramerは主要鉱工業会社調査の全国調査を指示した。政府はこれを受けて,商工令を公布し,実施にあたった。調査の範囲は,狭義の鉱工業会社の他,水産業畜産業を含むもので,1944年度に事業総額100万円以上の本邦鉱工業関係会社の全てであった。筆者は戦後の日本での最初の統計調査であるこの歴史的文書を翻訳して掲げている。
(2)アメリカ陸軍爆撃作戦調査本部の都市重要工場爆撃効果調査(1945年8月実施)。この調査は,アメリカ側が,日本政府をとおすことなく実施した。内容は,「第1表:生産実績[1943年9月30日以前に生産されたもの]」,「第2表:生産実績[1943年9月30日以後生産されたもの]」,「第3表:有効総人員,事務・職工別,男女別,熟・不熟練・日雇別,労働時間など[1943年9月-1945年8月までの月別状況]」,「第4表:原材料[1943年10月-1945年8月までの月別状況,以下同じ]」,「第5表:部分品」,「第6表-第9表:破壊または再割り当て材料,部分品,仕掛品,仕上品の空襲日時の状況」,「第10表:動力と燃料」,「第11表-第13表:建築損害,修理の状況」,「第14表-第15表:月別生産高変化の説明」。
(3)15財閥会社に対する経営内容調査(1946年5月実施)。占領軍初期の政策は日本の軍事力の徹底排除であり,財閥解体はその一環であった。そのような状況のもとで,15財閥(三井,三菱,住友,安田,川崎,日産,浅野,中島,渋沢,日淀,古河,大倉,野村,理研,日曹)に対する資料提出命令が出された。調査項目の詳細は次のとおりである。(1)所得関係事項,(2)貸借対照表,(3)資本金関係事項,(4)支配権関係事項,(5)不動産,工場,設備,(6)投資関係事項,(7)流動資産,(8)流動負債,(9)販売高,(10)販売原価,(11)管理手数料,(12)考課状。
(4)米第32軍政部の東京管区内工場調査(1945年10月)。この調査は,東京都経済局商工課工務係を通じて実施された。調査事項は,次のとおりである。(1)会社工場名及び住所,(2)現在資本金,(3)株式の10%以上または出資の10%以上をもつ者の氏名およびその持ち分のパーセント,(4)主要生産品名および1ケ月間の生産数量,(5)従業員数。
戦争直後,日本政府は占領軍側から資料,統計の提供を厳しくもとめられたが,それに対応できる状況ではなかった。それゆえ占領軍は,幾つかの調査をかなり強引なやり方で実施した。上記の4つの調査結果がどのように利用されたかについては,「アメリカ陸軍爆撃作戦調査本部の都市重要工場爆撃効果調査」(アメリカ合衆国戦略爆撃調査団「日本戦争経済の崩壊」に利用された)以外,よくわからないとのことである。
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