goo blog サービス終了のお知らせ 

社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

吉田忠「統計調査論ノート」『經濟論集』(関西大學經濟學會)第26巻第4・5合併号,1977年1月

2016-10-06 10:59:18 | 3.統計調査論
吉田忠「統計調査論ノート-統計調査・標本調査・実態調査-」『經濟論集』(関西大學經濟學會)第26巻第4・5合併号(高木秀玄博士還暦記念特輯),1977年1月(『数理統計の方法-批判的検討』農林統計協会, 1981年)

 筆者は本稿でとりあげる3つの問題を最初に提示している。第一はいわゆる大屋理論(「統計調査=上部構造説」)とそれに対する社会科学方法論からの批判,第二は標本調査をめぐって示された木下滋の見解(標本統計資料の批判的利用の基準を明らかにするべきとする見解)と是永純弘の見解(社会認識のための統計利用の全体のうちに標本調査を位置づける見解)との対比,第三は非統計的事実資料とりわけ実態調査資料と統計調査・統計資料との関連付けの問題である。最初の問題にかかわる論争整理のなかから得られた分析視角で,第二,第三の問題点に対する論点整理を行おうというのが筆者の意図である。

 「統計調査過程の歴史的規定性とその主体的契機」に関する節は,「いわゆる『統計調査=上部構造説』をめぐる論点について」と「統計調査論の対象規定における主体的契機について」に分節している。前段の「いわゆる『統計調査=上部構造説』をめぐる論点について」では大屋祐雪が自らの所説を,「統計,統計調査統計利用を,社会的に特殊な役割と形態をもった一種の歴史的,社会的現象としてとらえる立場」とした問題提起について,社会科学方法論説の立場から,この見解が「統計調査=上部構造説」であり,統計科学を歴史学の一分野に還元しかねないものであり,これでは統計調査を社会認識方法のなかに位置づけることができなくなる,統計の信頼性,正確性の吟味という課題がとりあげられなくなる,数理形式主義の横行を是認することになる,批判する。それにもかかわらず,大屋理論が社会統計学研究者のなかで影響力をもったのは,自らの理論を体系的に「統計学=上部構造説」として展開したこと,また社会科学方法論説が実証分析の分野で方法論そのものとして積極的成果をあげえなかった,社会的条件の急速な悪化のなかで統計批判を具体的に展開し,その方向性を示す指針がでなかったからである。大屋自身は上記の対立について,これが統計調査を社会認識のための一契機としてとらえるか,社会的事実をとらえる社会的過程とみるかの,統計研究社の「視座」の相違と理解した。しかし,筆者は,是永と同様に,この問題を視座の相違としてとらえるべきでなく,統計調査論に於いて主体的契機をどう把握するかの問題であるとした。

後段の「統計調査論の対象規定における主体的契機について」では,統計調査論におけるこの主体的契機に論点を移して議論がなされている。大屋理論では,主体的契機は「指導的統計家の統計的労働過程,すなわち調査計画」としてとらえられている。大屋理論の批判者においても,統計調査論における主体は統計調査の社会的歴史的過程の外部にもとめている。そこでは,批判的な統計利用者の側から指導的統計家の調査企画を中心とした調査過程をわがものにする立場が,主体として前提されており,統計の理論的過程が官庁統計の指導的統計家の行っている過程と,批判的立場からのあるべき過程との対比でとらえられ,前者によって統計の信頼性がゆがめられているときには,後者の統計批判が際立つことになる。

 しかし,信頼性の問題は指導的統計家の意志に規定されるだけでなく,現実の統計調査機構によっても規定される。統計調査の社会的歴史的過程を,矛盾対立する社会的主体を中心にすえて理論的に把握することは,統計批判にとっても統計利用にとっても強くもとめられるはずである。

 「標本調査過程の歴史的規定性とその標本誤差」に関する節は,「社会的歴史的過程としての標本調査」と「標本誤差における確率の問題」とに分節している。前段の「社会的歴史的過程としての標本調査」では木下滋「標本調査法の諸問題」への疑問から出発している。木下はこの論文で標本統計の批判的利用の基準を明らかにするという問題提起を行っているが,これは具体的現実から切り離された標本調査の有効性を論じる姿勢であり,これではこの問題を確率の解釈に限定することになってしまう。筆者によれば,標本誤差は統計調査の正確性の問題であり,しかもその範囲におけるウェイトはきわめて小さい。統計調査で重要なのは,回答拒否を含む回収不能,調査員の回答誘導やでっちあげ,代理回答や虚偽の回答である。標本調査の正確性の問題は,その調査の社会的過程において把握することで明らかになる。そこでは,社会的存在ないし社会的過程である主体の実践が基本的内的契機の役割を果たす。
標本調査の信頼性の問題に関する考察では,ビデオリサーチ社の視聴率調査,選挙予測を含む政治意識に関する世論調査が例に取り上げられている。重要なのは調査の一連の社会的過程のなかに標本調査の信頼性の問題をみつことであり,標本調査の結果を事実資料で補充して利用することである。とくに政治意識に関する世論調査では,調査の信頼性と正確性が社会的存在としての調査機関と調査機構,それらが行う調査の社会的過程によって規定されていることをしっかり見なければならない。

 後段の「標本誤差における確率の問題」では,標本調査を社会科学で利用することが可能であるか論議がマイナーな問題であることが述べられ,これを受けて標本調査論のベースにある確率的評価に関わって,その有効性に触れている。筆者の主張によれば,確率的評価の解釈に関して,客観確率を唱える立場と主観確率を主張する立場との間で対立があるが,反復事象で次回の試行に対して与える予想としての「主観確率」は一定の客観的意義を有するものの,それは「たんなる気休め」にすぎず,標本調査の「有効性」を支える根拠にならない。「確率現象」は人為的な繰り返し操作によって作り出せるもので,一回生起的な偶然事象そのものの属性としての生起可能性(その大きさ)をあらわすものではない。この議論をふまえると,標本誤差の正確性の問題は,標本調査論の枠組みだけで考えてはならず,官庁エコノミストを中心とした統計調査担当者の経験の蓄積とともに具体的に分析し,社会的歴史過程としての標本調査をその主体的契機とともに分析し,把握しなければならない。

最後の「事実資料の利用過程における統計資料と実態調査」に関する節は,非統計的資料としての実態調査(事例的ないし典型的実態調査)の問題を,統計資料を含む事実資料の社会的組織的な利用形態との関連で検討している。筆者によるここでの主張は,社会科学研究で統計資料が一定の限界をもつこと,その限界は種々の事実資料と結合させて統計資料を整理加工することで打破できること,そのことによって統計の正確性,信頼性をたかめうること,あるいは事例的典型調査を典型的なものにたかめうること,である。(他に計量経済学批判の在り方と課題,農業理論における実証的方法における事実資料の利用過程の検討,典型的実態調査の典型性の理解などが間説されているが,それぞれ傾聴に値する)


関弥三郎「任意標本調査の母集団」『經濟論集』第26巻第4・5合併号,1977年1月

2016-10-06 10:57:34 | 3.統計調査論
関弥三郎「任意標本調査の母集団」『經濟論集』(関西大學經濟學會)第26巻第4・5合併号(高木秀玄博士還暦記念特輯),1977年1月

 筆者の任意標本抽出調査に対する基本認識は,次のとおりである。任意標本抽出調査は,統計調査の代用法である。任意標本抽出調査には,実地調査の費用,労力,集計時間の削減というメリットがある。標本構成の簡便さ,標本誤差の計算という無作為抽出法のもつ合理性がある。標本があまり小さくない限り無作為抽出が全数調査に近似する結果をもたらす理論的根拠をもつ。しかし,無作為抽出法の効果や合理性を相殺するマイナス要因は多数あるので,無条件に任意標本抽出調査を信用するのは危険である。従って統計利用者は任意標本抽出調査が社会統計調査としてもつ長所と短所,限界をわきまえることが大切である。

 また社会統計では客観的に存在する社会集団現象の数的記述の場合と,偶然変動する社会現象を集団的に観察することで一般性,規則性の抽出を意図する場合とがある(推測統計理論)。任意標本抽出調査は,前者に適用される。任意標本抽出調査を統計調査の代用法として体系化し,それと推測統計理論の違いを明らかにするには,母集団概念の考察が要となる。

 議論の手がかりとして,筆者は木下滋「標本調査法の諸問題-標本調査法における母集団と標本の関係-」(『経済論叢』第116巻第3・4号,1975年)における母集団の規定を取り上げる。木下は任意標本調査の場合,母集団として,有限母集団ではなく,仮説無限母集団を考えなければならないとする。筆者はこれを理解しがたいと言う。問題点は2つあり,木下にあっては第一に母集団を確率概念としてのみとらえ,客観的存在である調査対象の集まりという意味の母集団を認めないこと,第二に確率変数である母集団に関し,有限母集団概念を否定し,仮想の無限母集団概念を任意標本調査に持ち込んでいることである。

 筆者はこの2点をパラフレーズする。木下の誤りは,調査対象の集まりとしての母集団概念を否定していることである。理論的にも,実際的にも,任意標本調査における母集団は,それから標本が任意抽出される有限個の,調査対象として定義された全ての集まりの意味に用いられるのが通常である。

ここで統計集団と母集団との関係の整理が行われる。前者は任意標本調査の出発点となる集団であり,後者はそれから標本を抽出する元の集団としてとらえなおしたものである。母集団は単なる調査対象の集まりではなく,統計集団としての規定を受けた調査対象の集団である。換言すれば統計集団は社会集団現象の統計調査を可能ならしめるために構成された概念であり,任意標本調査の立場からこれをみたときに初めて標本を生み出すもとの集団となるので,任意標本調査の基本概念であることを明確にするために母集団と呼ぶのが適切である。

 筆者の以上の考え方は,W.G.コクラン(W.G.Cochran)のいわゆる目標母集団(情報が要求される母集団)と抽出母集団(サンプルのとられる母集団)の区分に対応する。上記の議論の延長線上で,目標母集団と抽出母集団とは事柄の性質上,一致するとみなすべきであるが,実際の調査では相違が出てくることがある。抽出単位のリストの作成が容易でないので,他の目的で作成されたリストを転用するといった場合がこれである。このことを根拠に発生する誤差は,確率論的な標本誤差ではなく,抽出母集団の誤差というべきものである。
次に筆者は,確率変数たる母集団に関して,有限母集団を否定し仮想の無限母集団とする考え方の検討に入るが,これは木下の主張であった。しかし,木下は吉田忠の説に依拠しているとして,筆者は後者を検討する。吉田によれば,N個の単位の統計集団から無限回の非復元無作為抽出を繰り返すときに発生する,無限に確率変動する数値の集まりが母集団で,無限回の繰り返しは仮定であるがゆえに,母集団は仮想の無限母集団となる。この見解に対し,筆者は母集団の確率分布を規定するには,必ずしも無限回抽出を仮定する必要はなく,組合せ理論を使ってN個の単位からn個の単位を取り出す場合の理論的に可能な取り出し方の数を考えることでも母集団確率分布を得ることができる。

確率の定義には古典的な確率の定義と頻度確率の定義とがある。前者は「ある試行の結果として現れ得る場合が全部でn個あり,そのいずれもが一つは必ず起こり二つ以上同時に現れることは決してなく,そして,いずれが現れるかは同様に確からしいとすると,事象Aがr個の場合に現れるならば,事象Aが起こる確率を r/n とする」ものであり,後者は「同一条件の下で試行・・・をn回繰り返し,その結果のうちで事象Aがr回起きたとすると,事象Aの相対度数r/n(において)・・・nを無限に大きくしたときに相対度数r/nがとると想像される値」である(pp.471-2)。任意標本調査では,古典的な確率の定義を適用できるので,この場合母集団は有限母集団であり,頻度確率の定義に基づく推測統計理論の母集団とは異なる。古典的確率の定義で確率分布をもとめることは,一次元確率変数の場合でも,一般的なn次元確率の場合でも可能である。

 吉田は母集団の確率分布を頻度確率の定義にしたがって規定するために,母集団を仮想の無限母集団とした。しかし,吉田による標本平均の期待値,分散の証明過程をたどると,それは古典的な確率の定義にしたがって規定されているので,無限の結果と言う仮定は意味をもたない。吉田にあっても,無限母集団を仮定しなければならない必然性はない。
 要するに,任意標本調査の場合と推測統計理論の場合とでは,確率変数たる母集団に違いがあり(有限母集団と無限母集団),このことはそれぞれの適用対象の性格の違いによる(実在の有限母集団とストカスティックな事象)。

大屋祐雪「統計調査論」『統計学』第30号,1976年3月

2016-10-06 10:56:09 | 3.統計調査論
大屋祐雪「統計調査論」『統計学(社会科学としての統計学-日本における成果と展望-)』(経済統計研究会)第30号,1976年3月

 戦後,1970年代半ばまでの統計調査論研究は,2つの分野に大別されていたと言う。一つは「著名な統計学者の所論の検討」,もう一つは「統計調査そのものの考察」である。前者でとりあげられたのは,ドイツ社会統計学派の議論(マイヤー[高岡周夫,有田正三,大橋隆憲,世利利夫],チチェク[有田,内海庫一郎,大橋,関弥三郎,大屋祐雪,田中章義],フラスケンパー[有田],メンゲス[有田],ブリント[有田])が大部分であった。
マイヤーの統計調査論の特色は,集団観察法(統計調査)が実体科学としての統計学のなかにセットされ,しかも統計調査の手続き論としても十分な展開がなされているところにある。高岡は,マイヤーの調査論では科学的認識を意識の外におく統計法(statistische Kunst)と,科学的認識を前提におく統計科学の材料との二つの面が,統計法自体の中に役割づけられているとして,そこに矛盾をみる(高岡周夫「マイヤーの『実質的統計学』」『北海学園大学経済論集』2号,1954年)。また,有田はチチェクの統計調査論を「目標に向けて定められた手続論」「統計数獲得の機械学」と結論づけている(有田正三『社会統計学研究』ミネルヴァ書房,1963年)。

 チチェクの統計調査論をその著,Wie statistische Zahlen entsthen(1937)によって取り上げたのは,有田,内海,大屋である。内海はチチェクの「目的→方法」観は「対象→方法」観に代置されなければならないとし(内海庫一郎『社会統計学の基本問題』北大図書刊行会,1975年),有田は認識の客観的必然性を志向するならば,統計方法の「基本的結節は客体より誘導されなければならない」と断定する(有田,上掲書)。内海,有田の評価の源は,彼らの関心があるべき統計調査の方法的規定にあった点に,また集団観察の結果が科学的認識に耐えうることをもとめたドイツ社会統計学の伝統を継承した点にある。これらに対し,筆者はチチェクの上掲著作を統計調査論として考察する。「それは,統計数字の獲得過程を一種の特殊歴史的な社会的行為としてとらえ,統計調査を資本主義的社会体制に適合的な統計数字の獲得過程とみて,その特質を明らかにせんとする立場である。したがって,考察は,抽象的一般的側面(統計数字の獲得に固有の本質,すなわち,およそ統計調査である限りもたねばならない側面)と歴史的社会的側面(社会体制に規定された側面)の二重性の把握としておこなわれる。チチェクの所論をこの見地からみれば,それは当時ドイツで一般的におこなわれていた官庁統計作成のための統計調査を,もっぱら一般的抽象的側面からとらえ,その特質を『基本的方法行程』として客観的に再構成したことになる」(大屋祐雪「F.チチェクの統計調査論」『九大40周年記念経済学論集』1967年)。

 統計調査論のもうひとつの方向性は,蜷川理論をめぐって展開された。蜷川の統計調査論はその存在が社会的に規定される集団,すなわち大量の理論を基礎とする大量観察法論である。大量観察は「理論的過程」と「技術的過程」とに分けられ,それぞれが統計の信頼性,正確性の,すなわち統計の吟味・批判の基準となる。この蜷川理論の継承,発展が後続の研究者の課題であった。内海は,蜷川理論では大量が社会的存在である集団と規定されながら,この規定における四要素(単位,標識,時,場所)の弁証法的関連を展開できていないと指摘したが,問題提起にとどまった(内海,上掲書)。大橋は統計理論の形式主義化を,方法行程に即して解明し,それが統計理論の特殊的な威容の定式化を助長すると懸念を示した(大橋隆憲・野村良樹『統計学総論(上)』有信堂,1963年)。筆者は,蜷川にあっては,大量の統計的反映=模写方法論としての大量観察法論(統計調査法論)と統計調査の社会科学的考察である大量観察論(統計調査論)とが混在している,また統計の吟味・批判の見地に対応する側面,すなわち統計調査の歴史的社会的側面の少なからぬ部分の考察が成功的に理論化されているが,一般的方法行程論の側面の考察は軽視されている,との評価を与えている(大屋祐雪「統計調査論における蜷川虎三」『九大経済学研究』第32巻5・6号,1967年)。

 統計調査論のもう一つの「統計調査そのものの考察」では,木村太郎,上杉正一郎の研究が紹介されている。木村は統計作成の方法と形態に関して,その歴史的被規定性を問題とし(木村太郎「統計生産の歴史的形態について」『現代の経済と統計(蜷川虎三先生古稀記念)』有斐閣,1968年),上杉は資本主義のもとでの官庁統計調査の問題点をとりあげ,さらに第二義統計に関心を向け,その社会経済統計としての特質を明らかにし,その主要な作成形態を類別化した[第一形態から第四形態まで](上杉正一郎「統計調査の社会的条件」『経営研究』第30号,1957年;同「第二義統計としての経済統計について」『東京経済大学雑誌』第29・30号,1960年)。筆者は考察の素材を戦後改革のもとでの日本の統計事象にとり,その分析を通して資本主義体制における統計作成の類型化を試みた(大屋祐雪「日本の統計事情(1)(2)(3)」『唯物史観』3号[1966年],5号[1967年],6号[1968年])。

 筆者は最後に,統計調査における方法規定の定式化が現実に進むにつれ,統計的認識と社会科学的認識との間のズレが問題となるが,この過程で事例調査や典型調査への志向が出てきたことに触れている。大橋も同じ趣旨の発言をしている。しかし,この種の問題を実際に手掛けた研究は少なく,この論稿で紹介されているのは,佐藤博の研究(「典型調査の意義について」『北大経済学』第13号,1968年)と木村太郎の研究(「社会調査論序説」『国学院経済学』第20巻4号,1972年)である。課題は,事例調査,部分調査,典型調査などが行政分野,実証分析の分野である種の役割を担い,機能しているので,統計調査とのかかわりでそれらの関連を検討することである。

木村太郎「統計生産の歴史的諸形態について」『現代の経済と統計』有斐閣,1968年

2016-10-06 10:54:19 | 3.統計調査論
木村太郎「統計生産の歴史的諸形態について」『現代の経済と統計(蜷川虎三先生古稀記念)』有斐閣,1968年

 今ある統計あるいは統計調査は普遍的なものではなく,歴史的性格をもつ。統計生産の歴史的諸形態について考察し,論じたのが本論文である。

 筆者の整理によると,封建制下の統計生産は,土地台帳が基本であった。この土地台帳は封建制の後期になると,小規模化し,純化,整理され,さらに戸口統計,住民統計,収穫統計,家畜統計が登場してくるが,それらの基礎は依然として土地台帳であった。時代が進んでこの封建制の解体過程には,推算(土地面積,税負担力,人口,国富など)が生まれてくる。市民出身の科学者による個人的推算の全面的開花が,政治算術の一連の業績である。同時並行的に,国家による組織的な統計生産が萌芽的に登場した。それらは,主として表式調査として実施された。さらに時代を経て,資本制生産が支配的になると,近代的な統計調査が個人ないし企業の集団を対象に一般化する。今日の統計調査が,それである。このなかから胚胎してくるのが,独占企業内部の経営的諸要素の記録である。国民経済計算,経済計画は,こうした独占企業を対象とする第二義統計を要請する。本論文では,概略,以上のような推移をたどるなかで,統計生産の歴史的性格が解明されている。

 中身に入って,以下に,内容を要約する。封建制下に統計は存在したのだろうか。もちろん今日的な形態をもった統計はなかったが,各種の数字的諸記録は存在した。しかし,それは集団を反映する数字ではなかった。封建的所有を前提としたそれらの数字的諸記録は,非集団性,地域狭小性,記載内容の雑多性を特徴とする。封建制下の統計がこのような特徴を有したのは,それが土地台帳を原基形態とし,属地主義的な性格をもっていたからである。土地所有を前提としない財産,人口という観念はなく,あらゆるものが土地所有とのかかわりでしか認識されなかった。筆者はその代表的なものを12世紀の英国のウィリアム征服王によって遂行された土地台帳の作成にみている。そこには,荘園,耕地面積,住民数,家畜数が土地に付属した財産として記載されていた(封建時代も後期になると,領主制が諸領地に分割され,統計生産の地域範囲も狭小になる)。これらの土地台帳の作成は,封建的な支配権力を背景に,土地については検地,地押調査によって, 収穫高については坪刈, 検見などの実測的な方法で,強制的に行われた。

 土地台帳そのものが統計となりうるのは,領主的支配地域を単位とした場合である。封建制の後期になると,これらの土地台帳は次第に細分化し,記載内容も分化する。そうなると,土地台帳それ自身が統計となるのではなく,むしろ統計生産の基礎資料として利用されるようになる。この形態をとる戸口統計,住民統計,収穫統計,家畜統計がこの時期に,登場してくる。

 封建制の支配者は,その収取基盤としての土地に関心をもち,それゆえに土地台帳の作成に熱心であったが,人口やその他の社会現象にはほとんど興味をもたなかったようである。しかし,それでも中央政権下の諸藩の兵力,賦役負担力,財力のが状況把握,また農奴制の維持存続が課題になると,その限りで戸籍簿,宗門帳にもとづく統計,すなわち人口統計のようなものがもとめられた。我が国に限定すれば,天正19年,豊臣秀吉が全国的に実施した戸口調査(人掃令),享保6年に徳川吉宗によって創始された全国人口統計記録がこれである。ただ,それらは被調査者の存在を全く無視した属地主義的な対地的調査であり,土地の付属物としての人口が数えられたにすぎなかった。

封建的土地所有の解体過程は,農民的土地所有,私的土地所有の成立過程である。この時期に絶対主義王政の財政的要請にもとづいて登場した統計的生産方法は,推算であった。推算は社会的事実の数量的把握という統計生産的な側面(戸口調査から人口数を,土地台帳から土地の担税力を推算)と社会現象における規則性の観察という統計利用的な側面をもつ。イギリスの政治算術家のペティ, グラント, ハリーの業績, フランスにおけるヴォーバンの土地面積,税負担力,人口の推算などがこれである。踵を接して, この頃から, 資本主義国家は組織的に統計の生産を,主として表式調査として行うようになる。表式調査は一定の地域を単位として直接集計形式への記入を要求する調査法である。表式調査は強固に残存した封建的土地所有勢力の主導のもとでその行政機構を確立せしめたドイツや分割地的小農民を土台とした村落秩序の上に官僚的行政機構を造ったフランスでもっとも普及した(もっとも表式調査が展開されたのは農村地域で,都市では推算が主であった)。他方,イギリスでは表式調査は定着せず,その時期を経ることなく,統計調査の時代にはいる。

 資本制生産への移行は,封建的土地所有を含む共同体的所有の廃棄と近代的私的所有の確立によって特徴づけられる。ここでは個人の集団が,統計調査の対象である社会的集団の原基形態である。資本制生産の発展は私的所有を集積し,それを個人の集団(人口)と私的所有(企業)に分化させる。統計調査はこれらの社会的集団を対象に実施され,資本制生産以前にはなかった被調査者が調査対象として意識される。しかし,統計調査が私的所有を通してしか,すなわち私的所有者の意思に依存してしか統計対象を把握しえないことは,この統計の最大の弱点でもある。生産と資本の集積,集中が進むと,統計調査は多数の私的所有の単位からなる集団を対象とする集団観察法であるから,そこには大企業も小生産も一様にあらわれることになる。格差が小さいときには,規模別分類で対応できるが,格差が大きくなると分類の意義は小さくなり,分類は形式的量的標識にすぎなくなる。

さらに,国家独占資本主義のもとでは,国民経済計算や経済計画のために生産量,設備投資,雇用状況などの経営的事項についての情報が要求され,例えば工業生産の主要な課題は,独占企業内部の経営諸要素を補足することになってくる。ここではもはや単位を数え,標識分類することが問題となるのではなく,標識,ことに量的標識そのものが企業の内部でいかなる様式で記録されているか,それをいかなる形で原則的に統計生産に組み入れるかが問題となる。独占企業内部の報告の義務付け,記録方式の統一化が日程にのぼる(第二義統計)。この要請は今のところ,国民経済計算や経済計画に必要な最小の範囲で行われているが,今後はますます重要になってくると考えられる。筆者は,最後に「厖大な社会的生産力がもはや私有の集団として捕捉しうる枠をはみだしてしまっているという認識こそ,今後の統計学構築への重要な鍵である」と結んでいる(p.75)。

大屋祐雪「統計調査の社会科学的考察(1)」『経済学研究』第31巻第5・6号,1966年2月

2016-10-06 10:52:50 | 3.統計調査論
大屋祐雪「統計調査の社会科学的考察(1)」『経済学研究』第31巻第5・6号,1966年2月

筆者は,統計学を「方法の学」とすることに疑問をもっている。「方法の学」の立場に立つ限り,現代社会の統計,統計調査,統計利用の諸特徴を,特殊歴史的現象として社会科学的見地から解明できないからである。この課題を全面的かつ統一的に展開できる統計学の研究様式がもとめられている。この要求は,統計学が統計および統計活動という特殊歴史的な社会的事実を反映・模写することによってしか満たされない。統計学を反映・模写論の立場から再編成することが必要な所以である。本稿はこの立場から「統計調査」を論じたものである。   

 「1.区別すべき社会調査の二類型」。社会調査は多様である。これらには経常的・定期的な調査(指定統計など)と一回限りの調査と二類型ある。前者はそれぞれの事象(静態と動態)についての基礎資料を,統計の形態で獲得することに目的がある。統計の獲得が自己目的であり,それにふさわしい形態で調査が企画され,デザインされ,実施される。これに対して,一回限りの調査の大部分は,調査目的は実態分析である。この種の調査は,その結果数字の獲得に自己目的があるのではない。調査の全過程が実態分析と不可分のものとして企画,デザインされ,実施される。

 社会調査についての考察は3方向から可能である。(1)全ての社会調査に共通な側面の把握,(2)実態分析的社会調査の考察,(3)統計作成を目的とする社会調査の考察。筆者は(1)の立場に固執するなら社会調査論ないし社会調査方法論の形骸化につながるとして忌避し,(2)の立場については,その種の調査が統計調査の名に値しないとして考察せず,(3)の考察こそが特殊歴史的社会現象としての統計,統計調査,統計利用の諸特徴を社会科学的見地から解明する課題とその研究様式に相応しいとしている。   
 「2.統計作成の抽象的一般的行程」(1)若干の予備的考察,(2)調査計画の抽象的一般的性格,(i)調査計画と指導的統計家。現代の統計調査は,初めから統計の作成が目的である。このような統計作成の存在形態,すなわち統計調査という統計の作成形態は資本主義社会で初めて全面的に開花した。筆者はその今日的形態の統計調査が,その統計調査の一般的行程を抽象するのに適した形態であるという確信のもとに,センサスの形をとる統計調査の検討に入っている(標本調査に関しては別稿がある)。

 筆者は,統計調査の基本的行程を次のようにまとめている。その行程は,計画,実査,集計からなる。実査と集計は調査目的を実現するための組織的手続き過程であり,その大綱は計画の段階で実査計画,集計計画(調査計画)として示される。調査計画は指導的統計家によって立案され,統計的労働過程は調査員や集計員に代表される統計労働者の合目的的組織活動によって遂行される。調査計画と統計労働行程は,統計調査における2つの構成要素である。

 指導的統計家の役割は,非常に大きい。指導的統計家は,調査目的が与えられると,調査員が調査計画にしたがって現実に相対する調査対象と観念的に対峙する。彼の思考は彼の直接的経験(当該現象についての見聞や調査経験)と間接的経験(習得した当該事象についての理論)にもとづいて展開される。調査計画は彼の調査対象についての観念上の認識から出発する。指導的統計家が手にする調査目的をイメージして,現象のいかなる側面を実態として統計形態にするかを考えなければならない。その際,2つのことが問題となる。第一は現象として現れていると考えられる特徴についての構想(調査事項の選択を規制),第二は調査目的として設定した指標概念のそれぞれについての数量的表現形式の構想(集計表の設計構想)である。指導的統計家は調査計画の構想にあたり,理論家であるとともに,調査の設計者であり,調査目標設定にしたがって対象を統計形態に反映させる媒介者であり,その方法と手続きの設計者である。

本稿は,ここで終わっている。冒頭に目次があり,この後に「(2)調査計画の抽象的一般的性格」の項のなかの「(ii)統計集団の理論的規定と技術的規定」「(iii)調査票と試験調査」「(iv)実験調査と集計計画」が,そして「(3)統計的労働行程の抽象的一般的性格」の項が,さらに「3.統計作成の歴史的社会的行程」と予定されていたが実現しなかったようである。この論稿に続くはずであった「統計調査の社会科学的考察」の(2)は存在しない。