野澤正徳「静学的産業連関論と再生産表式(2)」『経済論叢』第99巻第4号,1967年
「静学的産業連関論と再生産表式(1)」(『経済論叢』第98巻第6号)に継続する論文。
産業連関分析は旧社会主義国でも評価され,経済の計画化に適用する可能性が検討された。ただし,産業連関表は部門連関バランスと名称が変わり,基礎におかれた経済理論はマルクス再生産論(再生産表式)であった。本稿は,筆者は部門連関バランス(分析)のマルクス再生論的基礎づけに携わった代表的論客,O.ランゲ,B.C.ネムチーノフ,G.マイスナーの議論を検証し,その問題点を摘出している。
ランゲは次のような議論を展開した。再生産にはどの社会構成体にも共通する物質的技術的性格(生産手段と労働力の結合の仕方)をもった一定の関係が存在する。この物質的技術的関係は,バランス的依存関係をもつ。ランゲはこうした関係を生産の技術的バランス的法則と呼び,生産力に依存するとした。技術的バランス的法則を定式化した後に,ランゲは資本主義経済における社会的総生産物の再生産過程を反映した再生産表式をとりあげ,再生産の均衡条件の解明を試みる。ランゲの解釈では,再生産の条件が均衡条件と理解された。さらにレオンチェフ投入産出分析(産業連関論)がマルクス再生産表式の発展であることを論証にとりかかり,再生産表式の数学的展開と部門連関バランスの体系構築を意図した。
筆者は,以上のランゲの再生産論の問題点を批判的に検討して,次のように結論づける。ランゲの再生産理解(再生産の物質的技術的理解)は,その歴史的規定性を捨象した超歴史的な視点にたったものである。再生産の一般的条件=法則は,一定の技術的条件(社会的生産物の二部門分割・三価値構成)を前提とし,生産諸要素の再生産と補填の関係,社会的分業の編成をとおして社会的関係が再生産される過程として貫かれる。ランゲの再生産理解には,こうした観点がない。再生産表式分析の課題は,再生産の均衡条件を明らかにすることが目的なのではなく,その条件が不断の諸動揺,諸困難を通じて終局的に貫徹されることを示すこと,再生産過程にあらわれる内的矛盾とその激化の不可避性を解明することである。レオンチェフ投入産出分析を再生産分析の発展とみなす見地は,ランゲの再生産論理解の延長上に出てくる必然であるが,形式的な数学的操作だけで両者の原理的同一性と発展継承関係を説くのは誤りである。
ネムチーノフは,上記のランゲの再生産論理解に対し,その産業連関論と再生産表式の同一視を批判するものの,ランゲ自身の再生産表式の数学的分析を再生産表式の多部門化と動学モデルの構成に対する功績と評価する。すなわち,ネムチーノフは産業連関論にみられる社会的生産物の二部門分割・三価値構成視点の欠如,社会的生産物の諸要素の諸関係の一面的歪曲に対しては批判の姿勢をとるものの,連関論の数学的手法についてはこれを高く評価し,経済理論から切り離してその応用的実用的発展をはかった。再生産表式の数学化と称するその試みの内容は,要約して言えば,再生産の数理経済モデルの構築と二部門モデルの多部門モデルへの拡張である。
ネムチーノフは,この議論をベースに,当時の国民経済計画化の方式に大胆な変更を迫る提唱を行った。総生産物を増大させても最終生産物の必要な増大がともなわず中間生産物の不合理な肥大が生じる不合理な計画化方式を改め,最終生産物の構成と量をまず計画し,部門連関バランスの適用によって総生産物の計算を行うべき,というのがその提唱の核心である。
筆者はネムチーノフの問題提起に慎重な検討が必要としながらも,以下の4点を問題点として掲げている。第一に,最終生産物概念(消費,蓄積および償却フォンドの合計)のもつ問題点である。この概念は社会的生産物および国民所得の概念によって表現される諸過程,諸現象と異なる。第二に,消費,蓄積および償却フォンドを与件,独立変数とすることの不当性である。筆者は総生産物と諸フォンドの複雑な関係を切り離すことは,現実の質的諸関係を量的関係に一面化するおそれがある,としている。第三に,最終生産物から逆行列によって総生産物を決定する数学的手続きは非現実的である。第四に,ネムチーノフが提唱する計画化方式で国民経済の持続的長期的発展テンポを維持できるか,第一部門の優先的発展の法則を保証しうるのか疑問である。
最後に,筆者はマイスナーの見解を検討している。マイスナーの産業連関論に対する評価,再生産論と産業連関論との関係の理解はおおむね,筆者と同じようである。ただし,筆者はマイスナーの産業連関論批判が労働価値説=基礎範疇にとどまっていることに不満があり,その再生産的把握の必要性を強調している。また数学利用に関して,マイスナーは質的分析と量的分析との密接な関係,前者を後者に先行させることを指摘しているが具体的な提唱がない点に,この問題の捉え方が未成熟であるとしている。「必要なことは,社会主義経済の再生産過程の理論と計画化の実践的課題にこたえうる分析方法を積極的に展開しつつ,そのことにおける数学的方法の適用条件,適用の意義と限界を具体的に明らかにすることであろう」(p.56),これはこの論文が執筆された当時の筆者自身の課題でもあったのではなかろうか。
「静学的産業連関論と再生産表式(1)」(『経済論叢』第98巻第6号)に継続する論文。
産業連関分析は旧社会主義国でも評価され,経済の計画化に適用する可能性が検討された。ただし,産業連関表は部門連関バランスと名称が変わり,基礎におかれた経済理論はマルクス再生産論(再生産表式)であった。本稿は,筆者は部門連関バランス(分析)のマルクス再生論的基礎づけに携わった代表的論客,O.ランゲ,B.C.ネムチーノフ,G.マイスナーの議論を検証し,その問題点を摘出している。
ランゲは次のような議論を展開した。再生産にはどの社会構成体にも共通する物質的技術的性格(生産手段と労働力の結合の仕方)をもった一定の関係が存在する。この物質的技術的関係は,バランス的依存関係をもつ。ランゲはこうした関係を生産の技術的バランス的法則と呼び,生産力に依存するとした。技術的バランス的法則を定式化した後に,ランゲは資本主義経済における社会的総生産物の再生産過程を反映した再生産表式をとりあげ,再生産の均衡条件の解明を試みる。ランゲの解釈では,再生産の条件が均衡条件と理解された。さらにレオンチェフ投入産出分析(産業連関論)がマルクス再生産表式の発展であることを論証にとりかかり,再生産表式の数学的展開と部門連関バランスの体系構築を意図した。
筆者は,以上のランゲの再生産論の問題点を批判的に検討して,次のように結論づける。ランゲの再生産理解(再生産の物質的技術的理解)は,その歴史的規定性を捨象した超歴史的な視点にたったものである。再生産の一般的条件=法則は,一定の技術的条件(社会的生産物の二部門分割・三価値構成)を前提とし,生産諸要素の再生産と補填の関係,社会的分業の編成をとおして社会的関係が再生産される過程として貫かれる。ランゲの再生産理解には,こうした観点がない。再生産表式分析の課題は,再生産の均衡条件を明らかにすることが目的なのではなく,その条件が不断の諸動揺,諸困難を通じて終局的に貫徹されることを示すこと,再生産過程にあらわれる内的矛盾とその激化の不可避性を解明することである。レオンチェフ投入産出分析を再生産分析の発展とみなす見地は,ランゲの再生産論理解の延長上に出てくる必然であるが,形式的な数学的操作だけで両者の原理的同一性と発展継承関係を説くのは誤りである。
ネムチーノフは,上記のランゲの再生産論理解に対し,その産業連関論と再生産表式の同一視を批判するものの,ランゲ自身の再生産表式の数学的分析を再生産表式の多部門化と動学モデルの構成に対する功績と評価する。すなわち,ネムチーノフは産業連関論にみられる社会的生産物の二部門分割・三価値構成視点の欠如,社会的生産物の諸要素の諸関係の一面的歪曲に対しては批判の姿勢をとるものの,連関論の数学的手法についてはこれを高く評価し,経済理論から切り離してその応用的実用的発展をはかった。再生産表式の数学化と称するその試みの内容は,要約して言えば,再生産の数理経済モデルの構築と二部門モデルの多部門モデルへの拡張である。
ネムチーノフは,この議論をベースに,当時の国民経済計画化の方式に大胆な変更を迫る提唱を行った。総生産物を増大させても最終生産物の必要な増大がともなわず中間生産物の不合理な肥大が生じる不合理な計画化方式を改め,最終生産物の構成と量をまず計画し,部門連関バランスの適用によって総生産物の計算を行うべき,というのがその提唱の核心である。
筆者はネムチーノフの問題提起に慎重な検討が必要としながらも,以下の4点を問題点として掲げている。第一に,最終生産物概念(消費,蓄積および償却フォンドの合計)のもつ問題点である。この概念は社会的生産物および国民所得の概念によって表現される諸過程,諸現象と異なる。第二に,消費,蓄積および償却フォンドを与件,独立変数とすることの不当性である。筆者は総生産物と諸フォンドの複雑な関係を切り離すことは,現実の質的諸関係を量的関係に一面化するおそれがある,としている。第三に,最終生産物から逆行列によって総生産物を決定する数学的手続きは非現実的である。第四に,ネムチーノフが提唱する計画化方式で国民経済の持続的長期的発展テンポを維持できるか,第一部門の優先的発展の法則を保証しうるのか疑問である。
最後に,筆者はマイスナーの見解を検討している。マイスナーの産業連関論に対する評価,再生産論と産業連関論との関係の理解はおおむね,筆者と同じようである。ただし,筆者はマイスナーの産業連関論批判が労働価値説=基礎範疇にとどまっていることに不満があり,その再生産的把握の必要性を強調している。また数学利用に関して,マイスナーは質的分析と量的分析との密接な関係,前者を後者に先行させることを指摘しているが具体的な提唱がない点に,この問題の捉え方が未成熟であるとしている。「必要なことは,社会主義経済の再生産過程の理論と計画化の実践的課題にこたえうる分析方法を積極的に展開しつつ,そのことにおける数学的方法の適用条件,適用の意義と限界を具体的に明らかにすることであろう」(p.56),これはこの論文が執筆された当時の筆者自身の課題でもあったのではなかろうか。