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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

野澤正徳「静学的産業連関論と再生産表式(2)」『経済論叢』第99巻第4号,1967年

2016-10-10 10:33:23 | 8.産業連関分析とその応用
野澤正徳「静学的産業連関論と再生産表式(2)」『経済論叢』第99巻第4号,1967年

「静学的産業連関論と再生産表式(1)」(『経済論叢』第98巻第6号)に継続する論文。

 産業連関分析は旧社会主義国でも評価され,経済の計画化に適用する可能性が検討された。ただし,産業連関表は部門連関バランスと名称が変わり,基礎におかれた経済理論はマルクス再生産論(再生産表式)であった。本稿は,筆者は部門連関バランス(分析)のマルクス再生論的基礎づけに携わった代表的論客,O.ランゲ,B.C.ネムチーノフ,G.マイスナーの議論を検証し,その問題点を摘出している。

 ランゲは次のような議論を展開した。再生産にはどの社会構成体にも共通する物質的技術的性格(生産手段と労働力の結合の仕方)をもった一定の関係が存在する。この物質的技術的関係は,バランス的依存関係をもつ。ランゲはこうした関係を生産の技術的バランス的法則と呼び,生産力に依存するとした。技術的バランス的法則を定式化した後に,ランゲは資本主義経済における社会的総生産物の再生産過程を反映した再生産表式をとりあげ,再生産の均衡条件の解明を試みる。ランゲの解釈では,再生産の条件が均衡条件と理解された。さらにレオンチェフ投入産出分析(産業連関論)がマルクス再生産表式の発展であることを論証にとりかかり,再生産表式の数学的展開と部門連関バランスの体系構築を意図した。

 筆者は,以上のランゲの再生産論の問題点を批判的に検討して,次のように結論づける。ランゲの再生産理解(再生産の物質的技術的理解)は,その歴史的規定性を捨象した超歴史的な視点にたったものである。再生産の一般的条件=法則は,一定の技術的条件(社会的生産物の二部門分割・三価値構成)を前提とし,生産諸要素の再生産と補填の関係,社会的分業の編成をとおして社会的関係が再生産される過程として貫かれる。ランゲの再生産理解には,こうした観点がない。再生産表式分析の課題は,再生産の均衡条件を明らかにすることが目的なのではなく,その条件が不断の諸動揺,諸困難を通じて終局的に貫徹されることを示すこと,再生産過程にあらわれる内的矛盾とその激化の不可避性を解明することである。レオンチェフ投入産出分析を再生産分析の発展とみなす見地は,ランゲの再生産論理解の延長上に出てくる必然であるが,形式的な数学的操作だけで両者の原理的同一性と発展継承関係を説くのは誤りである。

 ネムチーノフは,上記のランゲの再生産論理解に対し,その産業連関論と再生産表式の同一視を批判するものの,ランゲ自身の再生産表式の数学的分析を再生産表式の多部門化と動学モデルの構成に対する功績と評価する。すなわち,ネムチーノフは産業連関論にみられる社会的生産物の二部門分割・三価値構成視点の欠如,社会的生産物の諸要素の諸関係の一面的歪曲に対しては批判の姿勢をとるものの,連関論の数学的手法についてはこれを高く評価し,経済理論から切り離してその応用的実用的発展をはかった。再生産表式の数学化と称するその試みの内容は,要約して言えば,再生産の数理経済モデルの構築と二部門モデルの多部門モデルへの拡張である。
ネムチーノフは,この議論をベースに,当時の国民経済計画化の方式に大胆な変更を迫る提唱を行った。総生産物を増大させても最終生産物の必要な増大がともなわず中間生産物の不合理な肥大が生じる不合理な計画化方式を改め,最終生産物の構成と量をまず計画し,部門連関バランスの適用によって総生産物の計算を行うべき,というのがその提唱の核心である。

 筆者はネムチーノフの問題提起に慎重な検討が必要としながらも,以下の4点を問題点として掲げている。第一に,最終生産物概念(消費,蓄積および償却フォンドの合計)のもつ問題点である。この概念は社会的生産物および国民所得の概念によって表現される諸過程,諸現象と異なる。第二に,消費,蓄積および償却フォンドを与件,独立変数とすることの不当性である。筆者は総生産物と諸フォンドの複雑な関係を切り離すことは,現実の質的諸関係を量的関係に一面化するおそれがある,としている。第三に,最終生産物から逆行列によって総生産物を決定する数学的手続きは非現実的である。第四に,ネムチーノフが提唱する計画化方式で国民経済の持続的長期的発展テンポを維持できるか,第一部門の優先的発展の法則を保証しうるのか疑問である。

 最後に,筆者はマイスナーの見解を検討している。マイスナーの産業連関論に対する評価,再生産論と産業連関論との関係の理解はおおむね,筆者と同じようである。ただし,筆者はマイスナーの産業連関論批判が労働価値説=基礎範疇にとどまっていることに不満があり,その再生産的把握の必要性を強調している。また数学利用に関して,マイスナーは質的分析と量的分析との密接な関係,前者を後者に先行させることを指摘しているが具体的な提唱がない点に,この問題の捉え方が未成熟であるとしている。「必要なことは,社会主義経済の再生産過程の理論と計画化の実践的課題にこたえうる分析方法を積極的に展開しつつ,そのことにおける数学的方法の適用条件,適用の意義と限界を具体的に明らかにすることであろう」(p.56),これはこの論文が執筆された当時の筆者自身の課題でもあったのではなかろうか。

山田喜志夫「再生産と産業連関表-戦後日本資本主義の再生産構造把握のための試論-」『土地制度史学』第24号,1964年

2016-10-10 10:27:45 | 8.産業連関分析とその応用
山田喜志夫「再生産と産業連関表-戦後日本資本主義の再生産構造把握のための試論-」『土地制度史学』(土地制度史学会)24号,1964年,『再生産と国民所得の理論(第9章)』評論社,1968年

 資本主義経済の再生産構造を統計によって把握する困難な研究に挑んだのがこの論文である。使用される統計は国民経済計算体系に含まれる国民所得統計,産業連関表などであるが,筆者は主として後者により,これを組み替えて分析を進めている。組み替え加工が行われたのは,一つにはその背後にある経済理論に難点があるゆえに,また統計表そのものの信頼性・正確性という点で,産業連関表が現実経済を客観的に反映していると言い難いゆえに,再生産分析に使える統計表として整えなければならないからである。

 構成は次のとおりである。第一節で「産業連関的表示形式による再生産過程の反映」がどこまで可能かが論じられている。第二節「社会的総資本の再生産と産業連関表の組み替え」では,上記の組み換え加工の手続きが示されている。第三節では「戦後日本資本主義の再生産構造」の分析結果が展開されている。

 第一節「産業連関的表示形式による再生産過程の反映」では,マルクスの再生産論を基礎に産業連関表示を解説する内容になっている。まず連関表が商品資本の循環視角にたっていることを確認し,次いで拡大再生産表式を連関表示で再構成し,両者を対比して拡大再生産表示の観点から見た連関表の表示内容の問題点が浮き彫りにされている。要は産業連関表の表示形式の基本性格が個別資本の原理に依拠し,その集計量として社会的総資本を反映しようという方法論である。そのため,連関表では生産的部門と不生産的部門との区別が不問にふされ,固定資本の稼働状況が反映されず,商品資本循環を前提としているかのように見えながら実は生産物・モノの流れを使用価値視点から反映しているにすぎない。(この後,付論のように,ソ連で作成されていた部門連関バランスが紹介されている。ソ連ではマルクス経済学が支配的だったので,部門連関バランスは生産的部門と不生産的部門との区別はなされている。しかし,労働手段の再生産の把握には限界があるのは連関表と同じである。)

 第二節「社会的総資本の再生産と産業連関表の組み替え」では,社会的総生産物の流通と再生産の分析が,連関表によって可能になるように,組み換え手続きの骨子が社会的総生産物の生産局面と消費局面とに分けて解説されている。生産局面の組み替えでは,社会的総生産物の範囲の確定,社会的総生産物の二部門分割,社会的総生産物の価値分割のそれぞれについて組み替えの可能性が示されているが,推計が不可能な部分もあり,その点の明記もある(例えば輸出商品の部門分割は,各商品の国内における両部門の比率と同一と仮定されている。また,在庫増はすべて労働対象のそれとみなされている)。消費局面での組み替えでは,社会的総生産物が価値的に,また素材的にどのように補填されるかの分析が可能なようになされなければならない。筆者は連関表の利用によって,国民所得統計では計上されない部分の算定がなされ,また過大評価部分の除去ができ,そのことによって国民所得の流通の二局面である生産局面と消費局面の大きさや構成を範疇的により正確に示すことができる,と述べている。

 第三節「戦後日本資本主義の再生産構造」では,1951年,1955年,1959年の産業連関表を組み替えて作成した総括表にもとづいて日本資本主義の再生産構造を分析している。分析の視点として戦前との比較(1935年についての兵頭次郎の試算),国際比較(1957年,1959年,1960年についての東独のカッツェンシュタインの試算)が基軸になっている。

 分析の順序は,輸出入の構造の考察(戦前も戦後も生産手段では入超,消費財では出超で,外国貿易の素材転換の作用が明瞭),社会的総生産物の増大テンポの分析(第一部門の不均等発展が顕著,輸入の意義は労働対象の補填で大きいことが特徴),社会的総生産物の価値的素材的補填の結果としての国内使用総生産物の構成比の検討(異常に高い蓄積率と異常に低い個人消費率が顕著),拡大再生産の項目別遂行テンポの分析(1959年までは生産手段の増大率は消費財のそれと並行的だが,それ以降は第一部門の不均等発展,民間における労働手段の補填と増大率の高さが顕著,その対極で個人的消費の伸び率が低い)と進められている。
再生産分析の結論的部分をやや長くなるが,重要なので引用する,「このような高度成長は,労働手段の補填と蓄積すなわち固定資本の更新と蓄積が急速に拡大されたことによってもたらされたのであるが,固定資本の大規模な更新と蓄積は,第一部門内部の市場を拡大し,しかもこの第一部門内部の取引は,さしあたり個人的消費から独立している。このように高蓄積は高成長の直接的要因であるが,間接的には,高蓄積は,第一に資本の有機的構成の高度化をもたらし,労働生産性の上昇を通して,第二に蓄積に伴う雇用労働者数の増加を通して,社会的総生産物の素材量を増加させる。この結果,拡大再生産の物量テンポは大となり,実質国民所得の成長率は高くなる。/しかして,高蓄積による生産手段の拡大は最終的には,個人的消費によって限界づけられるのであって,生産と消費のギャップの拡大の可能性が大きくならざるをえない。一方,不生産部門の消費は安定的に増大しており,これが,生産と消費のギャップを埋める要因として結果的には機能している。・・・不生産的部門の消費の増大は,蓄積率を低め,拡大再生産のテンポを低める結果となる。日本資本主義は,その再生産構造において,かかる多面的な矛盾をうちにはらみつつ,その道を歩んでいるのである」と。(p.28)

山田喜志夫「産業連関分析の基本性格」『統計学』第7号, 1958年11月

2016-10-10 10:25:59 | 8.産業連関分析とその応用
山田喜志夫「産業連関分析の基本性格」『統計学』(経済統計研究会)7号, 1958年11月,『再生産と国民所得の理論(第10章)』評論社,1968年11月

 産業連関分析は, ロシア生まれのアメリカの経済学者W・レオンチェフ(1906­1999)によって開発された数理的分析手法。この分析手法は第2次大戦後のアメリカで経済予測に用いられ, その「有用性」が認められてから急速に各国に普及した。レオンチェフはこの業績が認められ,ノ-ベル経済学賞(1973年)を受賞した。

 本稿は, この産業連関分析の問題点を本格的に批判した論文。いわば産業連関分析批判の原型を示した古典的論文である。産業連関分析批判の論文はいくつかあるが,それらはこの山田論文を敷衍したものである。

 筆者は第一節で「産業連関分析の理論構造」を解説し,第二節で「産業連関分析批判」を行っている。理論構造の解説では,クローズド・モデルで,続いてオープン・モデルで,静学的レオンチェフ体系の構造が解き明かされている。ここでは,各部門の産出量が投入係数(ある種の技術係数)を使って恒等式で表現され,投入係数を用いて計算されるレオンチェフ逆行列の利用によって,所与の最終重要に対応する各部門産出量が導出されるプロセスが示される。連関分析は物量分析,価格分析も形式的に可能だが,基本は前者である。

 さて,いよいよ連関分析であるが,最初に連関分析が他の計量経済学的モデルと同様に過去の経済構造を普遍とし,これを将来に延長する手だてであることが確認されている。この点を押さえたうえで,次に投入係数に関する問題点,連関分析の物量均衡論的性格と需要偏重的性格について論じられる。

 連関分析では投入係数が一定として計算が行われるところに,確信がある。しかし,現実には,投入係数は技術の変化,新技術の採用,代替によって変化する。技術の変化にともなって投入係数がただちに修正されればよいが,モデルはそれを許容しない。技術変化がないとしても,投入係数は実際には価額を媒介に産出されるが,投入係数一定の仮定は部門生産物の価格の比率が一定であることを前提としている。資本主義的商品生産社会では,各部門生産物の商品の価格はたえず変化しているのが常態であるから,一般医相対価格の変化を免れることはできない。それにもかかわらず,投入係数一定の仮定は連関分析の絶対的条件なので,この点で連関分析は非現実的な仮定のもとでの試算とならざるをえない。

 投入係数は硬直的な生産関数の一種で,それは3つの前提をもつ。生産関数の一次性の前提,生産関数の同次性の前提,固定的投入関係の前提である。生産関数の一次性の前提とは,投入量が産出量に比例する一関数の型をもつという意味で,これは生産の最適規模の否定,収穫逓減あるいは収穫逓増の法則の否定につながる。生産関数の同次性の前提とは,経常投入における固定費用部分の無視であり,現実的でない。固定的投入関係の前提とは,個々の投入額が増加しても総産出量が増加しないという仮定で,当該部門の他のすべての投入される生産物も一定の比率で比例的に増加しなければ,産出量が増加しないという,これも非現実的な想定である。これらの前提はいずれも,連関分析の現実性を担保せず,それが近似的な計算にすぎないことになってしまう決定的要因である。

 次に筆者は産業連関分析が物量的均衡論にたっていることを問題にしている。連関分析では,各部門生産物の総供給たる総産出量がすべて他部門への投入すなわち中間需要および最終需要と均衡している。生産過剰による滞貨,在庫の存在は無視されている。また,レオンチェフ体系では,価格は物量の均衡配分の機能を果たさず,いかにして物量的均衡が成立するかは示されない。レオンチェフ体系は価格の機能しない,実物の世界で,連関分析の基本性格は実物分析である。筆者はこのことをレオンチェフ体系でいう価格論の検討をとおして再確認している。レオンチェフ自身,自らの理論を,「一般均衡論」を一国民経済の部門連関の研究に適用したもの,と言っている。レオンチェフ体系は,ワルラス流の一般均衡論の系譜上にある。

 最後に筆者は,連関分析が最終需要を所与として,それに対応する各部門産出量をもとめることについて,最終需要が産出量と独立に外生的に与えられる前提が現実の生産と需要の関係を転倒させていること(セイ法則の裏返し),それが有効需要の原理,注文生産の原理に依拠していること,過剰在庫や隘路の存在が無視され,需要があればこの需要量に追随して生産物量が波及的に増加するという楽観的な経済観にたっていること,固定資本の投資額は最終需要の構成項目とされるので固定資本の投資配分計画は連関分析の対象外にならざるをえないこと,結局,産業連関といってもただ諸部門生産物間の技術的連関,物量的連関のみがとりあげられ,部門生産物が資本制商品の形態をとり,この諸商品に対する需要供給がたえざる不均衡にあるという問題意識が欠如している。筆者は,これらの点に,産業連関分析の基本性格を読み取っている。

山田耕之介「投入産出表の歴史的背景について」『金融経済』(金融経済研究所)第52号,1958年10月

2016-10-10 10:23:22 | 8.産業連関分析とその応用
山田耕之介「投入産出表の歴史的背景について」『金融経済』(金融経済研究所)第52号,1958年10月

 筆者は投入産出分析について,それはワルラスが連立方程式体系を応用して,またレオンチェフがクロス・タビュレーションを利用して行った,「一般的相互連関性」の把握という一面的な経済認識の繰り返しにすぎないと断定している。投入産出分析の歴史研究を行って,それに対する批判に一定の方向性を与えようというのが,本稿の目的である。この作業を行うことで,アメリカの政府が投入産出表にどのような役割を担わせようとしたのか,あるいはより一般的に資本主義のもとで近代理論の技術化の現象がどのような背景をもって行われるかを例証できるはずというわけである。

 投入産出表は,資本主義の政府にとってどのような利用価値をもつのだろうか。1936年にハーヴァード大学のレオンチェフによって提唱された投入産出表は,1941年に労働統計局がレオンチェフに依頼して作成し,それによって完全な形をとる。その表は96部門(その後42部門に統合)から成る1936年のアメリカ経済を対象とした。それが作成されたのは,さまざまな戦略計画の経済的可能性を検討するためであった。1947年に関する包括的投入産出表は,空軍省を中心に国防資源委員会,労働統計局が資金を提供し,連邦政府諸機関,大学研究機関の協力を得て労働統計局がその作成にあたった(192部門)。筆者によれば,この47年表の部門分類は,製造業が小分類,軍需工業が細分類,その他の産業が中分類であったが,この事情はこの統計表の用途を暗示している。

 見落とすことができないのは,行政面での対応である。1948年には大統領庁への国防資源委員会議長の要請にもとづき,同委員会,予算局統計基準部,経済諮問委員会の各代表からなる大統領庁産業連関研究委員会が設置され,投入産出表による分析技術とその利用価値について検討を施し,各種の勧告を行うことになった。そして49年には労働統計局に産業連関研究部が設けられ,組織的研究体制の確立が方向づけられた。おりからの軍需計画の遂行に支えられ,資金援助は国防省が一手に引き受けることとなった。
 しかし,この計画遂行は頓挫する。1953年5月突如,予算局長による投入産出分析協同産業の中止命令がなされ,労働統計局をはじめ各官庁に新設されたこの作業のために部署はすべて廃止となり,翌年夏までに一切の作業の打ち切りが完了してしまった。作業中止の最大の理由は,その利用度の低さと利用範囲の狭さに対する産業界の反対によるものであった,とされる。予算規模の大きさに対しての利用度の低さ,軍需生産のテンポの弛緩なども理由の一つとして憶測された。

 投入産出表作成は他面で,国民経済の統一的把握のための方法として国民経済勘定の観点から問題点が指摘されていた。それまで,アメリカでは商務省による国民所得勘定の推定作業と連邦準備制度理事会の資金流通勘定があり,これに投入産出表が加わったが,国民経済勘定体系が行政的にそれぞれ独立して作製されていたので,これらを統合し矛盾なく統合する必要があった。3つの経済体系の統合化の問題は,1956年11月,予算局統計基準部が国民経済調査局に委託し専門委員会を設置し,同委員会が翌年6月「合衆国の国民経済勘定・検討,評価,勧告」と題する文書に結実した。

 報告書の「投入産出表の利用可能性」は,4つの分野(①国家防衛および生存計画,②その他の政府目的,③企業投資計画および市場分析,④統計性格度の照合手段)における問題をとりあげている。①では防衛計画の観点からみると軍事上の戦略が原子兵器の使用へと変貌したことで,投入産出分析はもはや軍事戦略上の意義を失い,一部の特殊分析に参考程度の枠組みを提供するにとどまったことが指摘されている。②では資源の将来の利用を評価する場合,投入産出表は大きな役割をもつと述べられている。③では企業の長期投資計画のなかで粗国民生産物とその主要な構成部分の見込みから,これらの粗国民生産物総額内における特定系列の生産物にたいする市場需要の見込みへと移行するさいに投入産出表が有効であると表明されている。④では一定の勘定体系内部における統計資料の整理に投入産出表が役割を果たすと期待されている。

 以上のうち④での投入産出表の使用目的は二義的問題のように受け取られがちであるが,委員会が投入産出分析の限界を決定づける要因として統計資料の問題をとりあげ,資料蒐集,推計や加工の継続的改善の努力の重要性に言及したことは注目に値する。この報告書は1957年,予算局統計基準部に提出され検討された後,10月に両院経済合同委員会経済統計分科会に提出された。

 1957年10月30日の両院経済合同委員会経済統計分科会では,労働統計局長によって,400部門からなる投入産出表がセンサスの実施される5年ごとに定期的に作成されることが示されたが,先の理由で,58年投入産出表はわずか50部門程度のものの小規模な表となった。その作成は商務省産業経済局国民所得部に一任された。50部門の内容に関して,この時点でわかっていたことは,国民所得統計にみられる産業源泉別の分類方式に準拠することだけであったようである。
 本稿で筆者が明らかにしたことは,その言を借りて示すと,投入産出表の作成をめぐる歴史的背景について,その作業中止の時期に焦点を合わせつつ,再開にいたるまでの経緯を追い,そこにみられたものが他の国民勘定に統合しうる矛盾のない投入産出表の作成,経済統計の整備改善という一般的目的と国家防衛・生存計画の分析という軍事目的とが車の両輪として機能しなければならないという動揺の激しい行程に他ならなかったということである。