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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

𠮷田忠「(第1章)農業統計とは何か」『農業統計の作成と利用(食糧・農業問題全集20)』農山漁村文化協会,1987年

2016-10-09 11:33:56 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
𠮷田忠「(第1章)農業統計とは何か」『農業統計の作成と利用(食糧・農業問題全集20)』農山漁村文化協会,1987年

 「統計とは何か」「日本の農業統計」の2節からなる。「統計とは何か」では,『農業白書』に見る各種の数値として,「いろいろな事実資料」「統計資料と実態調査資料」「統計資料と統計的方法」について論じられ,「日本の農業統計」では「農業とは何か」「わが国農業統計の体系」の2つがテーマである。

 「統計とは何か」の目的は,本来の統計,すなわち政府やそれに準ずる機関が,普通,法令にもとづいて,ある社会的な集団の個性要素に関して一律かつ画一的な聞きとり調査を行い,その結果を定期的な統計報告書の形で公表している一般に統計といわれているものを正確に位置づけることである。まとめた図が掲げられている(p.45)。

 筆者はまず『農業白書(昭和60年度)』の冒頭にある「主要経済指標」と「付属統計表」に掲げられている農業統計の基本指標を材料として,統計の説明に入っている。統計のように見えながら,厳密に言えば統計とは呼べないものがある。筆者はその例として,為替レート,穀物などの国際価格をあげている。これらは記録資料であり,統計資料ではない。また耕地面積,農作物作付面積などは測定資料であり,これも統計資料と区別される。測定資料は,人と物との関係から出てくる数字で,統計資料は人が人を調査して得られる(聞き取りなど)数字だからである。通関統計,国際収支統計,職業安定業務統計などは統計資料であるが,これらはそれぞれの機関がその業務記録をまとめたものなので,とくに業務統計という。また農業及び農家の社会勘定,物価指数,生産指数などは,加工統計という範疇に属する統計である。

上記の『農業白書』では「食糧消費構造の変化」「農業構造の変化」をみる箇所で統計資料が多用されている。家計調査,農業センサスと農業調査,農家就業動向調査などである。他にも全中『食料・農業・食生活・農協に関するイメージ調査』があるが,これは問題を限定して臨時に行われた調査で,統計資料に準ずるものである。また先進事例の紹介,実態調査も頻繁に出てくる。とくにあるべき方向性を示そうという場合にこの種の資料が利用される。


 次に統計指標の紹介がある。統計指標は,重要な事実のエッセンスを端的に示す数値を導出したものである。このなかには,(イ)加工統計資料が示す統計指標[国民総生産の構成と循環をとらえた各種の数値など],(ロ)一般の統計資料からの統計指標[平均経営耕地規模,経営耕地規模別農家比率など],(ハ)複数の統計資料から算出される統計指標[農業の比較生産性など]がある。

さらに,図表に示された時計数値や統計指標の形態に注目し,分布の形,動向における傾向や循環,(複数系列間の)関連性などに関する何らかの整った秩序,すなわち統計的規則性に手掛かりをもとめることがある。さらに進んで確率という考え方を持ち込み,将来予測をする場合もある。

 日本の農業の変革の方向と方策を明らかにするためには,統計的規則性に重きをおき,その析出を数理統計学にたよるやり方と,統計資料を重要な基礎資料としながら各種事実資料を組み合わせ問題にせまっていくやり方とがあるが,筆者は後者のやり方に従って,本書(『農業統計の作成と利用』)を執筆している。ただし,統計的規則性を数式でとらえる方法も,それが後者で位置づけられるかぎりで,検討の対象に加える,としている。
統計資料を以上のようにおさえると,次に問題となるのは農業統計である。農業統計は,農業という産業部門に属する人・企業・農家などの集団を対象に行う統計調査から作成された資料を指す。また,農業統計に関する研究対象は,農業での統計調査の企画・実施と統計資料の作成,さらに農業問題の分析と解明のために各種事実資料と組み合わせて行われる統計資料の利用である。農業の量的全体像の把握のための測定資料も常に関連資料として使われる。国民経済計算,工業統計,商業統計,林業統計,漁業統計も並行的に利用される。

 その農業統計の体系であるが,筆者はそれを『農水省統計表』の目次でつかんでいる。掲げられている項目は以下のとおりである。①農家(農業生産力の担い手,営利としての農業経営,兼業化進行状況),②農用地,③農業生産資材,④農作物,⑤養蚕及び製糸,⑥畜産,⑦農産物生産費,⑧農村物価賃金,⑨農家経済,⑩林業,⑪水産業,⑫農林水産業生産指数,⑬農林水産業所得,⑭農林水産物流通,⑮農水産加工品,⑯食料需給,⑰農林水産物貿易,⑱農林漁業共済・保険,⑲農林水産財政および金融,⑳農林水産団体。

筆者はこの目次を通観し,日本の農業統計の体系がまず農業の担い手としての農家の構造,および農業生産力要素の総量をとらえ,次にその農業生産力の発現である農業生産資材の投入や農産物の産出をみ,最後にその農産物の流通と加工をみるという順序になっていて,物の流れとしての農業生産の物的順序に準じている,ととらえる。ただし,この流れは農業生産の経済的側面をみる部分(農産物生産費,農村物価賃金,農家経済),林業と水産業,農林水産物の総括(農林水産業生産指数,農林水産業所得)の三者で中断している。しかも,経済的側面は農業全体の経済や農家の経済に関するもので,農業経営を扱ってはいない。目次はこのように,全体としてかなり混乱した内容のものである。この混乱は,他ならぬ日本の農業の実態(一部に企業的農業経営を析出しながら膨大な兼業農家の堆積と農業生産の担い手の多様化)を反映したものである。

岩井浩「アメリカにおける雇用・失業統計の生成について」(関西大学経済・政治研究所『雇用・失業問題の研究(Ⅰ)』「研究双書」64冊)1987年3月

2016-10-09 11:29:03 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
岩井浩「アメリカにおける雇用・失業統計の生成について」(関西大学経済・政治研究所『雇用・失業問題の研究(Ⅰ)』「研究双書」64冊)1987年3月(『労働力・雇用・失業統計の国際的展開』梓出版社,1992年)

アメリカでは19世紀後半から産業資本主義が急速に発展し,対極に労働問題,社会問題が顕在化した。そのアメリカで労働問題,社会問題の解決のために緊急に必要とされたのは,雇用・失業統計であった。連邦・州の行政・統計機関と労働組合は,それらを作成する主要な担い手であった。具体的には,1860年代後半から80年代前半にかけ,マサチューセッツ州(1869年)とその他の州(ペンシルバニア州[1872年],コネティカット州[1873年],ケンタッキー州[1884年],オハイオ州[1877年])で労働者の状態を把握するための行政機関が,さらに連邦レベルでの労働行政・労働統計の専門部局(後の労働省,労働統計局)が設立され,雇用・失業統計の整備が始まった。雇用・失業統計作成の専門部局は,合衆国センサス局,労働統計局と州・市の労働統計関係局であった。

 1930年代の労働力統計が作成される以前の雇用・失業統計は,(1)有業者方式の合衆国人口センサスおよび州・市の特別失業調査,(2)各州で収集された労働組合の失業統計,(3)合衆国(BLS[1913年設立]),州・市の事業所報告(賃金台帳からの従業者数の報告),工業統計調査に基づく雇用者数の時間的変動からの失業者数の推計などが主であった。

 人口センサス(連邦・州)と市の失業調査の基本的形態は,有業者方式であった。有業者方式は,失業統計としては,その概念規定(有業者・無業者の概念,長期[1年間]の平常の就業・不就業の状態が曖昧)と調査方法に難点があった。とくに,失業についての明確な規定がなく,失業者に関してもそれと休職者の区別,自発的失業と非自発的失業の区別などに必要な基準がなかった。筆者はこの間の事情を,BLSの調査報告書『失業統計と職業紹介所の活動』(1913年),『合衆国の失業』(1916年),『産業的失業-その範囲と原因の統計的研究』(1922年),『オハイオ州コロンバス市における失業-1921年から25年』(1926年),『1929年4月のフィラデルフィアにおける失業の社会的,経済的特徴』(1930年)で追跡している。

 筆者は次いで,1910年から20年代にかけての代表的な失業調査,失業者数推計の方法の概要をまとめている。順に,(1)労働組合の失業著調査(①ニューヨーク州[1897-1916年],②マサチューセッツ州),(2)雇用統計からの失業者数の推定,(3)人口センサスと失業調査,である。労働組合の失業著調査のうちのニューヨーク州でのそれは,「選択された労働組合の失業調査」「全労働組合の失業調査」に分けて記述がある。マサチューセッツ州での労働組合の失業調査は1908年から実施され,ニューヨーク州でのそれとの相違点が示されている。

 労働組合の失業統計は,行政機関(州)を調査者として,労働組合の協力の下に行われた。しかしそれは組合員を直接対象とするのではなく,各労働組合を調査単位として,組合の書記が調査票の記入者だったために,書記の情報収集力,記帳能力に限りがあり信頼性を欠いていた。
筆者はさらに「雇用統計からの失業者数の推定」で,当時あった2とおりの推定方法,すなわち「(1)労働組合によって報告された失業者数の時間的変動と(2)産業の総計または特定の産業部門別(工業)の工場従業員名簿の従業者数の時間的変動」の測定について紹介し,考察をくわえている。こうした工場,事務所などからの雇用者数の記録の収集にもとづいて推計された失業者数(BLSの連邦レベル,州レベル)は,推測方法そのものに難点があり,雇用・失業の時系列的変動の一つの目安にすぎなかった。

他に人口センサスでは,1830年センサス以降,人口の雇用状態が調査されるようになり,1930年センサスでは「有業者」概念が登場し,これ以降しばらく有業者方式が定着する。しかし,有業者方式の人口センサスでは失業者の調査は,付随的に行われたにすぎなかった。失業者に関する調査は,センサスの調査票に失業項目を挿入する形で1880年センサスから初めて実施され,1890年センサス,1900年センサスに継承された(ここでは,「10歳以上の有業者が,調査前年に失業していた月数を述べるように質問されていた」)。他にも州,市レベルで特別の失業調査(センサス)が実施された。筆者はその代表として,マサチューセッツ州センサス(1885年,1895年),ニューヨーク市失業調査(1915年),コロンバス市失業調査(1921-25年)について解説している。後者の調査は,合衆国センサスと同じように,一定の収入のある有業者を対象にし,調査期間は1週間で,過去一カ年の平常の就業・不就業状態を明らかにするものであった。人口センサスと比較すると,失業の理由が詳しく調査され,就業構造の把握という点で優れていた。これらの諸都市の失業調査の経験の蓄積は,1930年「失業センサス」の企画,調査票の設計のベースとなった。

1930年代に労働力調査方式が形成されるまで,アメリカでは種々の失業推計がなされたが,合衆国レベルの定まった失業統計は存在しなかった。

岩井浩「雇用・失業統計の生成-基本的概念と方法を中心に-」『経済論集』(関西大学)第36巻第5号,1987年2月

2016-10-09 11:27:34 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
岩井浩「雇用・失業統計の生成-基本的概念と方法を中心に-」『経済論集』(関西大学)第36巻第5号,1987年2月(『労働力・雇用・失業統計の国際的展開』梓出版社,1992年)

本稿は1930年代以前の時期における雇用・失業統計の作成状況を,それらの基本概念と方法に焦点を絞って概観し,労働力統計(労働力方式)形成の諸条件を解明している。

 1919年に設立されたILOは当初から,労働問題と労働統計の重要な課題として,各国の雇用・失業統計の作成状況を調査研究し(『国際労働評論』創刊号[1921年],『各国の失業統計1910-1922年』[1922年]),雇用・失業統計の国際比較のための基準の設定に努め,多くの調査研究の成果を『国際労働評論』に公表した。報告書『各国の失業統計1910-1922年』では,失業者総数を正確に把握した統計がないことの指摘があり,また失業の国際的定義が採択されることがなかったが,概ね「失業は,働く能力と働く意志があるが,その技能と期待に相応した雇用をみいだすことができない労働者の状態」と理解されていた。第2回国際労働統計家会議(1925年)は,このテーマでの国際会議であり,失業統計の国際比較のための一定の勧告を提出した。各国で作成されている雇用・失業統計の主要な源泉は4つであった。それらは,(1)雇用主の報告,(2)職業紹介所の報告,(3)労働組合の報告,(4)保険制度の下での報告である。

 このような状態をふまえ,ILO理事会は「失業に関する技術委員会」を組織し,3つの草案(失業の定義,産業・職業分類,失業調査の調査票)について各国の政府統計機関による回答をまとめ,調査報告書『失業統計の作成方法 各国政府の回答』(1922年)を公刊した。この調査報告は,相異なる統計の作成方法上の問題とともにその基礎にある統計上の調査可能な「失業概念」を検討し,失業統計の基本概念と方法の形成に関する先駆的な研究である。筆者はこの報告書の「失業の定義」草案を,失業の定義,草案に対する各国政府の回答の検討の順に紹介し,次のように結論付けた。「失業は,労務提供の契約のもとで,働く能力があり,働く意志はあるが,仕事がなく,労働市場の状態のために,仕事を得ることができない労働者(この場合,その現実のまたは将来の正常な生活方法が労務提供契約の雇用である者を意味する)の状態である」と。委員会は,国際比較のための職業分類を検討し,第三の草案として「失業保険統計」「労働組合によって提供される情報にもとづく統計」「公共職業斡旋所の業務からの統計」「求職と未充足の欠員のバランス」に関する統計を検討し,各国からILOへ報告される各々の標準統計表を提案した。

 筆者は続いて第2回国際労働統計家会議で採択された失業に関する報告書を中心に,失業統計の基本概念と方法,とくに人口センサス・失業センサスとの関係の部分について紹介している。ここでは,各国の失業統計の作成状況,利用可能な失業統計・労働市場統計の確認が行われ,10か条の草案の検討,失業統計に関する11か条の「決議」が採択されたこと,「決議」の要旨(各国の実状と失業統計の作成可能性),人口センサスにおける失業調査事項の設問の検討,どの調査方法(業務統計もセンサス等の調査統計も)にも共通する失業者の定義などが議論され,一定の結論に収斂した。

 筆者は最後に「有業者統計の国際基準」についての議論を紹介している。主として国際連盟が1938年に勧告した人口センサスの調査方式として,有業者方式の人口センサス,雇用・失業調査に関する国際基準についてである。有業人口は次のように規定されている。「国際分類の目的のためには,就業者が直接にか間接にか現金またはそれに相当するもので報酬をえている職業は,すなわち報酬のあるいずれの基本的職業も,あるいは関係者の報酬のある職業である副次的職業も,有業の職業とみなされるべきである」と。この規定を基準に,ここから家庭労働が除外されるが,家計補助のための家族構成員の労働が含まれ,職業訓練所で訓練中の者,失業救済労働に従事している者が含まれる,とされる。他にさらに細かく,有業人口から除かれる者(農夫の妻,農夫以外の妻など),有業人口とみなされない者(金利生活者,年金生活者など),失業者(センサスで失業者として記録された者は,かれらの最後の職業によって分類される)などが示された。   

川口清史「構造転換期における統計・統計学の課題」『統計学』 [経済統計学会]第49・50合併号,1986年8月)

2016-10-09 11:26:10 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
川口清史「構造転換期における統計・統計学の課題」『統計学(社会科学としての統計学・第2集)』 [経済統計学会]第49・50合併号,1986年8月)

 この論稿が書かれた1980年代半ばの社会統計学の課題を,若手研究者だった筆者がまとめたもの。当時は,二度目のオイルショックから数年を経て,経済のサービス化,ソフト化がしきりに喧伝された。高度成長経済の終焉,農民層の労働者階級への転化の加速化など日本資本主義経済の構造変化が背景にあった。

 筆者は以上を確認して,統計・統計学の課題を 本に絞ってパラフレーズしている。第一の課題は,統計環境・調査環境の悪化をいかに改善するかである。その直接的内容は,調査拒否,意識的誤答,調査員の質的・量的不足,調査体制の不備などである。個人や企業に関する情報の秘密保護,とりわけ個人のプライバシー保護も含まれる。筆者はこの課題を解決するには,統計調査の必要性についての国民的合意の形成(統計文化,統計教育)が不可欠であるという。筆者の弁を借りれば次のようである。「思想信条をこえて多数意見を形成するためには少なくとも事実に対する共通の認識がなければならない。その意味で,統計は民主主義の基礎的条件を構築し,統計がどのように事実を反映するかを語る統計学は,民主主義の担い手の形成という意味でのリベラルアーツとしての性格をもつ。統計による認識を社会認識の基礎として共有することの意味の重大性を共通の理解とすることが今日の危機を克服する道であろう。」(p.381)

第二の課題は,経済の急激な構造変化をとらえる統計体系の充実化である。既存の統計体系では実態を十分に分析できないがゆえに,統計学が課題として意識しなければならないのは,筆者によれば,「サービス化」「ソフト化」をとらえる統計,変化する労働市場を把握する労働統計の整備,高齢化の集中的進行,地域産業の疲弊が進む地域の実態を反映する地域統計の拡充,その作成がとまっているストック統計(国富統計)の検討,急激な国際化の進展をふまえた国際統計の概念,定義,カバレッジ,調査方法の見直し,新たな社会矛盾の分析に必要な統計の準備(所得・資産格差など二重構造の今日的形態をとらえる統計の必要性,新しい福祉指標の検討)である。

 当時,経済学でも危機意識の表明が次々に現れた。ジョーン・ロビンソンの「経済学の第二の危機」がその代表的なものである。この危機に直面して経済学は,古いパラダイムを新しいそれに置きかえる試みとともに,その認識論的基礎の批判と再構築に関わる問題提起,そして現実の実践的政策的課題に応える理論構築という2つの方向をとった。統計学の分野でも,その認識論的基礎を問う山田満の「反映論」批判,藤江昌嗣の反批判が注目された。また,野澤正徳,木下滋,土居英二による数量的方法の積極的活用,そして政策科学の評価をめぐる問題提起が関心をひいた。このような現状にたいして,筆者は次のように述べている。「この論争をみのりあるものにするには,政策科学の存在や社会科学の実践的性格を否定する議論はともかくとして,まず提起されている政策や実践的方向の有効性そのものを問うことから出発する必要がある。もちろん,そこにとどまればプラグマティズムのそしりはまぬがれないが,研究の目的が実践的提起にあるのだからその検討を抜きにしては論争がすれちがうだけである。その提起する結論に一定の評価を保持しつつ,そのよってたつ理論的方法論的基礎の批判,検討におよべば生産的論議が期待できよう。」(p.386)

岩井浩「失業統計の日米比較について」(『統計学』第47号,1984年9月(『労働力・雇用・失業統計の国際的展開』梓出版社,1992年)

2016-10-09 11:24:02 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
岩井浩「失業統計の日米比較について」(『統計学』第47号,1984年9月(『労働力・雇用・失業統計の国際的展開』梓出版社,1992年)

 失業統計は国ごとに概念,作成方法が微妙に異なり,単純な国際比較はできない。比較を行うためには,概念と方法の調整が必要となる。本稿は,日本とアメリカの失業統計の比較を試みたものである。日本の失業統計のベースである労働力調査は,戦後アメリカの同種の統計をモデルにスタートした経緯があり,国際比較が難しいとはいっても,その限りで相対的な容易さがある。とは言え,実際にそれを行うとなると,さまざまな問題が立ちはだかっている。本稿を通読すると,そのことがよくわかる。

なお,留意しなければならないことがある。本稿は執筆された時点で,日本では毎月実施される労働力調査とともに,年間に一度の労働力調査特別調査が別にあり(当時),後者はとかく平板な調査になりがちであった毎次の労働力調査を補完するものであった。しかし,2002年以降,労働力調査特別調査は廃止され,そこに盛り込まれていた調査項目が,通常の労働力調査に取り込まれた。本稿での議論は,労働力調査と労働力調査特別調査が二本立てであった時の調査を反映した内容になっている。

 上記のように,日米の労働力調査は,基本的に同一の枠組みである。そのことをふまえ,本稿の内容は,第一に比較の素材としての日米の労働力調査の内容(調査票)と調査方式の紹介,第二に失業統計のアメリカ概念への調整方法と調査結果の考察,第三に日米の失業・不安定就業者の統計指標の検討となっている。最後に,失業統計の日米比較をめぐる論争とその後の動向,失業統計の背景にある労働市場の特性への言及がある。

 アメリカの労働力調査は,センサス局の「現在人口調査」(CPS:Current Population Survey)として実施されている。最初に,調査票の質問項目との関係で,就業・不就業,とりわけ失業者の把握の仕方,手順がわかりやすく示されている。その特徴は,失業状態が多標識(失業の理由,求職期間,失業期間,レイオフの期間,求職の種類,離職の時期と離職前の職業・産業・従業上の地位)によって構造的に明らかにする調査票になっていることである。これらによって「隠された失業」と呼ばれる潜在化した失業の把握が可能になる。これに対し,日本の労働力調査はアメリカの労働力方式に準拠しているものの,アメリカの労働力調査における調査標識の詳細さには対応できていない。わずかに年に一度実施される,労働力調査特別調査がこの難点を補完する形になっているが,後者は時々の労働政策の目的の変化に応じて,各年次の調査項目に相違があるので,時系列上の比較が必ずしも可能でない。

 失業者は日米とも,(1)就業者以外であること,(2)就業の意志があること,(3)就業が可能なこと,(4)具体的な求職活動をしていることの4条件を満たす者である。しかし,日本の労働力調査の質問形式では,就業意志の条件と就業可能な条件をテストする質問事項がない。この意味で,日本の労働力調査は,失業条件の明確な諸規定を欠いている。アメリカの失業者についての調査項目は,現実に雇用されているのか否かのテストにウエィトがある。これに対し,日本の場合には求職活動をしているか否かのテストにウエィトがある。

 日本の失業者,失業率のアメリカ概念への調整は,種々行われている(K.Taira,ウリャニーチェフ,根岸延之,白石栄司,永山貞則)。この作業には,いくつかのポイントがある。筆者はそれを整理して示している。アメリカの労働人口は16歳以上,日本のそれは15歳以上と年齢制限が異なる。またアメリカの労働力人口は施設収容人口と施設非収容人口とに分類され,後者はさらに軍隊を含めた総労働力人口とそれを含めない文民労働力人口とに分けられる。公表される労働力人口は,後者である。日本の労働力人口の規定には施設収容人口と施設非収容人口の区別はない。軍隊は労働力人口に入っている。1982年以前の日米比較では,したがって,労働力人口から自衛隊員数を除く必要がある。

 従業者に関して,アメリカではILO基準にのっとって,週15時間未満家族従業者は非労働力人口に分類されているので,日米比較のためには,日本でも同様の措置を講じる必要がある。レイオフ者は,アメリカでは失業者に含まれる。日本での「休業中の一時帰休者」は,アメリカと制度上異なる部分があるものの,レイオフ者に相当するので事実上の失業の顕在化とみなしうるので失業者に分類する。問題はこの指標さえ,1980年以降,公表されなくなったことである。

 失業者の概念規定で,アメリカのその規定は上記4条件についての判定可能な設定がなされ,働く能力や意志があるのに解雇された者,新規に労働市場に参入し,職がないために求職活動をしている者が失業者とされる。日本では就業の意志や就業能力の有無を具体的に判定する設問がなく,就業せずに求職活動をしているものが失業者とされる。そのことをふまえ,筆者は失業者の概念規定に含まれる範囲での調整を行っている。その詳細をここに再掲できないが,組み替えで議論が分かれる主な論点は,「結果待ち求職者」「就職内定者」の扱いである。

 アメリカの失業概念への調整によって,日本の1979年3月と1982年3月の失業率は,それぞれ2.5%,2.6%であったのが,4.2%,3.9%となった。公表失業率に対する調整失業率の上昇の大きな要因は,非労働力人口のうちの求職・就業可能者と就職待機者を失業者に組み入れたことによる。この傾向は,当然ながら,女性の非労働力人口に顕著である。

 筆者は次に,相対的過剰人口を示す日米の失業・不安定就業者層の推計を行っている。推計には,日本に関しては労働力調査(特に同特別調査),アメリカに関してはCPSが使われている。CPSと労働力調査特別調査で比較可能な失業・不安定就業者の調査項目と統計指標の調整手続きが先ず紹介されているが,これも紙幅の都合でその詳細をここに掲載することはできない。原文にあたってもらうしかない。

調整の結果表(1979年,1982年)から言えることは,次のとおりであるとしている。(1)従業上の地位別従業者でみると,日米とも相対的に減少している。日本での自営業者,家族従業者(大多数は女性)の比重が大きい。(2)失業者の内訳をみると,日本の非労働力人口にしめる就業希望者,非求職・就業希望者の割合が著しく高く,とくに女性で顕著である。(3)短時間労働者については,日本では短時間自営業者,短時間家族従業者の比重が著しく高く,アメリカでは経済的理由(非自発的理由)による短時間就業者の女性の割合が大きい。(4)日本の失業・不安定就業者の数は2003万人(79年),1972万人(82年),その対労働力人口比である不安定就業・失業率はそれぞれ33.2%(79年)と32.0%(82年),女性では54.6%(79年)と52.9%(82年)に達する。この数字はアメリカでは26.7%(79年),31.6%(82年),女性のそれは女性で38.7%(79年),33.3%(82年)であった。また雇用者・不安定失業率は,日本で36.0%(79年),29.2%(82年)[女性で61.4%(79年),48.9%(82年)],アメリカで27.1%(79年),32.0%(82年)であった。日本のほうが,公表失業率で表示しえない大量の失業・不安定就業者が存在するということである。

 日米の失業率の比較に関しては,論争があり,本稿はその論争を踏まえて議論が展開されている。重要なのは,統計の形式的比較よりも,統計の背後にある日米の雇用慣行,労働市場の特殊性との関係で失業・不安定就業の構造的比較を行うことである。その意味では,筆者が自覚しているように,本稿で行った失業・不安定就業率の日米比較の意義は限定的である。