吉田忠「(第6章)農業をめぐる事実をどうとらえるか」『農業統計の作成と利用(食糧・農業問題全集 20)』農山漁村文化協会,1987年
農業は自然的事物と社会的事実に分けて理解することができる。前者の観点からみれば,農業は自然物である作物・家畜の栽培・飼育をとおして人間に有用な農産物を作る社会的行為,あるいはその集合としての産業部門である。したがって,農業生産は自然そのもの,あるいは自然の循環という基盤の上に成立する。後者の観点からみれば,農業は農産物の加工・販売においては言うまでもなく,その生産においても社会的な関係をとおして経済的に営まれる。自然的事物も社会的事実も,その内容は一筋縄ではいかない。
筆者の関心はとくに社会的事実のほうにあるが,重要な区別は社会を構成している人間や組織に関して,特定の個体にあらわれる状態としての社会的事実か,それとも全体の集団的な動きにあらわれる状態としてのそれかである。
日本農業をとりまく条件の悪化という問題を考えるとき,それはまず個々の農家・農協の経営や事業の悪化としてあらわれる。特定の個体にあらわれ,農業の根本に関わる社会的事実は,「典型的事例」として示されなければならない。しかし,一般的にはそうした社会的事実は,集団現象の形態をとってあらわれる。そしてこの集団現象は,社会的集団現象として,また地域的集団現象(地域的重層構造)とに区分して理解することができる。
それではこうした農業をめぐる社会的事実は,近代社会においてどのように把握されてきたのであろうか。筆者はその方法を,次のように概念化して示す。
<記録> 個人の記録→組織的制度記録→業務統計
統計調査 (統計資料)
<調査> 実態調査 (実態調査資料)
<測定> 単なる測定 → 科学的測定 (測定資料)
筆者のこの概念図の説明は具体的事例をあげての説明になっているので,興味深い。すなわち,個人的記録では,2人の農民の記録(後藤善治『善治日誌』,河瀬義夫『土に生きる-農業簿記と共に40年』)が,<調査>では二宮尊徳の「報徳仕法」が紹介されている。二宮尊徳に始まった農村調査は,明治維新後も,農村振興策樹立のための調査という性格を報徳仕法から継承した(前田正名の「農事調査」[明治22-25年]参照)。しかし,この種の調査は調査目的が行政と結びつき,調査対象と調査方法が主観的で,客観的現象を把握する方法として不完全であった。それが試験場や大学のような組織に身をおおく専門的調査研究者によって改善され,農業・農村の実態を知ることを目的とした,あるいは行政の基礎的資料蒐集を目的とした調査が行われるようになる。筆者は,このような客観化された目的と方法のもとに,社会的事実のうちの特定の個体的現象ないし地域的集団現象を対象に実施された調査を,実態調査と呼んでいる。そして,そのような調査の嚆矢を明治30年に札幌農学校助教授。高岡熊雄によって行われた開拓農家の調査をあげている(高岡熊雄『北海道農論』裳華書房,1899年)。明治中期以降には,このような方法を吟味した農業・農村調査が行われるようになり,それを全国的な農家集団現象としてとらえる見方も登場してきた。その代表的なものは,当時の農商務省農事試験場技師の斎藤萬吉のよる農家経済調査(明治42年,45年,大正2年)であった(斎藤萬吉『実地経済農業指針・日本農業の経済的変遷』「明治大正農政経済名著集(9)」農文協,1976年)。
以上のように,近代社会では農業に関する事実のとらえ方は個人記録から調査へ,さらに実態調査へと進歩したが,同時に社会的事実の記録が単なる個人的な書き物から社会制度的なもの(政府・自治体のような社会的組織体による記録,具体的には土地台帳や戸籍の記録,業務統計など)となる。また自然的事物の測定に,科学的方法が導入されるようになる。社会的事実や自然的事物のとらえ方は,記録,調査,測定の3つの方向で進化を遂げるにいたった。
社会的集団現象の記録は,いつの時代にもある。奴隷社会,封建社会では,それがそれぞれの時代の社会権力者の支配の手段として,あるいその側からの要請として存在した。社会的集団現象の把握は他方,それをとらえる方法にもあらわれる。かつては人間や土地に関する社会的集団現象に必要な情報は,共同体内的な行政末端機構をとおして,日常的権力行政の一環として集められ,記録されていた。しかし,封建社会も末期になると,共同体は崩れ始め,人間や土地に関する情報が日常的行政をとおして収集することが困難なる。そこで,社会的集団現象把握の近代的形態である統計調査の方法が次第に定着するようになる。そのための前提条件は,「公共の福祉」のためには自らのプライバシーの一部を擬制にしてもよいという国民の自主性を前提として,政府などによる統計調査が法令にもとづいて制度化されること,また統計調査の実施が一般行政,とくに権力的なそれから切り離されることである。これらは歴史的に生み出された統計調査における方法的技術的側面である。
最後に筆者は統計調査の歴史的社会的側面について解説している。社会集団現象を捉える際には,歴史的社会的側面と方法的技術的側面からのアプローチがありうる。前者は社会的集団現象の把握そのものが,歴史や社会のなかに因が法則的に組み込まれ,それによって制約されている面をみるということである。他方,歴史的に形成された把握主体は,与えられた目標と環境条件のもとでより効果的な方法を模索し,作りだす。社会集団現象の把握の過程は,このような目的合理的に作られた方法という側面をもつ。これが社会集団現象のとらえ方における方法的技術的側面である。筆者はそれらの具体的展開を,アメリカの第一回人口センサス(1790年),それに続く西欧諸国での人口センサス,さらにこの時期の家計調査の流行と経済統計の整備といった統計調査の展開のなかに考察している。
農業は自然的事物と社会的事実に分けて理解することができる。前者の観点からみれば,農業は自然物である作物・家畜の栽培・飼育をとおして人間に有用な農産物を作る社会的行為,あるいはその集合としての産業部門である。したがって,農業生産は自然そのもの,あるいは自然の循環という基盤の上に成立する。後者の観点からみれば,農業は農産物の加工・販売においては言うまでもなく,その生産においても社会的な関係をとおして経済的に営まれる。自然的事物も社会的事実も,その内容は一筋縄ではいかない。
筆者の関心はとくに社会的事実のほうにあるが,重要な区別は社会を構成している人間や組織に関して,特定の個体にあらわれる状態としての社会的事実か,それとも全体の集団的な動きにあらわれる状態としてのそれかである。
日本農業をとりまく条件の悪化という問題を考えるとき,それはまず個々の農家・農協の経営や事業の悪化としてあらわれる。特定の個体にあらわれ,農業の根本に関わる社会的事実は,「典型的事例」として示されなければならない。しかし,一般的にはそうした社会的事実は,集団現象の形態をとってあらわれる。そしてこの集団現象は,社会的集団現象として,また地域的集団現象(地域的重層構造)とに区分して理解することができる。
それではこうした農業をめぐる社会的事実は,近代社会においてどのように把握されてきたのであろうか。筆者はその方法を,次のように概念化して示す。
<記録> 個人の記録→組織的制度記録→業務統計
統計調査 (統計資料)
<調査> 実態調査 (実態調査資料)
<測定> 単なる測定 → 科学的測定 (測定資料)
筆者のこの概念図の説明は具体的事例をあげての説明になっているので,興味深い。すなわち,個人的記録では,2人の農民の記録(後藤善治『善治日誌』,河瀬義夫『土に生きる-農業簿記と共に40年』)が,<調査>では二宮尊徳の「報徳仕法」が紹介されている。二宮尊徳に始まった農村調査は,明治維新後も,農村振興策樹立のための調査という性格を報徳仕法から継承した(前田正名の「農事調査」[明治22-25年]参照)。しかし,この種の調査は調査目的が行政と結びつき,調査対象と調査方法が主観的で,客観的現象を把握する方法として不完全であった。それが試験場や大学のような組織に身をおおく専門的調査研究者によって改善され,農業・農村の実態を知ることを目的とした,あるいは行政の基礎的資料蒐集を目的とした調査が行われるようになる。筆者は,このような客観化された目的と方法のもとに,社会的事実のうちの特定の個体的現象ないし地域的集団現象を対象に実施された調査を,実態調査と呼んでいる。そして,そのような調査の嚆矢を明治30年に札幌農学校助教授。高岡熊雄によって行われた開拓農家の調査をあげている(高岡熊雄『北海道農論』裳華書房,1899年)。明治中期以降には,このような方法を吟味した農業・農村調査が行われるようになり,それを全国的な農家集団現象としてとらえる見方も登場してきた。その代表的なものは,当時の農商務省農事試験場技師の斎藤萬吉のよる農家経済調査(明治42年,45年,大正2年)であった(斎藤萬吉『実地経済農業指針・日本農業の経済的変遷』「明治大正農政経済名著集(9)」農文協,1976年)。
以上のように,近代社会では農業に関する事実のとらえ方は個人記録から調査へ,さらに実態調査へと進歩したが,同時に社会的事実の記録が単なる個人的な書き物から社会制度的なもの(政府・自治体のような社会的組織体による記録,具体的には土地台帳や戸籍の記録,業務統計など)となる。また自然的事物の測定に,科学的方法が導入されるようになる。社会的事実や自然的事物のとらえ方は,記録,調査,測定の3つの方向で進化を遂げるにいたった。
社会的集団現象の記録は,いつの時代にもある。奴隷社会,封建社会では,それがそれぞれの時代の社会権力者の支配の手段として,あるいその側からの要請として存在した。社会的集団現象の把握は他方,それをとらえる方法にもあらわれる。かつては人間や土地に関する社会的集団現象に必要な情報は,共同体内的な行政末端機構をとおして,日常的権力行政の一環として集められ,記録されていた。しかし,封建社会も末期になると,共同体は崩れ始め,人間や土地に関する情報が日常的行政をとおして収集することが困難なる。そこで,社会的集団現象把握の近代的形態である統計調査の方法が次第に定着するようになる。そのための前提条件は,「公共の福祉」のためには自らのプライバシーの一部を擬制にしてもよいという国民の自主性を前提として,政府などによる統計調査が法令にもとづいて制度化されること,また統計調査の実施が一般行政,とくに権力的なそれから切り離されることである。これらは歴史的に生み出された統計調査における方法的技術的側面である。
最後に筆者は統計調査の歴史的社会的側面について解説している。社会集団現象を捉える際には,歴史的社会的側面と方法的技術的側面からのアプローチがありうる。前者は社会的集団現象の把握そのものが,歴史や社会のなかに因が法則的に組み込まれ,それによって制約されている面をみるということである。他方,歴史的に形成された把握主体は,与えられた目標と環境条件のもとでより効果的な方法を模索し,作りだす。社会集団現象の把握の過程は,このような目的合理的に作られた方法という側面をもつ。これが社会集団現象のとらえ方における方法的技術的側面である。筆者はそれらの具体的展開を,アメリカの第一回人口センサス(1790年),それに続く西欧諸国での人口センサス,さらにこの時期の家計調査の流行と経済統計の整備といった統計調査の展開のなかに考察している。