岩井浩「アメリカの1930年失業センサスについて-『失業調査表の検討』-」(関西大学経済・政治研究所『雇用・失業問題の研究(Ⅱ)』「研究双書」68冊)1989年3月(『労働力・雇用・失業統計の国際的展開』梓出版社,1992年)
本稿の内容は,以下のとおりである。
アメリカでは,1930年4月に失業センサスが実施された。具体的には,1930年4月の人口センサスに「失業調査票」が組み込まれる形態がとられた。
それまで,失業者に関する調査と言えば,センサスの調査票に失業項目を挿入する形で1880年センサスから初めて実施され,1890年センサス,1900年センサスに継承されていた。採用された方式は,有業者方式(平常に収入のある職業に従事している者)であった。しかし,この方法は,10歳以上の有業者に対して調査前年に失業していた月数を述べさせる質問で,その際,失業者,失業期間の規定が不明確だったがゆえに,調査に対する回答は非調査者の主観的判断に依存するケースが多く,その信頼性には幾多の疑問が投げ変えられた。この弊を改善する目的で,1930年人口センサスは,「人口センサス票」とともに「失業センサス票」をそなえ,失業調査が独自の課題として位置づけられた。採用された方式は従来と同様の有業者方式であったが,「調査員が訪問する前日の実際の失業」が調査されるようになり,この点で労働力方式への転換の契機が含まれていた。
このような失業センサスが実施されるまでには,どのようなプロセスがあったのだろうか。1930年の第15回合衆国人口センサスの企画・設計に際し,アメリカ上院「教育・労働委員会」は,アメリカの失業に関する公聴会を開催した。労働統計局長スチュアートは,公聴会の証言などにより,労働統計局の失業推計に不十分さが多くあることを認め,現実に存在する失業状態を把握するためにはアメリカ全体にわたる包括的な失業調査が必要であるとの認識から,1930年アメリカ人口センサスが失業センサスを抱き込んで実施されなければならないこと強調した。
当時,世界恐慌が資本主義諸国を震撼させていた。各方面からの大きな期待のなかで実施された上記の失業センサスの結果は,意に反して各界から厳しい批判を蒙った。それは有業方式にのっとって得られた調査結果が満足のいく成果を収めなったからであった。このような背景のなかで,労働統計局が中心となって「雇用に関する大統領諮問委員会」が組織され(1930年10月),雇用・失業統計の改善,充実化,とりわけ労働力方式の採用が検討された。これを契機に労働力方式による失業調査は,1933年以降の「ニューディール」政策の手段としての失業救済調査と救済失業の諸形態の研究,また各州・市の失業調査の過程で形成されていくことになった。
筆者は上記の解説を行った後,「「失業調査票」の企画・設計について」「合衆国センサスにおける「失業調査票」と失業分類について」「失業センサスの結果と評価について」と順に考察している。
「「失業調査票」の企画・設計について」では,調査票の設計をめぐって,合衆国センサス局と「アメリカ統計協会の政府労働統計に関する委員会」(以下,労働委員会と略)との間に見解の対立があり,筆者はそれを中心に調査票設計の概要を紹介している。具体的には,「失業センサスに関するセンサス諮問委員会」による失業調査票の提案,それに対する労働委員会の3つの批判論点の提示(①自営業者が対象に含められていること,②職業が通常パートタイムベースであるものが調査対象に含められていること,③調査時期が調査員訪問の一日前であることから生ずる問題),労働委員会による調査票案の対置と勧告,労働統計委員会の勧告の立場からのセンサス局提案への批判,センサス局による当初のプランの実施主張である。
「合衆国センサスにおける「失業調査票」と失業分類について」では,失業調査票と調査報告,調査員記入心得,失業調査票のためのコード化心得を中心に,失業調査の調査標識(調査項目)の基本的枠組みと諸規定(調査単位,調査標識の規定),その分類標識,分類方法が紹介されている。失業調査票の基本的調査標識は,「商務省センサス局第15回合衆国人口センサス:1930年失業調査票」にもとづく説明である(p.111)。注目すべきは,失業調査の結果にもとづく次の7つの基本的指標分類である。
クラスA:仕事がなく,かつ働くことができて,求職している者
クラスB:仕事をもっているが,給与なしのレイオフ者(病気か自発的失業の者は除く)
クラスC:仕事がなく,働くことができない者
クラスD:仕事をもっているが,病気か障害のために失業している者
クラスE:仕事がなく,求職していない者
クラスF:仕事をもっていが,給与なしの自発的失業
クラスG:仕事をもち,就業していないが(休暇など),給与の支払いを受けている者
「失業センサスの結果と評価について」では,調査結果(合衆国階級別・性別失業回答,特別調査区の性別失業階級[1931年1月]),失業センサスの概念と方法の問題点(失業センサスの企画・設計),調査項目(有業者の規定,失業者の規定と失業の階級分類)に関する主要論点の紹介がある。大規模に,多くの期待が寄せられて実施された失業センサスであったが,結局,この調査が失業者数を過小評価している,1930年失業センサスと1931年の失業特別調査との失業者数(同一の都市地域)に大きな乖離があるなどの問題点が指摘された。いきおい,10年ごとの人口センサスに付随させて,時々の経済状況によって変動する失業者の調査を行うこと,人口調査票と失業調査票を分離して運用することが適当でない,失業調査票の対象者となる者が調査員訪問の一日前の情報で左右されるのは妥当でない,失業センサスの調査標識(質問項目)は有業者,仕事の有無,失業(休業,離職)理由などの回答で,調査員と被調査者の間で主観的に判断され,裁量されてしまうことが多いなど,調査結果の正確性,客観性に疑問がよせられる結果となった。
本稿の内容は,以下のとおりである。
アメリカでは,1930年4月に失業センサスが実施された。具体的には,1930年4月の人口センサスに「失業調査票」が組み込まれる形態がとられた。
それまで,失業者に関する調査と言えば,センサスの調査票に失業項目を挿入する形で1880年センサスから初めて実施され,1890年センサス,1900年センサスに継承されていた。採用された方式は,有業者方式(平常に収入のある職業に従事している者)であった。しかし,この方法は,10歳以上の有業者に対して調査前年に失業していた月数を述べさせる質問で,その際,失業者,失業期間の規定が不明確だったがゆえに,調査に対する回答は非調査者の主観的判断に依存するケースが多く,その信頼性には幾多の疑問が投げ変えられた。この弊を改善する目的で,1930年人口センサスは,「人口センサス票」とともに「失業センサス票」をそなえ,失業調査が独自の課題として位置づけられた。採用された方式は従来と同様の有業者方式であったが,「調査員が訪問する前日の実際の失業」が調査されるようになり,この点で労働力方式への転換の契機が含まれていた。
このような失業センサスが実施されるまでには,どのようなプロセスがあったのだろうか。1930年の第15回合衆国人口センサスの企画・設計に際し,アメリカ上院「教育・労働委員会」は,アメリカの失業に関する公聴会を開催した。労働統計局長スチュアートは,公聴会の証言などにより,労働統計局の失業推計に不十分さが多くあることを認め,現実に存在する失業状態を把握するためにはアメリカ全体にわたる包括的な失業調査が必要であるとの認識から,1930年アメリカ人口センサスが失業センサスを抱き込んで実施されなければならないこと強調した。
当時,世界恐慌が資本主義諸国を震撼させていた。各方面からの大きな期待のなかで実施された上記の失業センサスの結果は,意に反して各界から厳しい批判を蒙った。それは有業方式にのっとって得られた調査結果が満足のいく成果を収めなったからであった。このような背景のなかで,労働統計局が中心となって「雇用に関する大統領諮問委員会」が組織され(1930年10月),雇用・失業統計の改善,充実化,とりわけ労働力方式の採用が検討された。これを契機に労働力方式による失業調査は,1933年以降の「ニューディール」政策の手段としての失業救済調査と救済失業の諸形態の研究,また各州・市の失業調査の過程で形成されていくことになった。
筆者は上記の解説を行った後,「「失業調査票」の企画・設計について」「合衆国センサスにおける「失業調査票」と失業分類について」「失業センサスの結果と評価について」と順に考察している。
「「失業調査票」の企画・設計について」では,調査票の設計をめぐって,合衆国センサス局と「アメリカ統計協会の政府労働統計に関する委員会」(以下,労働委員会と略)との間に見解の対立があり,筆者はそれを中心に調査票設計の概要を紹介している。具体的には,「失業センサスに関するセンサス諮問委員会」による失業調査票の提案,それに対する労働委員会の3つの批判論点の提示(①自営業者が対象に含められていること,②職業が通常パートタイムベースであるものが調査対象に含められていること,③調査時期が調査員訪問の一日前であることから生ずる問題),労働委員会による調査票案の対置と勧告,労働統計委員会の勧告の立場からのセンサス局提案への批判,センサス局による当初のプランの実施主張である。
「合衆国センサスにおける「失業調査票」と失業分類について」では,失業調査票と調査報告,調査員記入心得,失業調査票のためのコード化心得を中心に,失業調査の調査標識(調査項目)の基本的枠組みと諸規定(調査単位,調査標識の規定),その分類標識,分類方法が紹介されている。失業調査票の基本的調査標識は,「商務省センサス局第15回合衆国人口センサス:1930年失業調査票」にもとづく説明である(p.111)。注目すべきは,失業調査の結果にもとづく次の7つの基本的指標分類である。
クラスA:仕事がなく,かつ働くことができて,求職している者
クラスB:仕事をもっているが,給与なしのレイオフ者(病気か自発的失業の者は除く)
クラスC:仕事がなく,働くことができない者
クラスD:仕事をもっているが,病気か障害のために失業している者
クラスE:仕事がなく,求職していない者
クラスF:仕事をもっていが,給与なしの自発的失業
クラスG:仕事をもち,就業していないが(休暇など),給与の支払いを受けている者
「失業センサスの結果と評価について」では,調査結果(合衆国階級別・性別失業回答,特別調査区の性別失業階級[1931年1月]),失業センサスの概念と方法の問題点(失業センサスの企画・設計),調査項目(有業者の規定,失業者の規定と失業の階級分類)に関する主要論点の紹介がある。大規模に,多くの期待が寄せられて実施された失業センサスであったが,結局,この調査が失業者数を過小評価している,1930年失業センサスと1931年の失業特別調査との失業者数(同一の都市地域)に大きな乖離があるなどの問題点が指摘された。いきおい,10年ごとの人口センサスに付随させて,時々の経済状況によって変動する失業者の調査を行うこと,人口調査票と失業調査票を分離して運用することが適当でない,失業調査票の対象者となる者が調査員訪問の一日前の情報で左右されるのは妥当でない,失業センサスの調査標識(質問項目)は有業者,仕事の有無,失業(休業,離職)理由などの回答で,調査員と被調査者の間で主観的に判断され,裁量されてしまうことが多いなど,調査結果の正確性,客観性に疑問がよせられる結果となった。