雀庵の「常在戦場/18 米中激突ありやなしや」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/304(2021/5/21/金】昨日は菩提寺・真言宗豊山派の護摩法要と墓参りに行ってきた。護摩法要は相変わらずチンプンカンプンで、日本語に翻訳すればいいのにと思っていたが、そもそもお釈迦さまの教えはオリジナルのパーリ語やサンスクリット語でもとても難解で、その漢語訳からさらに日本語訳にしても尚更に凡人では歯が立たないようだ。豊山派のサイトから。
<仏教もそのはじめ、釈尊(ゴータマ・シッダッタ、お釈迦さま)はブッダガヤー(聖地、仏陀伽耶)の菩提樹のもとで悟りを開かれた後、この教えはあまりに難しいので誰も理解できないだろうと考えて、人々への説法を躊躇された。そのとき梵天(古代インドの神ブラフマー、世界の創造主)が現れ、その勧めによって釈尊は人々のために布教の旅に出る。
ブッダガヤーから250キロほど離れたベナレスの郊外サールナートの“鹿の園”で、5人の修行者に会い、釈尊は最初の説法を行う。いわゆる「初転法輪」で、釈尊は彼らに中道・四諦・八正道・無我・縁起等を説かれたという。
ほどなくコーンダンニャが悟った。彼に「法の眼」が生じ、「知恵」と「光明」が生じた。釈尊は「実に君よ。コーンダンニャは理解した(知った、悟った)のだ、コーンダンニャは理解したのだ」と言われたという。今までモヤモヤしていた頭に、まったく新しい光明が生じ、確固としたものがひらめいたのである。ほどなく他の4人の修行者も悟った>
お釈迦さま自身が「難しいから理解できる人はまずいないかもしれない」と思っていたらしい。分かりやすく説くことができない。相対性理論のように学者でも戸惑う“異次元的な哲学”だったのだろう。小生も般若心経に何回か挑戦したが、もうほとんど歯が立たない、チンプンカンプン、ギブアップ。
摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是・・・
(まかはんにゃはらみつたしんぎょう かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
原文は釈迦の故郷のパーリ語か、広域で通用していたサンスクリット語だろう。サンスクリット語を支那の鳩摩羅什が漢訳し、それが日本に伝わった。サイト「甚之助の小屋」から。( )内は修一。
<般若心経には「大本」と「小本」の二種類が伝わっているが、今回は日本でメジャーな「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多~」で始まる「小本」のサンスクリット原典からの訳出を試みたい。原典は一般的に基準として採用されることの多い中村元校訂のテキストを用いる。
「全ての行者に敬礼する。聖なる観自在菩薩(世界を自在に見渡そうと努力する釈迦)は悟りを開くべく深い修行を行っていた時、人は五種の要素(五蘊、色/客観的なもの=物質と、受・想・行・識/主観的なもの=精神)からなることを見極め、その本質を「空」なるものと洞察した。
シャーリプトラ(釈迦の高弟の一人)よ、この世界におけるすべての物質現象は実体のないもの=空であり、実体のないものこそこの世で物質現象として成立するのだ。形あるものは空なることと別ではなく、空なることも形あることと別ではない。実体のあることがそのまま実体のないことであり、実体のないことがそのまま実体のあることなのだ。感覚、表象、意志作用、判断や記憶もまさしく同じである」>
漢訳よりはるかに分かりやすいが、それでも難しい。「空」とは、あらゆるものは生成され、やがて消滅する、その繰り返しであり、即ち不変的・絶対的な実体ではない。それを悟り、その心(菩提心)をもって、我欲に惑わされず、仲良く、穏やかに暮らしなさい、ということだろう。
餅は餅屋、お坊さんや研究者の説明を聞いて、「そういうことなのか」と判断するしかないが・・・凡人はざっくりキモを知って、良い教えを人生に活かせばいい、難しい原理が分からなくても使いこなせばいい、ということかもしれない。そういう凡人の安直な心は往々にして萎えやすいから、たまにでもいいから天や神々、仏様、ご先祖様に手を合わせてリフレッシュ、原点復帰する・・・これがお勧めです、と(いずこの宗教も)年中行事があるのだろう。
小生は「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」を心掛けているが、老・病・死をすんなり受け入れられるかどうかは自信がない。「従容として死につく」なんていう言葉があるが、コロナなど感染恐怖症みたいな人が結構いるようだ。感染病といえば鴎外の「渋江抽斎」を思い出した。
<安政5(1858)年7月から9月に至るまで(江戸と周辺は)コレラが流行した。徳川家定は8月2日に「少々体調勝れず」であったが、8日にはたちまち薨去の公報が発せられた。
(津軽藩士として江戸城御殿医を勤めていた)抽斎はその頃、妻の五百(いお)にこういう話をした。「俺は公方様の喪が済み次第、公儀へ召されることになるそうだ。しかし、それをお受けするには、津軽家を辞せんではいられない。俺は元禄以来重恩の主家を捨てて栄達をはかる気にはなれぬから公儀の方を辞するつもりだ。それには病気を申し立てるが、それでは津軽家の方で勤めていることもできない。俺は隠居することに決めた」
8月22日に抽斎は常の如く晩餐の膳に向かった。しかし五百が酒をすすめた時、刺身に箸をつけなかった。「なぜ上がらないのです」と問うと、「少し腹具合が悪いから止そう」と言った。
翌23日は津軽藩浜町中屋敷の当直の日であったのを所労をもって辞した。この日に初めて嘔吐があった。それから27日に至るまで諸証は次第に険悪になるばかりであった。友人、知人の医師が病床に侍して手を尽くしたが功を奏せなかった。
28日に小康を得た。遺言の中に、かねて嗣子と定めてあった成善(七男しげよし、この年に生まれたばかり)を教育する方法があった。
28日の夜丑の刻に抽斎はついに絶息した。すなわち29日午前2時である。54歳であった。遺骸は谷中感応寺に葬られた。
五百の姉の婿は一か月前の7月20日に同じ病を得て没した。姉妹は同時に未亡人となった>
当時は空気中はもとよりあちこちに病原菌がうようよしていることがようやく分かり始めた時期である。抽斎没4年後の文久2年(1862)に江戸幕府は洋書調所に命じて『疫毒預防説(えきどくよぼうせつ)』を刊行させた。オランダ医師のフロインコプスが記した『衛生全書』の抄訳本で、「身体と衣服を清潔に保つ」「室内の空気循環をよくする」「適度な運動と節度ある食生活」などを推奨している(土師野幸徳氏/ニッポンドットコム)。土師野はこうも指摘している。
<100万人以上が暮らす世界最多の都市人口だった江戸の町に、コレラの脅威が及んだのは安政5(1858)年。感染源はペリー艦隊に属していた米国艦船ミシシッピー号で、中国を経由して長崎に入った際、乗員にコレラ患者が出たと伝わる。
この年に、日米修好通商条約を含む5カ国との不平等条約が結ばれ、鎖国政策を続けて来た日本では国民に不安が広がっていた。外国から伝来した感染症の流行が重なり、大きな恐怖心を生んだことが想像できる。
江戸の死者数は約10万人とも、28万人や30万人に上ったとも記録が残り、浮世絵師・歌川広重も命を落とした。コレラは当時の物流の中核だった廻船によって、東北などの港町にも運ばれた。江戸の死者数のピークが安政5年だったために流行年とされるが、翌年の被害の方が甚大だった地域も多い>
米国と支那のコラボは最初から災いをもたらしたようで・・・距離を置かないとひどい目に遭いそうだ。
中共由来の天変地異的「コロナウイルス禍」と、中共・習近平が煽っている「第3次世界大戦」的な戦争危機・・・偶然かどうか。
文化大革命(1966年)と中ソ国境紛争(1969年)は毛沢東が内政における復権、国際社会(特に共産圏)における権力基盤確立を狙ったものだ。緊張を煽って政敵を叩き、国民の支持を得るガラガラポン、「尊毛攘異」政策。これが毛沢東流で、毛沢東に憧れる習近平は開戦のタイミングをうかがっているだろう。戦争巧者の米英は習近平に最初の一発を撃たせるつもりかどうか・・・
リビアのカダフィ大佐が2011年に内戦?で殺された時、小生は「カダフィはパフォーマンスでずいぶん荒っぽい感じがしたが、ここ数年は穏やかになってきたのに・・・なぜなんだろう」と不思議に思ったが、外務省もずいぶん困惑、がっかりしているようだ。
<リビアはアフリカ第1位(世界第9位)の原油埋蔵量(約483億バレル)を誇る資源大国であるが,2011年の内戦の影響により,内戦前には一時期300万BD(バレル/日)あった原油生産量は,2017年には約40万BDと最盛期の約1/8に落ち込んでいる。
2019年4月に始まったトリポリ南部を中心とする軍事衝突により,トリポリを中心に頻繁に停電や断水が発生している模様であり,経済活動や市民生活にも大きな影響を与えている>
カダフィは旧植民地を手なづける欧米式秩序(旧宗主国へ依存させ発展を阻害する)に反発して成功したため、欧米に排除されたという説もある。習近平・中国との戦いでも海千山千の戦争巧者である米英、特に米国民主党は何をするか分からないから、日本は米国への警戒を怠ってはならない。民主党はカネで転ぶ、嘘をつく、危険なゴロツキだということを一瞬でも忘れてはならない。
前門の狂犬狼、後門のガラガラヘビ、この2匹を咬み合わせ、共に消耗させられたら世界は結構安全になるだろう。米中激突ありやなしや? 激突がなければ新冷戦、中共包囲戦になるが、米中はともに存在感が薄くなり、アジアの安定にはEUとかNATOのような機構が必要になる。
識者には米中後のアジアの青写真、工程表を考えて欲しい。学術会議の先生たちも頑張って、汚名をそそぐチャンスにしてね。「君たちはどう生きる」、コペル君みたいに逃げたらアカンで。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
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“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/304(2021/5/21/金】昨日は菩提寺・真言宗豊山派の護摩法要と墓参りに行ってきた。護摩法要は相変わらずチンプンカンプンで、日本語に翻訳すればいいのにと思っていたが、そもそもお釈迦さまの教えはオリジナルのパーリ語やサンスクリット語でもとても難解で、その漢語訳からさらに日本語訳にしても尚更に凡人では歯が立たないようだ。豊山派のサイトから。
<仏教もそのはじめ、釈尊(ゴータマ・シッダッタ、お釈迦さま)はブッダガヤー(聖地、仏陀伽耶)の菩提樹のもとで悟りを開かれた後、この教えはあまりに難しいので誰も理解できないだろうと考えて、人々への説法を躊躇された。そのとき梵天(古代インドの神ブラフマー、世界の創造主)が現れ、その勧めによって釈尊は人々のために布教の旅に出る。
ブッダガヤーから250キロほど離れたベナレスの郊外サールナートの“鹿の園”で、5人の修行者に会い、釈尊は最初の説法を行う。いわゆる「初転法輪」で、釈尊は彼らに中道・四諦・八正道・無我・縁起等を説かれたという。
ほどなくコーンダンニャが悟った。彼に「法の眼」が生じ、「知恵」と「光明」が生じた。釈尊は「実に君よ。コーンダンニャは理解した(知った、悟った)のだ、コーンダンニャは理解したのだ」と言われたという。今までモヤモヤしていた頭に、まったく新しい光明が生じ、確固としたものがひらめいたのである。ほどなく他の4人の修行者も悟った>
お釈迦さま自身が「難しいから理解できる人はまずいないかもしれない」と思っていたらしい。分かりやすく説くことができない。相対性理論のように学者でも戸惑う“異次元的な哲学”だったのだろう。小生も般若心経に何回か挑戦したが、もうほとんど歯が立たない、チンプンカンプン、ギブアップ。
摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是・・・
(まかはんにゃはらみつたしんぎょう かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
原文は釈迦の故郷のパーリ語か、広域で通用していたサンスクリット語だろう。サンスクリット語を支那の鳩摩羅什が漢訳し、それが日本に伝わった。サイト「甚之助の小屋」から。( )内は修一。
<般若心経には「大本」と「小本」の二種類が伝わっているが、今回は日本でメジャーな「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多~」で始まる「小本」のサンスクリット原典からの訳出を試みたい。原典は一般的に基準として採用されることの多い中村元校訂のテキストを用いる。
「全ての行者に敬礼する。聖なる観自在菩薩(世界を自在に見渡そうと努力する釈迦)は悟りを開くべく深い修行を行っていた時、人は五種の要素(五蘊、色/客観的なもの=物質と、受・想・行・識/主観的なもの=精神)からなることを見極め、その本質を「空」なるものと洞察した。
シャーリプトラ(釈迦の高弟の一人)よ、この世界におけるすべての物質現象は実体のないもの=空であり、実体のないものこそこの世で物質現象として成立するのだ。形あるものは空なることと別ではなく、空なることも形あることと別ではない。実体のあることがそのまま実体のないことであり、実体のないことがそのまま実体のあることなのだ。感覚、表象、意志作用、判断や記憶もまさしく同じである」>
漢訳よりはるかに分かりやすいが、それでも難しい。「空」とは、あらゆるものは生成され、やがて消滅する、その繰り返しであり、即ち不変的・絶対的な実体ではない。それを悟り、その心(菩提心)をもって、我欲に惑わされず、仲良く、穏やかに暮らしなさい、ということだろう。
餅は餅屋、お坊さんや研究者の説明を聞いて、「そういうことなのか」と判断するしかないが・・・凡人はざっくりキモを知って、良い教えを人生に活かせばいい、難しい原理が分からなくても使いこなせばいい、ということかもしれない。そういう凡人の安直な心は往々にして萎えやすいから、たまにでもいいから天や神々、仏様、ご先祖様に手を合わせてリフレッシュ、原点復帰する・・・これがお勧めです、と(いずこの宗教も)年中行事があるのだろう。
小生は「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」を心掛けているが、老・病・死をすんなり受け入れられるかどうかは自信がない。「従容として死につく」なんていう言葉があるが、コロナなど感染恐怖症みたいな人が結構いるようだ。感染病といえば鴎外の「渋江抽斎」を思い出した。
<安政5(1858)年7月から9月に至るまで(江戸と周辺は)コレラが流行した。徳川家定は8月2日に「少々体調勝れず」であったが、8日にはたちまち薨去の公報が発せられた。
(津軽藩士として江戸城御殿医を勤めていた)抽斎はその頃、妻の五百(いお)にこういう話をした。「俺は公方様の喪が済み次第、公儀へ召されることになるそうだ。しかし、それをお受けするには、津軽家を辞せんではいられない。俺は元禄以来重恩の主家を捨てて栄達をはかる気にはなれぬから公儀の方を辞するつもりだ。それには病気を申し立てるが、それでは津軽家の方で勤めていることもできない。俺は隠居することに決めた」
8月22日に抽斎は常の如く晩餐の膳に向かった。しかし五百が酒をすすめた時、刺身に箸をつけなかった。「なぜ上がらないのです」と問うと、「少し腹具合が悪いから止そう」と言った。
翌23日は津軽藩浜町中屋敷の当直の日であったのを所労をもって辞した。この日に初めて嘔吐があった。それから27日に至るまで諸証は次第に険悪になるばかりであった。友人、知人の医師が病床に侍して手を尽くしたが功を奏せなかった。
28日に小康を得た。遺言の中に、かねて嗣子と定めてあった成善(七男しげよし、この年に生まれたばかり)を教育する方法があった。
28日の夜丑の刻に抽斎はついに絶息した。すなわち29日午前2時である。54歳であった。遺骸は谷中感応寺に葬られた。
五百の姉の婿は一か月前の7月20日に同じ病を得て没した。姉妹は同時に未亡人となった>
当時は空気中はもとよりあちこちに病原菌がうようよしていることがようやく分かり始めた時期である。抽斎没4年後の文久2年(1862)に江戸幕府は洋書調所に命じて『疫毒預防説(えきどくよぼうせつ)』を刊行させた。オランダ医師のフロインコプスが記した『衛生全書』の抄訳本で、「身体と衣服を清潔に保つ」「室内の空気循環をよくする」「適度な運動と節度ある食生活」などを推奨している(土師野幸徳氏/ニッポンドットコム)。土師野はこうも指摘している。
<100万人以上が暮らす世界最多の都市人口だった江戸の町に、コレラの脅威が及んだのは安政5(1858)年。感染源はペリー艦隊に属していた米国艦船ミシシッピー号で、中国を経由して長崎に入った際、乗員にコレラ患者が出たと伝わる。
この年に、日米修好通商条約を含む5カ国との不平等条約が結ばれ、鎖国政策を続けて来た日本では国民に不安が広がっていた。外国から伝来した感染症の流行が重なり、大きな恐怖心を生んだことが想像できる。
江戸の死者数は約10万人とも、28万人や30万人に上ったとも記録が残り、浮世絵師・歌川広重も命を落とした。コレラは当時の物流の中核だった廻船によって、東北などの港町にも運ばれた。江戸の死者数のピークが安政5年だったために流行年とされるが、翌年の被害の方が甚大だった地域も多い>
米国と支那のコラボは最初から災いをもたらしたようで・・・距離を置かないとひどい目に遭いそうだ。
中共由来の天変地異的「コロナウイルス禍」と、中共・習近平が煽っている「第3次世界大戦」的な戦争危機・・・偶然かどうか。
文化大革命(1966年)と中ソ国境紛争(1969年)は毛沢東が内政における復権、国際社会(特に共産圏)における権力基盤確立を狙ったものだ。緊張を煽って政敵を叩き、国民の支持を得るガラガラポン、「尊毛攘異」政策。これが毛沢東流で、毛沢東に憧れる習近平は開戦のタイミングをうかがっているだろう。戦争巧者の米英は習近平に最初の一発を撃たせるつもりかどうか・・・
リビアのカダフィ大佐が2011年に内戦?で殺された時、小生は「カダフィはパフォーマンスでずいぶん荒っぽい感じがしたが、ここ数年は穏やかになってきたのに・・・なぜなんだろう」と不思議に思ったが、外務省もずいぶん困惑、がっかりしているようだ。
<リビアはアフリカ第1位(世界第9位)の原油埋蔵量(約483億バレル)を誇る資源大国であるが,2011年の内戦の影響により,内戦前には一時期300万BD(バレル/日)あった原油生産量は,2017年には約40万BDと最盛期の約1/8に落ち込んでいる。
2019年4月に始まったトリポリ南部を中心とする軍事衝突により,トリポリを中心に頻繁に停電や断水が発生している模様であり,経済活動や市民生活にも大きな影響を与えている>
カダフィは旧植民地を手なづける欧米式秩序(旧宗主国へ依存させ発展を阻害する)に反発して成功したため、欧米に排除されたという説もある。習近平・中国との戦いでも海千山千の戦争巧者である米英、特に米国民主党は何をするか分からないから、日本は米国への警戒を怠ってはならない。民主党はカネで転ぶ、嘘をつく、危険なゴロツキだということを一瞬でも忘れてはならない。
前門の狂犬狼、後門のガラガラヘビ、この2匹を咬み合わせ、共に消耗させられたら世界は結構安全になるだろう。米中激突ありやなしや? 激突がなければ新冷戦、中共包囲戦になるが、米中はともに存在感が薄くなり、アジアの安定にはEUとかNATOのような機構が必要になる。
識者には米中後のアジアの青写真、工程表を考えて欲しい。学術会議の先生たちも頑張って、汚名をそそぐチャンスにしてね。「君たちはどう生きる」、コペル君みたいに逃げたらアカンで。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
メルマガID 0001690154「必殺クロスカウンター」