グルーヴな感じ

日記だよ

動く方向をみつける

2006年09月16日 01時25分21秒 | [人間界] ボディワーク
今日は、今期のアロマセラピスト実技クラスの最終授業。
アロマセラピストというかボディワーカーとしての心構えみたいな話をして、
その後、肩甲骨周辺のワークをおこなった。
相手の肩甲骨の動きを観察、
その後、セラピスト役の人がクライアント役の人の肩甲骨を
動かしてみるワークをおこなった。
触れてみて、肩甲骨が動きたい方向、動きたくない方向を感じてみよう!
というワーク。
それは、なんの役に立つのか、もしかすると、
みんな理解していなかったかもしれないけれど、
何かを感じとっていてくれたら嬉しい。

ボディワークという言葉は乱用されている。
身体教育(ソマティック・エディユケーション)的なものが、
そう呼ばれていたはずが、最近では何でもかんでも、
ボディワークと使われている。

気づきをもたらすことなく、ただ、症状が良くなった、楽になった
というだけのセッションは、セラピーとしては
当面の問題が解決したので成功かもしれないけれど、
本人が学習してなければ、身体教育にはならない。

肩甲骨を動かす時にも、構造的に考えて、
こっちに動くはずだ、といって無理やり動かす。
そうすると、確かに動いて、筋肉が緩む。
でも、それだけでは気づきにいたらなかったりする。
気づきがなければ、また、同じパターンを繰り返す。

こっちには動きたそうだなとか、こっちは嫌いそうだなというのを一緒に探る。
何かを無理強いしたり、こうあるべきだということを押し付けない。
ただ、よりそい、共にあるということは、そういうことだ。

この、「ただ」が難しい。
でも、確かにそのまま相手を感じてともにいると、
ある方向に動き出したり、ちょうどいい位置に関節が収まり、
カラダのつながりを取り戻し、突然、呼吸が深くなったりする。

たぶん、カラダがそうだから、ココロもそうなんだと思う。

私は心と体のつながりに関心があった。
カラダのほうが、動きや姿勢など、現実的にその人のありようが
目に見える形で示されている感じがするので、
メンタルのほうではなく、ボディワークのほうをつい選んでしまった。

でも、やっぱり、両方繋がっていて、
双方突き詰めていくと、同じところにたどり着くような気がしている。
パーマカルチャー友だちで心理のほうをやっている
kotaroさんのブログを読んで、やっぱりな、と思った。




最新の画像もっと見る