Ecological Medicine

Earth Spiralのブログ

にんげんだもの葛藤したっていいじゃない。

2017-01-13 14:56:56 | 日記的な
人間とは、自分の中の光と闇の戦いの戦場であり、
その葛藤から調和を見出すものである。

なんだかスターウォーズみたいだけれど、
人間の中では二つの対極のものがいつも闘っている。

いにしえのいわれの中に於いては、
形態(物質界、肉体)と生命(霊的な存在)が
対極のものとしてみられている。

この、二つの対極性は、
「人間の困難でもあるし、栄光でもある」、
『秘教心理学』という本の中で、
マスター・ジュアルクール(JK)は
そのように言っている。

「にんげんだもの、葛藤したっていいじゃない」

肉体のみがリアリティだと思っていたが、
ある時、どこからともなく、「こっちだよ~」と
ささやき声が聞こえる。

生命の本質の中には、、
光に向かおうという種が既に組み込まれている。
植物たちのように。

そして、光に向かおうとするからこそ、
葛藤するといってもいい。

「世界はひとつなのです、
愛がすべてなのです、
あなたはあなたのままでいいのです、
光に向かって進みなさい…」

スピリチュアル業界では、
こういった言葉が安直に飛び交う。

しかし、闘いはここからはじまる。
ワクワクしてばかりはいられない。

でも、己とは、
肉体と魂のバトルフィールドである。
それを知っていれば、
ヨーダを見つけることも出来よう。

人は皆、創造力を持っている。
知恵と現実を切り開く力を持っている。
人間てめんどくさ、
ニャンコ先生や植物といる方がいいじゃん!
とよく思うけれど、
人間が持つその力だけは信じている。

そして、いつもスターウォーズが
自分の中で繰り広げられいる。
そして、みんなの中でも
同じように繰り広げられている。

闇の世界を光が満たすまで続いていく。
いつまで続くんだろうにゃ…。



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裏から表をみる

2017-01-13 00:10:24 | 日記的な
今年のお仕事の計画を考えていると、
ボディではなくエネルギーに完全に
シフトしていることに気づいた。

長い間ボディワーカーのアイデンティティが
貼りついているので、なかなか、
受け入れがたいと思う自分がいたようです。
(ある意味、それがびっくりだ)

今までは、見えているもの、
カラダや自然界や、五感で感じるものを
じっくりと感じた時に垣間見れる
背後にある力を探索してきた。

しかし、いつの間にか、
自分の中では
背後にあるものの方に
リアリティの感覚が
シフトしていることに気づいた。

遠慮がちに表から覗いていたけれど、
堂々と、裏側から表を見ることを
自分で良しとすることにする。

磐梯山だって表もいいけど、
裏の方が好きなのだ。






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椎名林檎『青春の瞬き』@紅白2016~過ぎ去る時代へのレクイエムだと思った件

2017-01-07 23:56:13 | 日記的な


うちはテレビがありませんので、
SNSで友達がシェアしてくれたもので、
椎名林檎さんの紅白でのパフォーマンスを見ました。

参考:紅白歌合戦2016 椎名林檎のステージがカッコ良過ぎる 青春の瞬き FROM TOKYO 2020

動画

2020年の東京オリンピックに向けて、
日本のクールジャパンのアピール的な側面もありつつ、
プロジェクションマッピングといい、喪服っぽい衣装といい、
なんでも東京事変のメンバー復活だそうで、
私はよくわからないけど、ファンにはたまらない演出であり、
隅から隅までクールなパフォーマンスだと思った。

そうした諸々の細かいことが解らない自分にとっては、
ひとことで言えば、過ぎ去る時代へのレクイエムに思え、
何度も繰り返し見てしまいました。

スマップ解散に対して贈る歌じゃないかとかなんとか、
とネットで書いている人もいました。
スマスマの共演でこの曲を歌っていますしね。
そして、2016年、多くのアーティストが亡くなった。
デビッド・ボウイやプリンスなどなど。

「美しさと正しさが等しくあると
疑わないでいられるのは若さゆえなんだ」

そして

「時よとまれ何一つ変わってはならないのさ
今まさに僕らめざしていた場所へたどり着いたんだ」

この歌詞がとても印象に残ります。

戦後の日本に当てはめてみると、高度経済成長、
そのさなかに1964年の東京オリンピックがありました。
その頃は、これで世界は良くなるという
疑わない何かが世の中にあったはず。

そして、今の世界は、
「まさに、目指していた場所に辿りついたんだ」
ですが、実際の結果はどうなのでしょう。
その言葉の裏には
「目指していた場所に辿りついたけど、
それで良かったのか?」
意味が含まれているように感じます。

と同時に、
「これで良くなると思ったのに、
どうしてこんな結果になったんだ」
という、やるせなさもあり。

そのようなことが、
様々な次元で起きているのが、
今の世界なのではないかな。
地球レベルでも、日本レベルでも、
スマップレベルでも。
そして自分レベルでも。

ゴタゴタがありながらも、
2020年の東京オリンピックに向けて
進んでいく世界。

多くの問題を置き去りにしてそんなことでいいのか?という声と、
経済成長!前向きに行かなくてどうする!という声。

衣装は喪服に見えるけど、半襟に鶴が描かれているところなどは、
喪の中にも、祝福的な要素も含んでいたりと、
細部を見て、シンボリズム的な解釈をすればするほど、
よくできた作品と思ってしまいました。
(いちおう、祝いの場としての誂えらしい⇒解説

しかし、何度も繰り返し見てしまう理由としては、
そこから感じられる感覚であることに気づきました。

それは、そんなこんなも含めて、
慈愛を持って見送ることが出来るような感覚です。

それぞれが掲げてきた正義の旗も、
無自覚に共有された共同幻想も、
「実は何か違ったんだ」という気まずい雰囲気も、
受け入れがたい感覚も
すべてを巻き込み、何かの境界を超えていくような。

まさに、「若気の至りでバカだったな~」
という感じで、慈しみを込めて、否定もせず、
その時代に敬意を表して見送るような感じかな。

もし、なにかが終わったとして次に進んでいくとしたならば、
早速、誰かが勝ち誇ったかのように、新しい旗を掲げるならば、
結局同じことを繰りかえすような気がする今日この頃。

あぁ、必要なのは「こういう感覚」だな、
という風に感じたところが、
何度も繰り返してみてしまう理由でした。

「こういう」についてははっきり言語化しがたいので、
もうちょっと、寝かせてみたいと思います。

勝手にいろいろ書いていますが、お作りになっている方々は、
どこまで意識されているかわからないですけどね。
もしも、「そんなところまでは考えてないよ~」
って感じだったとしても、それは、アーティストとして
時代のスピリットに作らされた、
といってもいいのかもしれません。


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最近またブログを書き始めた理由

2017-01-07 15:37:02 | 日記的な
このブログも2006年から書いているので
もう10年にもなる。すごいもんだ。

その前に書いていたのが2004年からはじめているが、
その頃、ブログというものが流行りはじめた頃だ。

しゃべることで自分の考えを整理するようなところもあったので、
ブログを書くっていうのは、なかなか良かった。

たぶん、これが普通に日記だったら、人を意識せず、
自分の書きたいことを書き連ねるだけなので、
あまり、まとまった形にできなかったように思う。

かといって、凄く読む人を意識するかというとそうでもない。
「誰か見るかもしれないので、ある程度かたちにしいとくか」
ぐらいの感じで、人にも分かるように書く努力をする。

自分と、読むかもしれない人の距離感がちょうど良かった。
だから、私はわりとブログをマメに書いていた。

ブログの次に始めたのはミクシーが先だったかツイッターだったか?

ミクシーはほんとに実際に会ったことがある友だちだけと繋がり、
コミュニケーションをするのが楽しかった。
離れていても何してるかな?とかわかるし。

ツイッターは、訳が分からなかったけど、
これは、仕事に出かけている旦那さんに、
うちのニャンコ情報を逐一お知らせするために
使い始めたのがきっかけ。

生後1か月ぐらいで2匹でやってきて、
毎日面白いことをするので、誰かと分かち合いたいけど、
旦那は仕事だし、それについていちいちメールが来ても
うざいと思うので、手が空いた時にちょっと見れるように、
ってのは、ツイッターが都合がよかった。

というわけで、それぞれのツールをいい感じで使っていたのだが、
フェイスブックを使い始めることで、なんだかぐちゃぐちゃになった。
フェイスブックのせいではなく、3.11があったからだと思う。

3.11後の情報収集などには、ツイッターがいちばんだった。
友だちの様子などはミクシー見たりツイッター見たり。
フェイスブックは、震災後のイベントを開催する時に、
一緒に主催した友人がイベントページを作ってくれて、
そのために、毎日チェックが必要になり、
なんとなく使い始めたような感じ。

そして、そこで流れてくる膨大な量の情報、
特に震災、原発、放射能関係の情報、
それにとにかく2011年は翻弄された。

そこで、多くの情報を見て、
ガセネタかどうかを判断し、
どこのどなたさまの発言かをチェックし、
どだけの情報を精査してきたか。

おかげさまで、流れてくる情報が
どれぐらい信頼度があるのかは
直観でわかるようになってきた。

そして、原発被災県に住むものとして、
全体の中で自分はマイノリティとなった。

そこから発信する情報だからこそ、
耳を傾けてもらえたり、
逆に疎まれたりしていただろう。

被災地から正義を叫び続けることもできたかもしれないけれど、
ある時に、もう、そういう時代は終わったような気がした。
そんなことしても世の中変わらない、という絶望感もあった。

そしたらもう、自分が発信できることなど何もなくなった。
発信するにしても、当たり障りのない事ばかり。
日常の出来事をちょっとつぶやいたり、
思ったことを当たり障りなく書いてみたり。
正義を振りかざしたり、毒をはいたら
誰かが傷つくこともわかるし、
そんなことをして憂さ晴らししても
何も意味がないこともわかる。

でも、何か自分はここにいるということを
発信し続けていかないといけないという
強迫観念もあったかもしれない。

自分はどこに向かって進んでいるのか?
何か、自分の向かう方向を決めても、
また、それが破壊され失われるのではないか?
何か目に見える形をつくってもそれがなんなのだ?

そう思ったら、何も表現できることがなくなってしまった。

でも、SNSは悪い事ばかりでもないから、
なんとなくダラダラと使っている。

しかし、10年以上前に、ブログに思ったことを
自由に書いていた自分はいつの間にかいなくなっていた。

文章を書き、自分の思ったことを整理し、
それが自分の気づきにも繋がったり、
大事なことを伝えるものになったりしていた
そんなふうに文章を書く自分はいなくなっていた。

自分が表現しきれたと思う文章を
そろそろもう一度ちゃんと書きたいと思った。

短くすっきりとした文章を書きたい時もあるけれど、
別に誰も読んでくれなくてもいいので、
自分の思考のプロセスをそのまま書きたい時もある。

それから、311からもうすぐ7年になるけれど、
あの崩壊から、新しい何かが
自分の中で少し芽生えつつあるのかもしれない。

「新たな始まりのために楽園に終わりがやってくる」

これはタロットカードのLoversの解説にあった一節。
アダムとイブは蛇にそそのかされて
なんかの実を食べて楽園を追放された。
楽園の終わりは地獄ではない。

自分の中の、3.11と重なる気がした。







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背中とか痛いんですけど~身体感覚日記

2017-01-07 14:51:46 | 日記的な
昔は身体感覚日記をよく書いてたけど、
久しぶりに書きます。
長いし、個人的感覚なので、
読んでもよくわからないと思います。

私の場合、カラダの痛みは右側にでてきます。
フェルデンクライスメソッドのトレーニング中に、
それはだんだんと移動してきて、
その都度の細かい変化を書いたら、
1冊の本が書けるのではないかという感じ。

股関節から始まる右側の痛みは徐々に上に移動して、
最近では肩、首、頭という嫌な場所。

だいたい、フェルデンクライスメソッドで、
痛みや不都合なところは対応してきたけれど、
ある時から、これはもっと
微細なところからアプローチしないと…
って思った時に、
エソテリックヒーリング
ワークショップに参加する機会を得ました。

その時の状態は、だいたいこうです。

中学生の時に手術した盲腸の手術跡、
その周辺、筋肉なのか筋膜なのか、
そこが緊張していて、
周囲のものを引っ張っているような
感覚がありました。

ヒーリングを学ぶ前だったのですが、
瞑想でそのあたりをイメージして、
意識を盲腸、組織、細胞、原子と
小さいところにもぐっていくようにすると、
ふっと、壁から別な次元に移動するような
感覚がありました。

「あら、これって、行ったり来たり出来るの?」
という感じで、楽しくなって、
盲腸周辺を意識する瞑想を時々やりました。
そうすると、痛みがなくなって調子いいんです。

その後、ヒーリングのトレーニングもうけて、
自分のケアは、だいたいフェルデンクライスか
エソテリックヒーリングでしています。

でも、私にとっては、双方とも
どこにアウェアネスを向けるかの違いで
ボディからエネルギーに意識を延長した感じです。

濃密な肉体から、さらに微細なエネルギー体へという感じ。
人間の意識ってどこまでも行けるから面白いなと思います。
そういう意味で、人間って自由なのです。
細かいこと言ったら、いろいろあるけれど、
基本、自由なのです!

そんなこんなで、最近の痛いところは、右の背中~肩、首、頭。
おまけに、右の背中全体が、なんだかねじれているし、
背中はむしろ痛いというよりは、おかしい。
緊張してる感じは解るけど、抜き方がわからない。
とくに、PCに向かって調べものをしたり、
資料つくったり、こんなことやってるとよけいに。

昨日は、ちょっと資料づくりやると
頭が痛くなって、何もする気が起きない状態で
大丈夫か自分?って感じでした。

エネルギーヒーリングも
ちょっと調子悪いぐらいだとセルフで可能ですが、
昨日ばかりは、セルフヒーリングどころではない感じ。

そんな時は、何が登場するかというと、
ディーバさんたちと植物さんたちです!
ラベンダーとセントジョンズワートオイル。
それで、変な緊張と痛みは和らいで、
ちゃんと寝ることができました。
ありがとう。

今朝は、昨日のような辛さもなくスッキリ。
ちゃんと、遠隔のヒーリングセッションの
お仕事もやりました。

そして、さっきPCに向かったら、
背中の腰椎の右あたり、
いつも、違和感を感じるけれど、
モヤモヤしていて、
何がどうなってるか感覚的に
ハッキリしない部分が、
「パキッ」と動きました。

そこに連動して肩と首の筋肉などが
本来あるべき位置に戻った感じです。

右肩と首の筋肉が変な事をしてるのは
わりとクリアに自覚していたので、
そこをもとの位置に戻すのは、
自分の意識で出来るのですが、
それは二次的なものと思っていて、
原因は腰のあたりというところまでは
分かっていました。

でも何がどうなってるかわからないので、
自分で何もしようがなかったのが、
今日は勝手に動いてくれて、とても嬉しいです!

というわけで、嬉しいので書いてみました。

でも、また元に戻ったりするんだよね。
そうやって、三歩進んで二歩下がる、
という感じで、亀のように前進する感じです。

追伸:
おそらくいくつか前の日記に、
震災後のトラウマ的な話を書きましたが、
そういうのともつながってはいると思います。
昨日はすっかりそんなこと忘れてたけどね。
絶望の淵の記憶


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