仕事柄、自然療法ということで、ハーブやアロマなど、
自然のものを健康維持などに利用しようということになってくるが、
頭の中が切り替わらないと、
ただ、「薬」を「ハーブ」に切り替えただけということになる。
新薬ができる以前は、病気の治療や健康維持に昔の人はハーブを使っていた。
でも、現代のような薬ができてからは、あまり身近な薬草は省みられなくなった。
そして、再び自然のものを使おうというムーブメントが起きている。
それは、昔に戻ろうということではないと思う。
頭の中が現代医学や現代文明のままで(考え方のパラダイムがということかな)、
自然のものを使ったところで、あまり効果も感じなかったり、
意味も無かったりする。全く無いといっているわけではないですよ。
理解すべきことは、
「薬がだめだから、じゃあ、自然のものに戻そう」という、
使っている物の問題ではなく、
現代医学や現代文明の枠組みとかシステム自体が、
人間が地球の上で生きるために、100%有効ではないということだ。
だから、身近な薬草を使おうとか自然のもので健康維持増進、治療をしようと
した場合、その出所や背景やつながりも同時に理解し、
別なパラダイムなりシステムの中で使っていくものだということを理解する必要があると思う。
アロマテラピーとかハーブでもいいし、何でもいいけれど、
そういった類のものに興味を持ち、学びたいと思う人は、
もれなく、その背景にあるものがついてくると考えたほうがいい。
そこを理解していないと、ガソリンをバイオエタノールに変えました。
というだけで喜んでいるのと同じことになるから。
別な例としては、農的な暮らし、自給自足、パーマカルチャーなどを
実践しようとして場合、それも昔の農的な暮らしに戻すということと、ちょっと、意味合いが違う。
昔は自分が食べるために野菜を作って自給自足していた。
これからも自分が食べるものは自分で・・・って言う流れはもちろんあるけれど、
単純に自給自足するというよりは、それをしようとした時に、
地域や社会や自然やいろんなものとの軋轢や繋がりや共生やらの問題課題が
これもやはり芋づる式に出てくる。
結局、身近な薬草を使おう、とか、農的暮らしをしよう、といった時に、
この時代の文脈の中に置いた時に、それをすることの意味や意義がはっきりしてくる。
昔から先人が行ってきた知恵はもちろん参考になるけれど、
今の文脈の中で解釈して、それを生きていくのは自分達しかできないし、
なんで、そんなことやっているのか理解してもらえない場合は、
ちゃんと、文脈を説明する必要がある。
ん~、まあ、今は再統合する時期というか時代なのかもしれませんな。
医療だって、じゃあ、昔の戻るからといって、
呪術的な治療法をそのままやるってワケじゃないでしょ。
科学や現代文明の恩恵をうけて、知ったことを加味して、
昔の英知を掘り起こし融合させることが必要。
現代科学がものごとをバラバラに分解してくれたので、
それを統合させる時が来ているのかもしれません。
再統合するにはバラバラにしてよけいなものを純化する必要があるといいますから、
それはそれで良くって、間違いであったり、否定するものでもない。
でも、分解しまくって終わりという時代は終わりつつあるのではないでしょうかね。
この期に及んでそういうことをやってると、
アホじゃないかと思われる時代が来てほしいです。
自然のものを健康維持などに利用しようということになってくるが、
頭の中が切り替わらないと、
ただ、「薬」を「ハーブ」に切り替えただけということになる。
新薬ができる以前は、病気の治療や健康維持に昔の人はハーブを使っていた。
でも、現代のような薬ができてからは、あまり身近な薬草は省みられなくなった。
そして、再び自然のものを使おうというムーブメントが起きている。
それは、昔に戻ろうということではないと思う。
頭の中が現代医学や現代文明のままで(考え方のパラダイムがということかな)、
自然のものを使ったところで、あまり効果も感じなかったり、
意味も無かったりする。全く無いといっているわけではないですよ。
理解すべきことは、
「薬がだめだから、じゃあ、自然のものに戻そう」という、
使っている物の問題ではなく、
現代医学や現代文明の枠組みとかシステム自体が、
人間が地球の上で生きるために、100%有効ではないということだ。
だから、身近な薬草を使おうとか自然のもので健康維持増進、治療をしようと
した場合、その出所や背景やつながりも同時に理解し、
別なパラダイムなりシステムの中で使っていくものだということを理解する必要があると思う。
アロマテラピーとかハーブでもいいし、何でもいいけれど、
そういった類のものに興味を持ち、学びたいと思う人は、
もれなく、その背景にあるものがついてくると考えたほうがいい。
そこを理解していないと、ガソリンをバイオエタノールに変えました。
というだけで喜んでいるのと同じことになるから。
別な例としては、農的な暮らし、自給自足、パーマカルチャーなどを
実践しようとして場合、それも昔の農的な暮らしに戻すということと、ちょっと、意味合いが違う。
昔は自分が食べるために野菜を作って自給自足していた。
これからも自分が食べるものは自分で・・・って言う流れはもちろんあるけれど、
単純に自給自足するというよりは、それをしようとした時に、
地域や社会や自然やいろんなものとの軋轢や繋がりや共生やらの問題課題が
これもやはり芋づる式に出てくる。
結局、身近な薬草を使おう、とか、農的暮らしをしよう、といった時に、
この時代の文脈の中に置いた時に、それをすることの意味や意義がはっきりしてくる。
昔から先人が行ってきた知恵はもちろん参考になるけれど、
今の文脈の中で解釈して、それを生きていくのは自分達しかできないし、
なんで、そんなことやっているのか理解してもらえない場合は、
ちゃんと、文脈を説明する必要がある。
ん~、まあ、今は再統合する時期というか時代なのかもしれませんな。
医療だって、じゃあ、昔の戻るからといって、
呪術的な治療法をそのままやるってワケじゃないでしょ。
科学や現代文明の恩恵をうけて、知ったことを加味して、
昔の英知を掘り起こし融合させることが必要。
現代科学がものごとをバラバラに分解してくれたので、
それを統合させる時が来ているのかもしれません。
再統合するにはバラバラにしてよけいなものを純化する必要があるといいますから、
それはそれで良くって、間違いであったり、否定するものでもない。
でも、分解しまくって終わりという時代は終わりつつあるのではないでしょうかね。
この期に及んでそういうことをやってると、
アホじゃないかと思われる時代が来てほしいです。
あんじゅさんと畑違うかもだけど、この記事ぐぐっと共感したつもり。見えるものだけ見て、見えないものを見ようとしない人は多いと思う。でも、見ようとしない人を責めるのは酷だし、そういうのいやだ。それを巧みに利用した経済の仕組みとかが、とてつもなく怖い。
ちょっとあんじゅさんのこと誤解してた。アロマってワードは、僕の中ではエコと同様だったから。(笑)ごめん。今後ともよろしくです!
上野先生はいつも、そうおっしゃってますね。
私も何を隠そう上野先生の訳した「ビーヒアナウ」を読んで、
こんなところにいるクチなので、共感です。
(その記念すべき本に、サインもしてもらった)
ふくちゃん、またまた、どうも。
こんな書き捨てのような日記読んでくれてありがとう。
↓こっちのほうが、もう少しまともに書いているのでよかったらよろしく~
http://blog.goo.ne.jp/ecomed/e/e2c126d05af75feff18985b16a278035
確かにアロマとエコは何か同じテイストだよ。アロマセラピストの肩書きはいつ手放そうかと思っている今日この頃
考えがどんどん深まり、様々なものに対する理解の基本ができあがってきている様子、とても頼もしく思います。新しい地平を築いて行くことは大変でしょうが、多分今までしてきたことはそのためにあるのでしょう。一緒に頑張りましょう。
いろいろなことが繋がって理解できてきたのは、
パーマカルチャー塾のおかげです。
大変だけれど、覚悟を決めてやろうという気に
だんだんなってきました
今後ともよろしくお願いいたします
かずとです。
再統合っていいですね。
エゴを突き詰めて
気持ちよさを最大限に追求して
よくよく長期的に考えて
いいとこどりしまくる。
誤解を恐れずに言えば。。
煩悩の再統合。
パラダイム・シフトですね。
シュタイナーの農業講座を読んでいるんだけど、
物事をとらえる前提が違うと、
成分を見る視点が違ってくるなと思います。
つまり、シュタイナーが言うアストラルとかエーテルとかが存在すると思って、成分を見るのと、
物質しか存在しないと思って成分を見るのでは、
同じものを見ても解釈が違ってくるよね。
私は成分を見るのも大事だと思うんだけれど、
それはずべてではなくてあくまでも参考までに。
「大きな流れの一部」と捉えること、大切ですね。
そうしないで物質レベルだけで一喜一憂してると
「○○大事典」みたいになっちゃうんだよね。
自分が感じる気持ちよさを
ちゃんと感じられる感性って大事だね。
煩悩108個再統合するとどうなるんだろう