東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

東海大学K2登山隊

2006年08月03日 | ヒマラヤ
                  
最近は少なくなったヒマラヤ登山隊の朗報が届いた。小松由佳隊員(23歳)、青木達哉(21歳)の隊員2名東海大学K2登山隊は、8月1日、南南東稜から見事に登頂し、K2では日本人初の女性サミッターが誕生した。世界的にも女性では8人目、急峻でさらに困難な南南東稜からの女性としては初めて。

K2(8611m)は世界第2の高峰にして最も困難な8000m峰として良く知られている。この山は急峻な独立峰で、ノーマルルートの南東稜でさえも成功率は低く、遭難者が多いことから「非情に山」とも言われている。連続する急峻な岩場と不安定な雪壁では落石、雪崩れ、滑落の恐怖と戦わなければならない。実際、過去女性登頂者7名のうち、5名は下山途中で力尽き、または滑落してBCに帰還することは出来なかった。

他もカナダ、アメリカ、ロシア、イタリア、地元パキスタン隊など、数多く登山隊が入山していたが、殆どの隊が落石、滑落などで登頂を断念した模様。唯一南南東稜から取り付いたこの隊は全てのルート工作を行い、7900mの肩でノーマルルートに合流し、超高所での急峻でで困難な雪壁を乗り越えて登頂した。

登頂したこの女性は自らトップでルートを開き、抜群の体力と高所順応力を発揮し、困難なボトルネック「瓶の首」と呼ばれる超高所の急峻な雪壁を突破して登頂した。まさに屈強な男性クライマー顔負けのアタックだったと思います。数多くの登山隊がアタックしたが、結局登頂したしたのは日本隊2名の他、イタリア隊の2名のみだった。最も危険な下山は途中8200m地点のボトルネックで無酸素ビバークとなり、困難を極める下降を冷静に行なってBCに無事生還した模様。

しかもこの方、東海大学山岳部時代は男子など10名を率いる主将を務め、常にメンバーをリードするリーダーだった様です。出身は秋田県という事で子供の頃は山暮らしだったそうで、最近は殆ど聞かれることのない「東北人の粘り」が成功へと導いたのでしょうか?しかし並々ならぬ努力以外に、何より自分の力で登頂したいという気持ちこそが、誰にも勝っていたという事でしょう。
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