Produce&Climbing

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人類の節目 エジプトの内紛を見て

2011年02月05日 | つれづれに

宗教の自由はあっても、宗教から逸脱できる自由を教育したり、獲得できる能力を育むことは、かなり大変なことに感じます。本当に大切なことは、自ら考えを導き出すことです。人類は、この節目を越えられるのか? 盲目的信仰から抜け出せない人々への教育が必要だと思います。生きる杖など、もともと存在しない。不安定の安定を自ら見出すことに生きる価値があります。 盲目的信仰者は、一レベル思考力を上げる必要があります。崇拝するものにただ従うことは、家畜的な存在です。 人間はもっと自由です。宗教盲目者には不自由を感じます。主義主張など、いらない。 ただそこで生きることが自由です。 悪いと思うことはしません。 本当の自由とは、人間として生きることが出来ることです。人間という形で生まれたからといって人間として存続できるものではないのが人間です。 人間として生まれたなら人間になることが求められます。 人間に与えられた能力は高いので、低くも高くも、不自由にも、自由にも、生きることは、その命に委ねられれています。そこに生きることの価値が求められています。キリスト教もイスラム教も、仏教も、新興宗教も関係ない。そういうゆとりが持てる思考力がなければ、人類は次の段階へ進むことはできません。

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